発言者からひとり歩きする"言葉"
東京では人口自体が多いのでコロナの感染者も多すぎる。
私なんかは「いつ感染してもおかしくない」と思うあきらめモードに入ってるけど、相手を心配する際は素人には特に対策できないので「コロナにかからないよう気を付けてね」としか言いようがない。
親しい人が感染しても(もちろん感染しないのが一番いいけど)、きっと「お大事に」という言葉をかけるだろう。
しかしネットを見る限りでは、特に田舎の方では排他的というか、感染者を差別的にする人も多いという。
第三者が感染者に慰めや同情の"言葉"を言ったり、誹謗中傷や差別をしないよう県の偉い方が"言葉"にしてお願いしても、現実は厳しい"言葉"が飛びかい、本来なぐさめるべきなのにひどい行動をとる人も多いらしい。
書いていて嫌気がさすが、それは私の周りで感染した人がいない(わからない)から無責任に言えるだけかもしれない。あるいは攻撃的な意見に批判して同情しても、当事者はもうそっとしておいてほしいと思っているのかもしれない。
言葉なんて相手がどうとるか次第だ。
なぐさめのようなポジティブな意味で発言しても、相手が嫌だと思えばネガティブな意味に変わる。一方で嫌味などネガティブな意味で発言しても気にしなかったりすればポジティブにも変わりうる。
いずれも「○○さんの想い」よりも「言葉」のほうが強くなっている。
「○○さんが言った言葉」は最初は"○○さん"が主語だったのに、いつの間にか「大多数の誰かが言った言葉」となって主語が"言葉"になって、「言葉」が人を苦しめているように思えてならない。
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非常に厳しい誹謗中傷を受けた木村花さんが自殺したとき、世間では同情する声とともに言葉の使い方を気を付けようという声が数多くあったけど、正直それを言葉で訴えたところで誰も何も変わらないと思う。
言葉で感動させて変わる人もいるかもしれないが、それは少数派。実際はたくさんの有名な人が何十年も叫んでいるはずの戦争問題も環境問題も差別問題も、解決するどころか悪化している。
それでも可能性に賭けて言葉を用いて訴えないといけない。
自分の言いたいことを自分なりに説明したとしても、考え方も性格も違う相手は果たして自分が思っていることを理解できたのだろうかと思う。
はっきり言うと、相手に自分の思いが言葉という手段によって全く同じように伝わったなら、その程度の浅い考えだと思う。
こう言うとさすがに批判を食らうかもしれないが、私は間違っていないと思っている。非常に残念なことに。
1つの言葉でも意味は数多くあるし微妙なニュアンスの解釈も多いから、万人にわかるように使いこなすのは国語の天才でも非常に難しい。新明国と岩波と三現新といった3つの国語辞典を比べるだけでもそれぞれ解釈の違いがよくわかる。
言葉が相手に伝わらないので必然的に長文になって読みにくくなり、結局読まれないこともある。
「言葉」というのは面倒くさい。
それが面白くもあり難しくもある。だからこそ私はnoteという言葉を書いているのかもしれない。
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中国思想の老荘思想では、知識があることで世界で何かしらの対立が起きるから言葉はいらない。無為自然でいることが大事で、真理を理解するためには自分の直観が大事だと説いている。
しかし、この直感的な自分の想いを他人に伝えるためには言葉を用いないといけない。なんとなく象徴表現による暗示をしたところでもちろん相手に分かるわけがない。(このジレンマについては老子自身も自覚し嘆いている)
私自身が老荘思想が好きなので老荘よりの意見になってしまうが、「言葉にすればわかる」ということはないはずだ。
私たちは想像以上に相手と自分が異なる人間だということがわかっていない。それに気づいていないから言葉にギャップというか違いが生じてしまう。
プログラミング言語では感情のないパソコンに決められた言語だけを打たないといけないから意味は全く同じになるけど、人間の場合は発言者や受け手1人1人の感情や個性が言葉に乗り移ってくるから、同じ文字、同じアクセントで話しても、同じ意味や感情で相手に伝わる言葉なんて存在しない。
この文章、言葉から得たものもおそらく読者1人1人違うはずだし、それを否定することも肯定することもできない。
今の私にはあなたが言いたいことは完全に思った通りに伝わることはないし、あなたは私が言いたいことを正しく理解できていないはずです。
「とうふ納豆の言葉」は、いつの間にか"とうふ納豆が思ったこと"から"自分と相容れない言葉"となって、気づかないうちに私と敵対する関係に変わるかもしれない。
言葉には力がある。それはいい方向にも悪い方向にもなりうるし、発言側と受け取る側とで意見の相違も生じる。
相手の真理を知るためには、言葉だけで理解できるようにするため学ぶのか、自然に身をゆだねて自分の直観を磨くのか。
あなたはどちらを選びますか。
ちなみに、これらはすべて「コミュニケーションを通して"自分"を考える会」で思ったこと。友人以外のほぼ初対面の人と会う機会は一気に減っちゃったけど、やはり人と話すのは大事だなとつくづく感じるね。
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