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ひとり娘でひとり孫

ひとりっ子

私はひとりっ子だ。
臨死体験というけれど、私の母は、私を出産するときに正に死の一歩手前まで行ってしまった。
出産後、猛烈なお腹の痛みと闘っていたのだが、何度医療者に訴えても「後腹ですから」と言われて相手にされない。耐えるしかないのか・・と堪えていたら、ふっと体が楽になって、目の前に綺麗なお花畑が現れ、まあなんて美しいところなんでしょう、もう痛くも何ともないし!と幸せな気持ちになったという。
そこへ、半ドン(土曜日の午後半休のことを当時半ドンと呼んでいた)で駆けつけた父が母の顔色を見て驚愕。
母のほっぺたをピシピシ叩き、「寝ちゃだめだ!起きろ!起きろ!」と刺激を与え、医師の腕をつかんで「とにかく診ろ!」と引っ張ってきた。
瞬間、医師は顔色を変え、バタバタと緊急手術になった。
母のお腹の中で出血が続いていて、ぐるぐると大きな玉になっていたという。
輸血20本。
母は何とか一命を取り留めた。
もし土曜日じゃなかったら、父が気付かなかったら、(ちなみに私の祖父母は傍に座って「よかったよかった」と和んでいたらしい)母は死んでいたかもしれない。私は生まれた時から母のいない子になっていたのかも。

出産の恐ろしさをダイレクトに経験した父は、お産は二度とごめんだ、母が命懸けで産んだこの子ひとりを大切に育てようと決めたのだそうだ。
あの頃はまだ兄弟がたくさんいるのがふつうで、ひとりっ子は珍しい、むしろ「かわいそう」なんて言われていた時代だったから、母は、私が肩身の狭い思いをしないように、ものすごく厳しく育てたという。
おかげで、中学の時に、ひょんなことから私がひとりっ子だということが知れて、職員室中が大騒ぎになったことがある。
教師曰く、「(しっかりしているから)下に5人も6人も弟妹がいると思ってた!」
・・偏見です。

話が前後するけれど、そんなわけで、母は臨終前のお花畑を実際に見ている人だから、父もきっと亡くなる直前は、これぞ天国!というような幸せな光景を見たのだろう。安心して眠りについたのだと信じたい。「お母さんが見たのはこれか」と思ったかもしれないな。

そして、ひとり孫

父は二人兄弟。けれど、父の兄には子供がいないので、父方の祖父母にとって、私は唯一の孫だ。
この祖父が、本当に素晴らしい人なのだ。敬愛してやまない究極の理想の男性。この人のたった一人の孫であることが私の誇りだ。

海軍オタクや艦これファン(ゲーム?)なら知らない人はいないであろう軍人で、未だに検索するとtwitter上にも名前が上がってくるぐらい。
でも、遺族はだんまり、何も発信していないから、推測や勝手な脚色でいい加減なことを言う人もいて、あれには本当に腹が立つ。茶化すな。

伯父や父が元気だった頃は、顔を合わせるたびに、二人から祖父の豪快なエピソードや人情味あふれるエピソードを聞かされ、幼い頃から私は会ったことのない(会えない)祖父に憧れていた。
祖父が残した航海訓練日誌の中に、「外国の港に着くと、自分達エリート士官は上陸が許され、町一番の遊び場が確保されて羽を伸ばすことができる。だが、下級兵たちは次の出港に向けて船の整備をせねばならず、すすにまみれて顔を真っ黒にしながら作業をしている。誰がこんな異国の地に来てまで、こんなしんどい労働をしたいと思うだろうか。船を下りる自分が情けなく涙が出る。」というような一節がある。
神童と呼ばれ、現在では想像もつかないような超難関の海軍兵学校をパスし、多少天狗になってもおかしくないような天才・秀才でありながら、根底にあるのは優しい優しい人の心。本当に素敵な人なのだ。
私はそんな祖父のたった一人の孫なのだから、へこたれてはいけない。
80年ぶりに息子(父)と再会したであろう祖父が、「我々の後継はよくやってるな」と褒めてくれるように、私は努力しなければ。
立ち上がらなければ。

今はそのための、しばしの休息です。
本当に、しばしの。

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