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ベートーヴェン《交響曲第三番》の『英雄』は、 本当にナポレオンを指しているのか(後編)

前回はこちら。

「運命」の逸話も嘘?

 ベートーヴェンの劇的な生涯は広く知られていますが、「楽聖」として半ば神格化されたため、脚色された逸話も多く見られます。例えば、《交響曲第五番》の『運命』という表題は、作曲者自身が「運命はこのように扉をたたく」と語ったことに由来します。

 この逸話の出所は、ベートーヴェンの秘書であり、彼の没後に伝記を著したアントン・シンドラー(一七九五~一八六四)という人物です。彼の著作『ベートーヴェンの生涯』は一八四〇年に出版され、後発のベートーヴェン研究の参考資料とされました。ところが、後年になってシンドラーの記述の信頼性に疑問がもたれるようになりました。

「自称秘書」の奇妙な経歴

 シンドラーはアマチュアのヴァイオリン奏者で、ウィーン大学で法学や哲学を修めたインテリでした。一八二一年頃から、ベートーヴェンと親密になり、その信奉者として「秘書」を自認するようになりました(それ以前から接点はあったらしいですが)。

 確かにベートーヴェンの事務処理等を手伝ったようですが、押しかけるように秘書に収まったシンドラーは、ベートーヴェンの親族に信用されていませんでした。それでも、ベートーヴェンの支援者だった貴族のブロイニング家の人々とともに、晩年に健康を害したベートーヴェンの世話をしています。

改竄・破棄されたベートーヴェンの記録

 問題は、ベートーヴェン没後の資料の扱いです。耳が不自由だったベートーヴェンは、日常会話を筆談に頼り、大量の会話帳を遺していました。一八二七年にベートーヴェンが没すると、会話帳はシンドラーが保管し、一八四六年にベルリン王立図書館に売却されました。しかし一九七〇年代になって、イギリスの音楽研究者ピーター・スタドレンにより、シンドラーが会話帳のかなりの部分を改竄していたことが明らかにされます。

 彼は伝記を書くにあたり、自分とベートーヴェンの親密さを誇張するとともに、偉大な芸術家像にそぐわない部分を排除しようとしたのです。シンドラーは改竄だけでなく、都合の悪い会話帳の破棄も行ったと見られています。会話帳は四〇〇冊もあったとされますが、王立図書館に残っているのは一三七冊のみだからです。


 こうしたわけで、現代の研究者はシンドラーによる記述を慎重に扱うようになっています。出典がシンドラーの著作のみで、他者の裏付けがないものは信憑性に欠けると言って良いでしょう。

(完)

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