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今までと、これからと。
僕は今年の4月ごろから、就活支援団体で面談というものをさせてもらっている。
これは何かと言えば、学生と一対一で会話をし、その中で彼ら自身の悩みを聞きだしたり、これからどうしていくかを話しあう時間だ。
この団体に入る際、ある先輩から「面談は自分に多くの学びをもたらすから貴重な経験になる。」と言われていた。
だが実際にやってみて思ったのは、今の自分にはそれができていないというやるせなさであり不甲斐なさだった。
錯覚
正直なところ僕はつい1年前まで、自分自身が特別な存在であると思ってしまっていた側面があった。
これはまさしく『井の中の蛙大海を知らず』というやつで、狭い交友関係の中に閉じこもっていたからこそ勘違いをしてしまっていた。
今でこそそんな風には思わないようになってきたが、この面談においてはそれが残っていた。
どういうことかと言えば、悩みなどを聞いたり、解決したとしても、そんなことがあるんだな、とか、まあそう考える人もいるよなくらいにしか思えていなかった。
つまるところ、自分事としてとらえることが出来ていなかった。
受容
ただ前回の記事にも書いた通り、『自分のありのままを受け止める』ということを念頭に置いてから行動するようになってからはその部分が少しずつ変わり始めた。
というのも、同じように面談をしている際に、『確かにそういう考え方もできるよな』、とか『そういう価値観で物事をみているのって素敵だな』という風に、彼らの考え方も他人事ではなく、自分にもそう考える可能性が多分にあると思えるようになった。
もしかすればメンターとしてそんなことは出来て当然なことなのかもしれないが、僕にとっては新鮮な感覚だった。
加えてそう思えるようになってくると、自然と話への興味も増してきて、深く深く知りたいなと思えるようになってきた。
まだまだ聞ききれなかったり、集中が不意に切れたりしてしまうこともあるけど、着実にその力を身に付けていきたいと思っている。
そうすれば面談をうけてくれる学生にとっても、自分自身としても、今以上に深く意味のある時間に変えていける気がする。
そしておそらくこの考え方が『我以外皆我師也』という、かの有名な言葉の伝えたい事なのだとふと思った。
ただ面談中に自分事としすぎてしまうと、自分の価値観が入ってしまい相手の言葉との解釈がずれる可能性がある。
従って面談が終わったうえで、そんな状況になったとき自分はどうするか、自分ならどう考えるか、ということまで突き詰められると本当に大きな学びになるだろう。
決意表明
5か月経ってやっと言葉の意味が分かり始めました。
もっと早く気づけるタイミングはきっとあったはずで、その時気が付けていたら今頃もっと濃い面談ができていたのかなと思ったりしています。
せっかく面談を受けている皆には、非常に申し訳ないです。
ただ、どうにかプラスに捉えるとすれば、これが学生団体が終了してからの気づきにならなかったことはよかったなと思っています。
従ってこれからの面談において、少しでもみんなの考えていることや気持ちに寄り添って、意味のある時間にできるよう僕自身も一層精進します。
そして面談が終わって、改めて振り返ったときにな何か思うことがあれば積極的にシェアします!
大変でしんどい時期もあると思いますが、一緒に頑張りましょう、、、!
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