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100時間残業頻発のインフラSEが、4社複業&家族イベント皆勤賞に辿り着いた働き方改革(前編)

全てに『これが社会人標準か』と思っていた

私は2007年に農学部を卒業し、新卒でSE会社に予備知識ゼロで入社した。

インフラSEとして中距離地域を回ることが多く、大阪市内の事務所を出て、西明石、姫路、和歌山へ行くことが多かった。田舎ということでは伊賀上野や群馬あたりにも行っていた。サーバセンターはどの会社も郊外が多いのだ。

部長『今月の予定残業は60時間くらいか、じゃあもう一つプロジェクトお願いできそうやな』
10G『そうですね、いけると思います』

ちなみに、移動時間は残業時間には一切含まれていない。

どれもこれも、何の疑問も感じない。新卒からずっとそうだったから。これが"社会人標準"だと思っていた。 

本当は業界動向のチェックなどして情報収拾でスキルを高めるべきだが、しなくとも仕事は降ってくる。降って来すぎる。隣の芝生を眺める暇など本当になかった。

同じグループのメンバー、諸先輩方も皆、月初の計画時点で残業60〜90時間予定。100時間を超えると流石に総務部から目をつけられるものの…

当時の部長がとにかく凄まじく、商談は簡単にとってくるし、お客さんや営業さんからの信頼が絶大。設計や構築は顧客レビューよりも部長レビューの方が圧倒的に厳しかった。さすがは現場からの叩き上げ。勉強になることばかりで本当に良い上司の下で働けたと思う。

周りからは暗黒のチームなどと揶揄されたりしたが、チームのメンバーは本当にいい人ばかりだった。不幸を感じなかった一番の理由だろう。

退職して5年以上経った今でも、みんな仲良くしていただいている。どんなにしんどい時でも常に楽しい話で盛り上がっていたし、不満や愚痴で満たされる飲み会なんて一度もなかった。徹夜作業も苦ではなかった。苦ではなかったけど…

ちなみに、これは不幸自慢でも何でもない。そもそも不幸だなんて思ったことはなかった。全てにおいて「これが社会人標準」だと思っていたのだから。

『疲れた』しか言っていなかった(らしい)新婚生活

仕事は山のように…なんて言いつつも、最高の相手が見つかり、結婚できた。

独りでは全く気付いていなかったのだが、私は毎日『疲れた〜』とばかり言っていたらしい。

慣れない家事に疲れている奥さんを労ることもなく、変わらず帰りも遅く、一人ぼっちにさせていることすら見えておらず。

結婚から半年ほど経ってから、そこそこに怒られて初めて気が付いた。

いや、言われて初めて“知った“という方が正しいかもしれない。全く自覚がなかったのだから。疲れている自覚もなかった。相当にヤバい奴である。

『そんなブラックな会社、辞めたら?』
『いや、まあ人間関係もうまいこといってるし、まだ続けるわ』
『洗脳されてんちゃう。大丈夫?』

何度も言うが、奥さんに何を言われても、これが社会人なんだ、これが普通なんだと思っていたから、辞めるなんていう選択肢はなかった。辞めることより次の打ち合わせのこと、次の商談をどう提案するかを自然に考えていた。ただし、家で仕事は一切しなかったし、考えることも絶対にしなかった。家にいるときは家事育児をするようにはしていた(つもり…笑)

ブラック企業に染まっているように見えるが、お客様の環境基盤を設計する、基礎を支える仕組みづくりというのは嫌いではなかった。インフラSEは合っていた気がする。

インフラSE×自由で好循環を生んだ

SE職は17:00でシャッター下ろして『はい閉店』という仕事ではないので、時間に縛られすぎてはいない。波が大きいので時間的に余裕がある時期もあるにはある。

私がプロジェクトリーダーの場合、メンバーに最大のパフォーマンスを発揮してもらうために限界まで自由に動いてもらったつもりである。(もちろん全例ではないが)

『作るものを作ってくれたら、出退勤は自由。家でやっててもいいしどこにいてもいい。問題ごとがあれば顧客対応はする。自由にしてくれていいけど、モノ作りだけは全力で助けてほしい。』

メンバーには公言していたが、ベンダーでこんなこと言うリーダーは、周りには一人もいなかった。

プロジェクト期間中は、資料作成のみの日でも、全員が同じ部屋に集まって黙々と設計書や手順書を作り続けることが普通だった。

私はとにかくメンバーが最大の成果を出せる環境を作りたかった。資料を作るだけで移動だけに往復2時間も消費して欲しくない。

メンバーも自由をもらえたからか、責任を持って一層熱心にモノ作りをしてくれたし、自分の時間も大切にしてもらえた。この働き方がトラブルに繋がったことも全くなかったし、私の負担も軽くなった。

