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異能の政治家 安倍晋三と暴力について考える

「野党の人から来る話は、われわれ政府は何一つ聞かない」

「掲げる政策で投票先を決めるべし」「理性的に決めるべし」という発言をよく見るが、「べし」と言われると俺は反発する。感情、付き合い、なんなら香典代わりの投票だって、当人が納得しているなら好きなようにやるべし、だ。

俺も政治家に世話になることがあれば、「全然気に食わねえけど、入れるか」と考えることもあるだろう。

ただ、どれだけ世話になっても、絶対に入れない投票先もあるだろう。

たとえば「野党の人から来る話は、われわれ政府は何一つ聞かない」と発言する現役閣僚がいるような政党。まあ、そんなトチ狂ったような発言をする現役閣僚なんか、さすがにおらんやろうけど。

「あまり聞かない」でも「ほとんど聞かない」でもなく、「何一つ」だからね。

その後「撤回しないのか?」と聞かれて「する」とも「しない」とも答えず、つまり撤回していないような現役閣僚が存在するとは思えないし、その発言に対して「注意」するだけでよしとする政権与党もあるはずないと思うが。

そうですよね、山際大志郎 経済再生担当相。そうですよね、自由民主党。

「与党に投票しないと、生活がよくならない」はいいんですよ、別に。その人がそう思ってるぶんには。

だけど、もし「野党の人から来る話は、われわれ政府は何一つ聞かない」と発言する現役閣僚がいるとすれば、選挙によって正当に選ばれた国会議員の間に、法で規定されていない権力差があることになっちゃうんでね。

そして言うまでもなく、民主主義≠多数決だし。本邦で比例代表制が取り入れられた理由のひとつが、選挙区ごとの多数決勝負になり、大量の死票が出てしまうという課題を解決するためだったはずだし。

自身が比例復活という恩恵にあずかっておきながら、「野党の人から来る話は、われわれ政府は何一つ聞かない」と発言するような厚顔無恥な人間は、さすがにいないと思うんです。ええ。

野党に投じた票は、野党議員の働きかけが政策に反映されることで生かされるのが当然であって、それを否定する与党議員がいたら、それってもはや統治機構、破壊してね? 内乱罪じゃね? だいじょぶそ?

「あらゆる暴力は許さない」

ところで、故・安倍晋三氏が襲撃されてから、「あらゆる暴力を許さない」というステートメントが投げ売り状態で、辟易している。

発言者が「暴力」という言葉をどう定義しているかがわからないにしても、少なくとも政治家や行政に関わる者が軽々しく「あらゆる暴力を許さない」と口にしていいとは思えない。

殴る、蹴る、あるいは銃で撃つ、あるいは言葉による暴力、そういったものばかりが暴力ではないし、権力による露骨な暴力ばかりが暴力ではなくて、「公共の福祉」の名の下に行われる調整は常に暴力性をはらんでいるし、税金の使い方によって、生きる人も死ぬ人も出てくるんだから、予算を承認する政治家と、それを執行する行政が暴力と無縁なはずがなくて。

俺は民主党政権下での国会における最悪の出来事は、「自衛隊は暴力装置」と表現することが不適切とされたことだと思っている。故・仙谷由人氏が「暴力装置でもある自衛隊」と発言したあとの与野党の対応によって。

いや、暴力装置でしょ、自衛隊は。っていうか、自衛隊に限らず、公権力は法にのっとった暴力は振るうことを許されてるんだから、暴力装置なのよ。暴力装置と呼んで、何ら差し支えないわけよ。

(わかりやすいのは都市計画で道路通すから立ち退かなきゃいけない、とか、ダム作るから立ち退かなきゃいけない、とか。補償があるのは当然のことであって、補償が暴力性を帳消しにするわけじゃない。)

なのに政治家が「あらゆる暴力は許さない」と発言することは、自己撞着なわけで。本当にあらゆる暴力を許さないなら、国家を解体しなきゃいけないし、それが達成できないなら、少なくとも発言した政治家も政治家であることを辞めるか、人間であることを辞めるくらいはしてもらわないと、おかしいわけで。

いや、わかってんのよ。「あらゆる暴力は許さない」の意味が、「その暴力は民主主義という社会体制において、振るうことを許されていないほうの暴力だ。だから許さん」ってことなのは。

だけど、暴力という言葉への忌避感は、現にある暴力を見えにくくするというデメリットしかないと俺は思ってんの。

「社会体制は『権力による合法的な暴力』と『それ以外の暴力』を規定するもので、民主主義においても許される暴力は存在するんですよ」という前提があやふやになると、「政治家に悪口を言うのはやめよう」と幼稚園生みたいなことを言う落合陽一氏とかが出てくるわけで。

民主主義ってのは契約によって成り立ってるわけで。

自民党とか日本会議や世界平和統一家庭連合(旧 統一教会)とかが大好きな「家族」(という幻想)のように自然発生的なものではないわけで。

契約があるからこそ、許される暴力と許されない暴力が明確に区別されているわけで。

「こんな人たちに負けるわけにはいかない」

俺は安倍晋三氏の政治家としての暴力の振るい方はまったく抑制的でなく、それどころか非常に幼稚だったと思っている。

安倍晋三氏と親しいとされる山口敬之氏や百田尚樹氏が“フライング訃報”をかましたのを見て、「この人たちって、こういう感覚で重大な事項を漏らしたり、漏らされたりしてたんだろうな」と感じたし、「安倍政権ってこういう感覚で運営されてたんだろうな」と。

