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第1話 ブラジルでの強制入院 ①(無料版)

写真:ニテロイから眺めるリオの夕暮れ


 23歳の僕は、さるぐつわをされベッドに縛り付けられていた。

 ここはブラジルのとある精神病院 [注1]。留学生生活8ヶ月目を迎えようとしていた僕は、人生で初めて精神病院のベッドの上で目覚めようとしていた。数時間前に6人の医師によって無理やりソファに体を押さえつけられ、強制的に打たれた注射の効果がようやく薄らいできたのである。

 全て理解していた。どういういきさつでこんな状況に陥っているのか、何がこうさせたのか。完全なコミュニケーション不足だ。僕という人間を理解しようとしないセイヨウイガクの使徒 [注2] たちによって、僕はこのような仕打ちをうけているのだ。

 不思議なことは何1つなかった。何故なら僕の方が彼らより色々なことを知ってしまったからだ。医学書には書いていない多くのことを。知りすぎる者は理解されない。映画『12モンキーズ』の主人公 [注3] を思い出した。

 しかし困った。これだけ正常な人間がコッチの世界に入り込んでしまって果たして元の世界に戻れるのか。この病院から一生出ることができないのではないか。不意に映画『カッコウの巣の上で』[注4] が頭をよぎる。セイジョウとイジョウの境界線は実に曖昧だ。ふとしたきっかけでイジョウの方に振り分けられてしまう。僕もそうやって塀の中に送り込まれてしまったのだ。

 とにかくベッドの枠に縛り付けられている手足が窮屈でならない。ベッドは灰色の鉄パイプにマットレスが敷かれただけの非常に簡易的なもので、寝心地などは全く考えられてない代物だ。幸い、ベッドの枠に柔道着の帯のような太い紐で縛り付けられているだけだった。

(もしかすると抜け出せるかもしれない)

 部屋には僕しか居らず、見張っている人も居ない。思いっきり手を動かしてみる。少しだが結び目が緩んだ気がした。さらに、手首をいっぱいに曲げ、結び目をまさぐってみる。次第にその結び目はゆるくなっていったが、あとちょっと!というところで白衣をまとったスキンヘッドの黒人男性が目の前に現れた [注5]。

 「ひゅー!日本人!お前は器用だな!」

 一瞬ひるんだが、僕は手を動かし続けた。男はベッドの横にあった丸椅子に座り無言でそれを見守っている。ほどなくして帯はほどけた。僕は自由になった右手で左手の帯の結び目もほどこうと試みる。

 「自分が何やったか覚えてるか?」

 男はそう尋ねながら僕の右手を掴みグイっと引っ張り、ベッドに縛り直した。さらに、さるぐつわをほどき笑顔でもう1度僕に尋ねた。

 「どうだ?覚えてるか?」

 再びベッドに縛られた僕は不機嫌に返事をする。

 「全部ね。全部覚えているよ」
 「そうか。またなんか困ったことがあったら呼んでくれよな!」

 彼は鼻歌を歌いながら奥の部屋へと戻って行った。

 困ったことといえば、この状況に1番困っている。病院から出してくれと言ってもそれは無理だろう。

 今はこの状況に身を任せるしかない。神様が与えてくれた何かのメッセージに違いない。ここに来たからにはとことん観察してみよう。きっとこの先の何かに役に立つはずだ。僕はこの状況を受け入れる決意をした。

 窓からゆっくりと風が入ってきて優しくカーテンを揺らしている。その隙間から青い空が見えた。その青さは日本の空とは異なり、濃く、深く、気を抜くと吸い込まれそうになる。僕の右手はキツくキツくベッドに結ばれている。僕は体をまっすぐにして天井を見上げる。純白とは程遠い薄汚れた天井が今の気持を代弁しているようだった。

[注1] ジュルジューバ州立精神病院(Hospital Estadual Psiquiátrico de Jurujuba)はブラジル、リオ・デ・ジャネイロ州のニテロイ市にある精神病院。州立の病院だけあり、設備も簡素で、患者も低所得者層出身とわかるような人が多かった。特に印象的だったのはアルコール中毒の治療を受けている患者の多さで、入退院を繰り返すあまり、家での生活より病院にいる時間の方が長い人も少なくないと聞いた。

[注2] セイヨウイガクに傾倒し、セイヨウイガクこそが人類を救うと信じ、強い使命感を持って診断し、投薬し、私たちを治療する、一般的に医師と呼ばれる人のこと。時として生命をも司るセイヨウイガクは今日では宗教をも凌駕する信仰を世界中で集めている、と僕は理解していた。この時を境に眼前に大きく立ちはだかることになるこのセイヨウイガクとの戦いの中で僕は深く苦悩し葛藤することとなった。

[注3] 『12モンキーズ』はテリーギリアム監督がメガホンをとったSF映画。作品中、タイムスリップした主人公役のブルース・ウィルスが事実を語るも、誰にも信じてもらえず精神病院に送られてしまう。これが僕の中での精神病院とその患者のイメージだった。

[注4] 「こういう映画も観ておきなさい」と、中学生の頃に母に観させられたジャック・ニコルソン主演の映画。主人公は刑務所から逃れるために精神異常を装って精神病院に入院する。しかし次第に病院側と対立するようになり最後にはロボトミーにより廃人のようにされてしまう話である。一度精神病院に入ってしまうとそこから抜け出すのは容易ではないという印象を持っていた。

[注5] ブラジルは世界の中でも人種差別が少ないと言われている国だが、黒人の医師はまだ珍しいといえる。教育がまんべん無く施されていない現実に、僕が留学していた当時、「大学入試枠の1%を黒人用に設け、選ばれた黒人は受験無しで大学に入学できる」という主旨の法案が出され、逆に人種差別的だと物議を醸していた。

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