まさに好循環。…ではあるが、負担が軽くなったら新しい仕事が降ってくる。そう、残業時間が減ったわけではなかった。

転職を一瞬で決意させた後輩の一言

相変わらず何の疑問も持たず80〜100時間の残業を連発していた私は、ある日後輩からのたった一言で転職を決意した。

『なんで京都じゃなくて大阪で就職したんですか?』

とにかく転職のイメージがなかったので、この質問が衝撃だった。確かに何故なんだろう。新卒入社の就職活動から7〜8年ほどしか経ってないのに、全然思い出せない。

この後輩は「地元は田舎すぎて仕事がない」と大阪に出てきたからこそ、なんの含みもなく私に聞いたのだろう。

本人は知る由もないであろうが、私は本当にこの一言だけで転職を決めた。

住まいは京都、両家の親も京都、親族も京都ばかり。子供の起きてる姿を見るのは休日だけ。奥さんは常にワンオペ家事育児、しかも私の親と二世帯住まいである。ストレスは相当なものだと思う。毎日とにかく大変そうにしているが、どう大変なのかを私は分かっていない。ゆっくり話す時間もなかなかない。黄信号が赤信号に変わるのも時間の問題だった。

幸い転職先もすぐに見つかったが、大きなプロジェクト途中の退職ということもあって諸々の調整がなかなかうまくいかず、決断から退職まで半年近くかかった。

次の職場は家からゆーっくり歩いても15分、道中は信号なし。これからは家族を大事にしよう。

10年後の自分は?

転職して帰宅時間が早くなり、子供や奥さんのイベントにも行けるようになった。奥さんの負担もやっと減ったかもしれない。転職したことを随分と喜ばれた。もちろん人によるが、夫の価値は収入だけではないようだ。

新しい職場は前職と大きく変わって、SE的に言うとベンダーではなくユーザーだ。スタッフのICTリテラシーなど皆無に等しい。SE業務よりもICT関連全般の雑用業務が多くなった。

苦労することなんてない。難しい仕事なんて全く来ないんだから。

前ほど仕事もなさそうなので、ボーッと働こう。なんて思いつつあったのが転職後最初の半年ほどだった。

時間に余裕ができてきたので、30代も半ばになってきた自分の未来、10年後を考えるようになった気がする。いずれはまたインフラSEに戻るのも悪くないと思ってはいたが、100時間残業はもういいかな…

『あなた、パソコン詳しいんでしょ?』

システムエンジニアという単語が一人歩きし、本当に色んな依頼が来た。

明らかに担当が決まっていること以外は、一切断らず仕事を受け続けた。

『大学生の娘がタブレットを買おうとしている。アドバイスしてやって欲しい』なんて依頼もあった。ちなみに私はタブレット所持経験などない。

『講演会を開催するんだけど、ライブ配信してくれない?』うむ、なぜ私が動画を扱えるキャラに?普段YouTubeの視聴すらしないですよ?

しかし、どんな仕事も断らず、誠意を持って最大の価値を出して返す。これを徹底した。誰にも真似できないレベルの雑用だ。これも働き方改革の一つだったなと思う。当初はそんなこと考えていなかったが…

するとある日、突然幹部に呼ばれ、

『あなた、パソコン詳しいんでしょ?』

話が広すぎて何を言っているのか全く分からない。断じて詳しくはないが、否定する前に言葉がすごい勢いで飛んでくる。

『見て。この紙の多さ。無駄でしょ。いつまで経っても印刷FAX郵送手書き!こんなのでまともな仕事ができるわけないわ。なんかもっとないんですか?便利な方法が!他社とももっと連携しないといけないのに、ああ恥ずかしい』

普段なら幹部の愚痴として受け流しておきたいところだったが、そういえば私は「基礎を支える仕組みづくり」が好きなのだ。実現できたらみんながもっと働きやすくなるのでやりがいはありそうで、時間もなくはない。よし、せっかくなのでやってみよう。

kintoneとの出会いは本当に偶然なのだ。

ここから、業務改善を仕掛けていく魅力を感じるようになるが、光あれば影がある。決して楽な道のりではなかった。

しかも、この時は複業なんて一切考えていなかった。

今日はここまで、続きは後編へ。

★後編はこちら
https://note.com/touge_moved/n/n8a67d3d4fe90

★業務改善のお話は私のブログへお越しください
https://peaks-k.com/

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