「マスクを配れば、不安はパッと消えますよ」という進言をもとにマスク配った(とされている)のとかもね。

「マスクが届いて助かった」と感じた人がいることは否定しないが、個人の感覚とかどうでもよくて、税金の使い方を決めるのに際して、「それでいいんだっけ?」と俺は思うわけ。(マスクの質はまた別の問題で、少なくとも首相ひとりに責任が帰するわけじゃない。)

俺は安倍晋三氏は暴力的で幼稚だったが、それでも稀有な政治家だったと思ってる。

彼に同調する人に「自分が正しい側にいる」「マジョリティに身を置いている」と確信させる能力が異常に高かった。

「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という彼の発言には多くの人が奮い立たされただろうしね。

「愛国心」とか「非国民」とか「反日」という劇物みたいな言葉がこれだけカジュアルに使われるようになったのも、政治家安倍晋三の手腕の賜物だと思う。

家庭連合のような世界的カルトから、神道政治連盟、日本会議といったローカルなカルト(カルトという呼び方が不適切なら「体制転覆を狙う集団」でもいい。彼らは民主主義社会において最大限尊重されるべき「個人が個人の在り方を決める」という根本に異論を唱えているんだから)まで、少なくない自民党の議員がカルトと関係を持っているにもかかわらず、そしてそれが、ネットの普及によって、恐らくは以前より知られる状況になったにもかかわらず、「安倍さんがいれば日本は大丈夫」的な幻想を抱かせていたというのは、氏の諸カルトとの付き合いを見れば、実に、実に、実に異常だし。

そして死してなお、絶大な影響力を持っている。

残虐性とかではなく、国民の代表たる国会議員を殺したという点でもなく、「安倍さんという日本にとって重要な人を殺した」という一点で、「絶対許すな」「死刑にしろ」と発言する人が少なからずいる。

そういう異常な業績を見れば、安倍晋三という政治家が異能の政治家だったというのは異論をまたないだろう。

襲撃によって命を落としたのは無念だっただろうし、一個人としての安倍晋三には同情する。

しかし、政治家 安倍晋三の業績(=暴力の振るい方)を考えたときに、「悲劇の政治家」なんてまったく思えない。

ただ、「抑制的な暴力の振るい方を選択しなかった」ことと、「襲撃という暴力的な行為で命を奪われる」ことを結びつけるのは、俺は同意しない。

あまりに寓話的なので、結びつけたいという誘惑は理解できないこともないが、非科学的な、ふんわりとした因果応報を認めることは、格差の肯定につながる。(たとえばカースト制のように。)

撃たれて殺されたことによって、それまで政治家として振るってきた暴力については免責されない。

同時に、政治家として振るった暴力について、裁判抜きで殺されるのは適切ではない。

それだけ。

だと俺は思う。

「民主主義に対する重大な挑戦」

また仮の話。

たとえば。

「野党の人から来る話は、われわれ政府は何一つ聞かない」と発言する現役閣僚がいて、その発言を撤回させられない与党があったとする。

与党に投票しない限り自分の意見を政策に反映させられないのであれば、与党以外に投票しようとする人は、参政権に不当な制限をかけられているわけだ。

しかもその不当な制限は、選挙を通じて解消できない。なぜなら、与党以外に投票する限り、自分の意見が政策に反映されないのだから。

あ、れ……?

陳情はどうか? 投票と陳情で対応を変える合理的理由はないだろうから、やっぱり意見は反映されないだろう。デモしようがなんだろうが、多分反映されないだろう。

ってなると、

あれ?

残る平和的手段って、選挙で政権交代起こすしかないですね。

でも、「野党の人から来る話は、われわれ政府は何一つ聞かない」というスタンスを、少なくとも外形的には消極的に認めている政党に対して、ノーを突きつけられる人がどれほどいるんでしょうね。だって生活を人質に取られているわけですから。

となると、与党政治家を政治家でなくすしかないんでしょうね。投票を始めとする平和的手段が封じられてしまったのなら、脅迫や殺害といった触法する手段しか残されていないでしょうね。

それでいいんですかね?

さて、国会議員が襲撃されて命を落としたとします。

その議員が所属する政党が与党だったとします。

その政党に所属する別の議員が「野党の人から来る話は、われわれ政府は何一つ聞かない」と発言していたとします。

そのときに与党所属議員は「民主主義に対する重大な挑戦」とか「暴力による言論の封殺は許さない」とか非難できますかね。無理ですよね。

「野党の人から来る話は、われわれ政府は何一つ聞かない」という発言をよしとする与党は、その対価として、投票などの平和的行動以外で権力を脅かしてもよい、と当然認めるべきでしょうよ。

というか、最低限でもそのラインは認めなきゃ、フェアじゃないでしょう。

そうですよね、山際大志郎 経済再生担当相。そうですよね、自由民主党。

凶弾に斃れた同志を悼みたいなら、襲撃犯を非難したいなら、まずはそこ、きっちりしようや。


唐仁原 俊博 a.k.a. 西和賀町のやべーやつ / とうじんばら としひろ
フリーライター / 宅地建物取引士
元・岩手県西和賀町 地域おこし協力隊 / 舞台演出家 / ヤギ飼い
株式会社西和賀土地建物 代表取締役社長

大学生・怠惰な生活・演劇の三足のわらじで、京都大学を10年かけて中退した、フリーライター。

2019年4月から2022年3月まで、フリーライターと並行して、西和賀町役場に勤務(総務省「地域おこし協力隊」制度)。「人口5000人割りそうな町に、やべーやつがいっぱい来たら、やべーことになるんじゃないか」と思いたち、マジでやべーやつの呼び水となるべく、荷が重いながらも「やべーやつ」を自称する。

2022年6月、株式会社西和賀土地建物を創業。

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