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60年前の今日〜誕生日の奇跡〜

ついに還暦です。

20代、30代の頃は、
「あーまた年取った!めでたくない!」なんて恥ずかしげもなく言ったりしましたが、当たり前に誕生日がやってくることの幸運に、今は心から感謝します。

60年前の今日は土曜日で、私は朝の6時55分頃生まれました。
父は「半ドン」で、お昼に病院に駆け付け、横たわる母を見て仰天。
血の気がなく意識もなく、半開きの瞼の下で、眼球がくるっくるっと転がり白目になる。
只事ではない!と、「いやあ後腹(あとばら)ですから」と呑気な医者の腕を、「いいから来い!」と強引に引っ張り、母のベッド元へ。
母を一目見て、医師も顔色を変え、「手術室へ!」と叫ぶ。
それからバタバタと緊急処置が始まった。

それまで母は、何度となく看護師に「お腹が痛い」と訴えていたそうだが、医師と同じく「後腹ですよ」と相手にされず、こんなにも痛いものなのか・・と耐えていたらしい。
父が駆け付けた頃には、既に痛みが遠のき、(ああ、なんて綺麗なところなんだろう、なんの苦痛もなく、なんて穏やかなんだろう)と色とりどりのお花畑を見ていたというから恐ろしい。
父は、「寝るな!寝るな!寝ちゃだめだ!」と、母の頬をひっぱたいたと言う。

外に出血がなかったため、異常に気付かれず放置されてしまったわけだが、実際には、母のお腹の中で続いていた出血がぐるぐるとかたまり、赤ん坊の頭ほどの大きさになっていたそうだ。
母は、妊娠中から貧血を指摘され、出産前に5、6本の輸血を受けていたそうで、それがなかったら助からなかっただろうと、緊急処置に当たった医師は言っていたらしい。
検査体制が万全ではなく、輸血1本で肝炎になると言われたあの時代。母は緊急処置後、実に20本の輸血を受けたのだが、奇跡的に肝炎にならず、その後何度検査を受けても陰性で、無事に過ごしている。

あの日が土曜日でなかったら。
そして父が母の異変に気付かなかったら。
医療者に遠慮していたら。
私は生まれながらに母のない子になっていたかもしれない。
そう考えると、私の出生そのものが奇跡だ。

お父さん、母を助けてくれてありがとう。
私がひとりっ子なのは、私の出生時にそれほど怖い思いをしたからで、二度と母を危険な目に合わせたくないという父の意向なのだ。
そして、昨年末に旅立った父を思う。
母が死を目前にして素敵なお花畑を見ているから、父もきっと、とても美しい光景を見ながら、懐かしい人たちに囲まれて、幸せな気持ちで天国に行ったのだろうと信じることができる。
お誕生日おめでとうって、私自身のお祝いよりも、命をかけてこの世に私を生み出してくれた両親にお礼を言う日なんだろうな。

お父さん、ありがとう。
お母さん、ありがとう。戻ってきてくれて本当によかった。
頂いた命、大切に生きていきます。

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