クリスマスの思い出
昨年の今日、父が突然、「死ぬかもしれない」と言い出して、それからの6日間、父の旅立ちを見送る時間になった。
家を出て二人暮らししている娘たちは、滅多なことでは実家に寄り付かず、クリスマスだからといって帰ってきたりはしない。
そもそも、若い二人には、親と一緒に過ごすよりは、親しい友達とわいわいやる方が楽しいだろう。
前の年も、その前の年もそんなだったので、夫と、「もうクリスマスケーキいらないね。もし買えたらピースで買おうか」などと話していた。
それなのに、昨年に限って、二人が
「クリスマスケーキ、うちで食べたいなあ」
と言い出したのだ。12月も半ば過ぎだったか。
え?え?ケーキ?ホールの?
慌てて夫と探したが、めぼしい店の予約は全て終了。
仕方ないのでインターネットで申し込めるところを探して、ぎりぎりラスト一個を押さえた。
やれやれ。
なんで今年に限ってケーキ食べるなんてそんなこと・・と思っていたら、12月21日、父の「死ぬかもしれない」発言である。
死ぬかもしれないから、今のうちにお礼言っておくね。
長い間、ありがとう。
母にそう告げた父。
驚いて、それを私に伝えにきた母。
父のところに一緒に行き、「どうしたの?何かあった?どこか苦しいの?」と聞いたが、父は柔らかく微笑むばかりで、私の言っていることがわかったのかどうかすらわからなかった。
それから、22日、23日・・と、日に日に父は衰えていき、24日、クリスマスイブに双子の一人が来ると大喜びで顔をほころばせ、25日にもう一人が来て、二人が揃うと、二人にお小遣いを渡し、自ら拍手して喜んだ。
ホッとしたのだろう。
満足し切ったのだろう。
その直後から意識がなくなった。
ひたすら眠り続ける父を母に任せて、夜は、家族四人でクリスマスらしい料理とケーキで静かに過ごした。
二人が帰る時はもう父の反応はなかったけれど、娘たちも最期に父に会えて納得しただろう。
翌26日、父は温和な笑みを浮かべたまま息を引き取った。
娘たちが、去年に限って「クリスマスケーキをうちで食べたい」と言ってきたのは虫の知らせだったのだろうか。
クリスマスが済むと父の命日。
父が息絶えてしまうことが心配で心配で、毎晩クリスマスツリーの灯りをつけたまま寝ていたので、今年もクリスマスツリーを見ると、ちょっぴり悲しくなる。
全てにおいて抜かりなく、周りの人々に配慮の行き届いた生き方をしていた父は、最後まで父らしく、母も私も起きていて、そばにいる時に旅立った。
落ち着いて見送ることができた。
ありがとう。
今年のクリスマスも娘たちはやって来る(多分)。
母が、「クリスマスぐらいケーキ食べたいわ」と言ったので、早めに用意した。
クリスマスケーキを食べたら、父の命日だ。
戒名はいらない、お位牌もいらない、無宗教で葬儀もいらないと遺言していった父なので(事細かに書かれた手紙を私が事前に預かっていた)一周忌だからといって特別なことはしない。
お墓参りにはしょっちゅう行っているし。
「お父さんが生きていたら、また孫たちにお小遣いって言っただろうから、今年も用意するわ」と母。
父を偲びながら笑って過ごそう。
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