上下関係に衝撃を受けた高校時代

高校時代は2つに分けてお伝えしたいと思います。

高校は地元の県立高校に野球推薦のような形で合格した。

過去に何度も甲子園に出場しており、進学校としても知られ、文武両道を掲げた古豪である。

中3の時、夏の県予選でベスト4に入ったのをテレビで見て、このユニホームを着て甲子園に出たいと強く憧れた。

市の選抜チームに選ばれていたのもあって、1年生からベンチ入りしてやると意気込んで入部した。

その伸びた鼻を思い切りへし折られる。

最初の3ヶ月間は生きた心地がしなかった。先輩のいわゆる「指導」と呼ばれるものが存在し、返事や挨拶の仕方、グラウンド整備の仕方を叩き込まれる。

できなければ強制的にやり直し。校内で先輩とすれ違ってスルーしようものなら、徹底的に指導を受けた。

(誤解のないようにいっておくと、このような上下関係は今はなくなっていますし、当時の先輩を恨んでいるということもありません。仲良くさせてもらってます。また、自分たちが後輩をもったときも同じようにやってしまった黒歴史です。。)

野球のプレーどころではなかった。朝から晩まで緊張感のある生活。休み時間は先輩と会わないように教室で息を殺したように大人しくしていた。

2時間目終わりに早弁し、昼休みはダッシュでグラウンドへ。先輩たちの前でグラウンド整備を行う。できていないところがあると容赦なく怒号がとぶ。

帰りのホームルームが終わったら速攻でグラウンドへ。先輩より遅れるわけにはいかず、ホームルームが長引いたときは担任の先生に殺意を抱いた。

私の実家は僻地なので、同じ市内であるにも関わらず親元を離れて、高校近くの家に下宿させてもらっていた。

家に帰るのは大体21時ごろ。1人で夕飯を食い、翌日は7時前に朝練開始。完全にホームシックにかかった。

このとき、ベンチ入りしてやろうという野望は消え失せていた。とにかく1日1日を無事にやり過ごすことだけ考えていた。

そもそもベンチ入りできるようなチャンスがない。バッティングピッチャーをやることはあったが、緊張していてあまり覚えていない。デッドボールでも当てたらヤバい…ストライク入らなかったらヤバい…そんなことを考えて怯えていた気がする。

このときの緊張感や恐怖に比べれば、試合の緊張など大したことないと後々思えるようにはなったが、不要な指導である。

3年生は最後の夏予選、シード校だったがまさかの1回戦負けで引退となった。正直に言うと、やっと自分たちが試合に出られるチャンスが回ってきたと思って内心喜んでいた。

強烈過ぎた上下関係

指導者からでなく、先輩からこのような指導をされることは全く想定していなかった。

中学時代の雰囲気と違い過ぎて衝撃だった。

理不尽な上下関係を経験したことは、自分の中ではプラスにとらえている。

あのような経験は後にも先にもこの3ヶ月間だけだ。

精神的な強さ、挨拶や返事の徹底などは社会人になっても生きているとは思う。(ただ野球部の挨拶の仕方はかなり独特で社会に出たら通用しない。「ちわっ」って感じの。社会人になってやったら怒られるやつ。)

だが、耐えられない人はもちろんいるだろうし、それが原因で野球から離れる人も多くいる。

結局野球界に蔓延る悪しき伝統はなくしていかないと、野球人口減少に歯止めがかからない。

指導者の暴力暴言、度が過ぎた上下関係、丸刈りの強制など、なぜ野球だけ…?という暗黙の了解が数多く溢れている。

3年生が負けたとき、涙を流しながらも内心喜んでいたのは私の本心である。

試合に出ていない者も、3年生とできるだけ長く野球がやりたいと思うようになるには、お互いに信頼関係がなければ無理だ。

不要な上下関係を強制することで生まれる亀裂や雰囲気の悪さを改善していくのは並大抵のことではできない。

学年の垣根を超えて、お互いにサポートし合っていけるチームを作り上げていく体制が必要だと思う。

次は視点を変えて、野球の勝負に特化した内容で書いていきます。ありがとうございました。



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