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平成東京大学物語 第6話 〜35歳無職元東大生、生まれた土地への愛着を語り、人間関係を語り、高校3年の試験で学年1位になったときを振り返る〜

 ぼくは18歳になるまで、生まれた街を離れたことがなかった。街は海に面し、三方を山々にかこまれていた。狭い平野部のほとんどは街が占めていて、人々の住居は街の外れから山へと続く坂道に、身を寄せ合うようにしてみっちりと立ち並んでいた。

 ぼくが通った高校は街の西側の山の中腹にあり、校舎やグラウンドから、わずかな平地に密集した街のビル群や、その向こうで白くかがやく海がよく見えた。夕暮れ時には、巨大な太陽が燃えて街や海を真っ赤に染め、夜の帳がおりる頃には、街のネオンがまたたきだした。ぼくはそんな眺めがとても好きだった。東京へ出てくるまでのことを思い返すとき、なによりも鮮明に脳裏に浮かぶのは、生まれ落ちた土地が描く、こうした美しい詩情だった。街を歩いていても、緑をたたえた山々はいつでもぼくを見守っていた。街から離れる坂道を山の方へとのぼると、一歩一歩のあゆみのごとに、眼下の街は姿を変えるように見えた。

 ぼくは小学校の高学年ごろには人間同士のかかわりあいにあまり興味をもてなくなっていた。同級生との交わりは必要ではあったし、様々な日常のやり取りから、喜んだり、苛立ったり、感情の起伏はもちろん色々に生じたが、それらはぼくにとっては、次々と吐き出され、流れては消える煙草の煙のように、茫漠として、意味を感じることが難しいものだった。これはもしかすると、なまじ勉強ができたために、人間関係を通じて、承認を求める必要がなかったからなのかもしれなかった。ぼくは、なにかについて努力をするということもなかった。

 でも、ぼくの生まれもった能力は、この国にたしかに存在する階級のピラミッドを、ぼくに登らせつつあった。ぼくは勉強だけでなくあらゆることに対して怠惰だったけど、学年があがるごとに偏差値は伸びていき、高校三年のころには、もっとも優秀な集団の常連になっていた。とうとう夏季休暇が終わったあとのテストで学年一位になったとき、数学の若い教師が、生徒を一人ずつ教壇に呼びだしてテストを返却していたのだが、ぼくの順番で、おもむろに、じっとぼくを見つめてこう言った。金魚のように目玉の大きな先生だった。

「俺は知っとるとやっけんな。休みん間、お前が一番よう勉強しとったとばな…!」

 突然のことに驚くと同時に、クラスの注目が集まるのを背中に感じた。この言葉をいかにも妬みそうな何人かの顔が思い浮かんだ。ぼくは勉強ができることで妬まれることをとても恐れていた。だから、どんなにいい成績をとってもそれをわざわざ自分から口にだすことはなかった。ぼくは先生にだけ薄ら笑いを返して、表情を消してから机にかえった。

 先生は努力をすれば結果がついてくるということを、ぼくをだしにしてクラスに訴えようとしたのに違いなかった。ぼくが夏季休暇中にやっていたことといえば、家庭用ゲーム機でスーパーロボット対戦というゲームをするか、燃えたぎる欲望をしずめるために自分自身を慰めるかくらいだった。先生の言葉に、大人のずるさと、人生の残酷な一面を見た。

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