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ダメなものはダメ、なのか?

「ダメなものはダメ!!謝りなさい!!!」

ショッピングモールの隣の席から怒号が聞こえてきた。

もちろん聞きたかったわけではないが、隣の席で羨ましいほど通る声で怒るものだから、どうにも耳に入ってきた。

どうやらそろそろゲームを止めなさいと言ったお母さんに対して、止めていないのに息子さんがもう止めたし!と言ったことに怒っているらしい。

つまり嘘をついていることに怒っているわけだ。

だが、よくよく話を聞いていると、止めたし!という言葉遣いの悪さに怒りがシフトしていた。

そして「そんな言葉遣いしちゃダメでしょ!謝りなさい!!」というお母さんに不満があるのか息子さんは黙りこくっていた。

数分後、ダメでしょ!!と言われ続けた息子さんが根負けしてイヤイヤながらも「ごめんなさい」と謝っていた。

ちゃんと謝れて偉いね。

でも本当にこれで良かったのだろうか。

自分自身の幼少期を思い出してみても、似たようなシーンはたくさんあった。

なんとなく自分が悪いことをしたのは分かっているから謝らないといけないのも分かるんだけど、どうにも明確にそれが悪いっていう理由が分からなくてモヤモヤしていた。

そして反抗期が来るまでは『まあそういうものなのか』とあきらめで納得させてばかりいた。

ただ、もし親を絶対のものとして、子供の時にひたすらに『ダメなものはダメ』と理由もなくルールを遵守させられるようになった場合、考えること自体を放棄するようになるのでは無いだろうか。

よく言われていることなのかもしれないが、なぜその行動が悪い事なのか、なぜ今モヤモヤしているのかなどを一緒に考えて向き合うことが大切なんだと思う。

特に小さいときは、今以上に語彙がなく自分自身の感情を口にすることは難しかったから、言葉を引き出しつつ選択肢を与えてあげることで表現の手助けをしてあげられたらとも思った。

とはいえ、自分自身に余裕が無い事にはこんなことできないし、せっかくの休みなのにイライラさせるな、と感情的になってしまう親の気持ちも今ならわかる。

イライラしてしまったときに、いったん冷静さを取り戻す精神力を身に付けなければ。

とりあえず、今日も瞑想頑張ろう。

あとがき

この文章を書きながら、ふと幼少期の親との喧嘩を思い出した。

たしか内容はクリスマスプレゼントについてだった。

僕は誕生日が12月29日ということもあり、もしクリスマスにゲームを頼んだのであれば、誕生日はゲームはダメだというルールがあった。

なんとなく誕生日の方が良いものをもらいたくて、基本的に誕生日にゲームを頼むようにしていた。

故にクリスマスプレゼントはゲーム以外のものを頼んでいたわけだが、音楽プレーヤーを頼んだ小学5年生のとき、事件は起きた。

なんと翌朝起きて、真っ赤なサンタの靴下に入っていたのはペットボトルロケットキットだったのだ。

今思うと、なんだかゴロが良くて逆に好きかもしれない。

だが当時の僕にはまるで意味が分からず、すぐに親に確認した。

(なんなら今考えてみてもクリスマスプレゼントにペットボトルロケットキットは意味わかんなくない???)

僕「ねえ結局サンタっていないの??なんで音楽プレーヤー頼んだのにペットボトルのやつくれるん!!!」

母「いるよ、ただドタバタしちゃって他の家のこと間違えちゃったんじゃないかな?せっかくだしペットボトルロケット楽しみな?」

この後なんだかんだ言いくるめられて、なあなあになったままペットボトルロケットで遊んだ。

2回目の発射で壊れていよいよなんだよこれと思った先の記憶はない。

もう大人になったし、サンタにペットボトルロケットキットを選んだ理由を聞いてみよっと。







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