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評価


この前、アメリカ番組でやっているゴッドタレント
の日本版みたいなのを見ました。

審査員はダウンタウンの浜ちゃんさん他、
広瀬アリスさんとかGACKTさん
(だった気がします。うろ覚え)

YouTubeshortで浜ちゃんさんが
開始数秒で❌を押しているのを見て、
コメント欄を見たら海外の方が主となって
ブーイングが殺到していました。

「評価」ってどうして
必要なんだろうと感じました

考えてみれば、M-1グランプリも
料理対決とか審査番組も、

審査員の人の「好み」、主観も評価の要素に入っている気がして、

前に、M-1グランプリの
審査コメントで「好きだから高得点にした」
という感じの発言を聞いたときにも
違和感を感じてました。

評価って必要なのか
どうして評価してもらわないと
デビューできないのか

プロ、ベテラン、師匠、っていう言葉と
素人、一般人っていう
分かりやすく壁をつくる言葉が
線引きをしているように見えて、

芸能人の方々も、俳優、女優の方々も
YouTuberの方々も

同じ「人」だけどバラエティ番組でも
「俳優が外を歩くと一般人はどうなるか」
って企画とか

ずっと言葉にできない違和感を感じてました。

フォロワー数も登録者数も
大切だ、とは何度も聞いたことがありました

でも多数決みたいに見えてしまって
登録者数が少なかったり
フォロワー数が少なかったら
何で見てもらえなかったり
数で見下されることがあるんだろう、とか。

東海オンエアのしばゆーさんとあやなんさんの
Twitterを見たときに

「こんなしばゆー見たくない」という
コメントがあって

言葉って見えない暴力だな、と感じました

求められているのは
「東海オンエアのしばゆー」さんで
本音を言ったり素を見せた瞬間
知らない人が発言して離れていって

どうして他人から求められる自分を
演じなきゃ支持してもらえないのか

なんで自分が最高傑作と思ったものを
評価されなきゃデビューできないのか
それで万人受けするように
作風を変えていかなきゃいけないのか

有名な人だから
長い間バラエティで活躍したから
コンテストで優勝したから
その人達に評価されたら
全て正しいのか

不思議がいっぱいです

就活で
やりたいことがないから
インフルエンサーかYouTuberになりたい

会社を辞めて画家になるまであと100日

仕事辞めて在宅ワークに変えました、って
いう方々がどんどん増えていくのは

働かないと生活できないから
でも人生を自分らしく生きたいから

「自分らしく」に囚われて
自分を見失ってしまったから

世の中そんなに甘くないとか
大人なんだから、とか

カメラマンさんと集まって話したり
Twitterで見かけるときも、
専門用語をたくさん使って難しい言葉を並べて
「最近のカメラマンは〜」って他のカメラマン
さんの写真を評価して否定する姿とか
「尖ってます!」って発言してる方々とか

なんでずっと上から目線なんだろう。とか
尖ってるって言ったり物申してる割には
よく見る写真だな。この色味好きくないな、って
もやもやしました。

じゃあSNS辞めればいい

でも、それでも辞められないのは
どこかでまだ諦めたくないからなのか、
なりたい自分に近づくための手段に
SNSは必要だと思っているからなのか、


今日も
人身事故のニュース通知

生きていたくないよな、こんなの

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