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地域の持つ多様性

会社を辞めて故郷に帰ってみると、地元の運営は地元に残った同級生たちが中心になっていました。地元に暮らし続けてきた彼らが、僕の故郷を支えてくれていたのです。この事実に気付いたとき愕然となりました。
そして、彼らの仲間に入れてもらうこと、彼らに認めてもらうことが必要なのだ…と思いました。
ただ、この思いに至るまでには、実は時間が必要でした。

こんにちは、今月末までは会社員の廣瀬です。
前回投稿でお知らせしたように、僕は4月から兵庫県北部・但馬地方にある人口約8万人の豊岡市で生活を始めました。実際に「生活を始めた」ことで、昨年度までの「週一ペースで但馬に来る(帰る)」とは異なる地域の見え方が始まっています。


先日、大学院の研究活動の一貫で研究調査対象地区(人口約2万人の養父市内の地区)のインタビューを行いました。

養父(やぶ)市八鹿(ようか)町九鹿(くろく)地区の秋祭りおよびそこで奉納される「ざんざか踊り」という民俗芸能を調べています

対象地区のインタビューでは複数の属性の方々の声を聞きたいと考えています。今回のインタビュー相手は、Uターン者(現在は50代)でした。10代後半の進学時に地元を離れ、都市にある大学卒業後は大企業に就職。30代前半で途中退職して、実家に戻られました。
冒頭の言葉はこの方の言葉です。

調査対象地区のお祭り・民俗芸能関連について「Uターン者から見た印象」などを伺うつもりでした。が、いきなり骨太な言葉をいただきました。

調査対象地区の秋祭りで踊られている「ざんざか踊り」で奉納する神社へ上がる途中。

現時点で立ち位置が中途半端な僕から見ると、既にこの方は地区運営の中心メンバーの一人です。「都市からUターンし、昔の仲間とサクッと合流した…のだろう」と僕が勝手に思い込んでいました。
冒頭の言葉をいただく直前、この方の雰囲気がフッと重くなったことが印象的でした。そして、(地元を離れていた同郷&同世代の僕に対して)
「 ア・ナ・タ も 同 じ で す よ 」
というナイフを突きつけられた感じがしたのです。というか確信犯として「その意図」も含めた言葉だったかもしれません。「自分の立場に気付け」と。

この方のケースは「お祭りなどの地元の祭事」、「田圃の水の配分などの農業活動」を始めとした緊密なコミュニティが構築されている地区のケースかもしれません。ただ、Uターン組の方々は似たような経験をされているだろうと推察します。

一方で、但馬地方では地元出身者だけでなく地域おこし協力隊なども含むIターン系の方々も含め、「この地域で新たなビジネスを始める(始めた)」人たちもいます。
今週末はそんな人たちが集まるイベント(↓)もあります。

僕は最終日に参加者ピッチの見学者として参加予定。審査員の中には診断士資格保有者もいらしゃいます。僕自身は一般エントリーの見学者です。

Startup Weekend豊岡の会場となっているイベント施設「とゞ兵」。かつての料亭がリノベーションされています。コウノトリをイメージした壁面…。

一見すると前半に紹介した地区の状況とかなり色合いが異なります。
とは言え、新たなビジネスを始める場合、どこかに拠点を設けるならば、その地域の地元コミュニティとの関係性を考慮する必要があるでしょう(私がお手伝いしている映画館「豊岡劇場」でも、先日、関係スタッフが地元の活動(掃除活動など)へ参加しました)。
特に農業など一次産業と関わりの深いビジネスの場合は、前半に紹介したような地域およびその地域で暮らす人との繋がり方はビジネス実現に向けてのポイントの一つになると思います。

こんなふうに自分の暮らす地域を見ていくと、「人口が少ないから都市のような多様性がない」という考えがあてはまりません。都市エリアとは異なったカタチでなかなかに多様性があることに気付いてきました。
(なんとヤヤコシイ…。いや)これはなかなか面白い…と思っているところです。

緊密なコミュニティの状況を理解しその維持・発展も考える。そして、合理的な経済活動の実現も模索する…。
欲張り感もありますが、但馬に帰ってきたイチ・オジサン大学院生&診断士としてこの両面に対して自分のリソースを投入していきたいと考えています。(そして、時には羊も齧(かじ)ります…)

田んぼの中を疾走する自転車通学の学生さん。このようなシーンも地域の一面です。

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