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無視できないレバノンの惨状 【8月21日付投資日報巻頭記事完全版】

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https://youtu.be/_ZIQKqjT-xI


中東はレバノンの首都、ベイルートでの大爆発が話題となっているが、問題はその規模ではない。レバノンの危機が招くであろう中東の不安定化こそが最も懸念するべき―であると筆者は考えている。


そもそもレバノン自体、コロナ禍で非常に大きな危機に陥っていた。そこへ来ての大爆発事故である。これは、事実上の「経済にとっての致命傷」となった。爆発の規模は、いわゆる先進国が想像するレベルを超えている。被害はベイルートの大部分に及んであり、150人以上が死亡と、ここまでは序の口で、この爆発で数千人が負傷、数万人が家を失った。レバノン政府は爆発による損失が数十億㌦に達すると推計している。 

 
レバノンの歴史は複雑だ。イスラムが中世にアラビア半島を支配した時、マロン派と呼ばれる少数のキリスト教徒達が現在のレバノンの山岳地帯に逃げ込んだ事に国の由来があるとされる。それ以降宗教的な分裂が長く続き、一時は十字軍に翻弄されたものの、同時にローマ教会との連携を果たし、東方教会系としては異例である西側とのつながりを深めた。


十字軍は最終的に征服に失敗したが、オスマン帝国の寛容な宗教政策もあり、マロン派キリスト教徒はしぶとくこの地に生き残った。第一次世界大戦におけるオスマン帝国の崩壊によってこの地はフランスが統治することとなり、フランスはより多くの地域をレバノンに与えた。結果として多くのイスラム教徒を含む現在のレバノンが成立した―というのが簡単な歴史になる。
戦後のレバノン政府は、マロン派キリスト教徒を多数派としたものの、その比率は30%で、主要な宗派に特定の政治的権限が割り当てられた独自の宗派主義的な政府形態が確立された。これがいわゆる「宗教的利権」と複雑に絡まって、現在の腐敗的な体制を生んだとされる。


それでも戦後のレバノンは自由経済体制を採ったため、石油取引に由来する膨大な資金が流入。中東地域における金融セクターとしての地位を確立した。また、航空路のハブとなった事から観光業も発達。ベイルートは「中東のパリ」とも称された。


しかし、繰り返される中東戦争とパレスチナ難民の大量な流入によって政治バランスが過激派に振れ、更にはイスラム教徒が増大した事によって既得権益をもつマロン派キリスト教徒とイスラム教徒の間で内戦が勃発した(1975~)。この内戦にイスラエル、イラン、イラクなど利害関係国が強烈な介入を行ったために国内は荒廃。産業・経済は壊滅し、人材や駐在企業の多くが他国に逃避した。


現在、同国の一人当たりのGDPは1万0077㌦で、世界平均とほぼ同水準まで落ち込んでいる。主要産業はオレンジやブドウなどの農作物。また観光業や中継貿易。これが世界的な経済の落ち込みと腐敗によって5月には外貨建債券のデフォルト(債務不履行)に陥った。そのため、IMFは政府と金融支援に関する協議を開始していた。しかし、改革が行われない事で、交渉は暗礁に乗り上げていたのである。  


4日の爆発で、何国のGDPは今年、約20~25%縮小する公算が大きいとされる。IMFは直近で、同国経済成長率がマイナス12%になると予測。しかし今回の爆発の影響で、その倍にもなる公算が高い。


更に通貨の暴落が危機を拡大させている。レバノンポンドの非公式レートは、3月初めの1㌦=2600ポンド前後から、最近では7900ポンド前後に急落。すでにハイパーインフレが現実的なリスクとなっている。今は輸入に頼る食料が手に入らず、国内に飢餓が広がるというより切実で現実的な問題が浮上している。爆発で貯蔵庫にある小麦は利用出来なくなった。それどころか同国最大の港が壊滅してしまった。輸入するにもインフラがないのである。


それでも、人道上の危機には対処出来るだろう。レバノンの対立する各政治派閥の後ろ盾となっている外国勢力は、互いに競うように寛大な姿勢を示す公算が大きく、国内でも悲劇を分かち合う事で政治的休戦につながる可能性すらある。


だが問題は、レバノン政府に対する抗議活動が活発化し、その背景に関係各国の思惑と介入の影が見える事である。レバノンには、あまりにも多くの関係国が重大な関心を持っている。同国の政治が一気に流動化すれば、1975年以来の中東危機が訪れてもおかしくない。


トランプ政権の北朝鮮や東アジアへの関心は選挙向けのポーズである可能性が高い一方、イスラエルに関しては常に重大な関心を維持している。つまり、ロシアや米国も中東情勢には無関心ではない―ということだ。


レバノン情勢は単に中東の一小国の問題ではなく、イスラエルとアラブ諸国、パレスチナ解放機構(PLO)、ロシア、米国―そして中国などが複雑に絡む大きな問題に発展する可能性が高いだろう。

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