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Window Escape プロジェクト①-孫盛希-

「外国語を学ぶことのメリットはなんですか?」
何度も自分に対しても投げかけてきたし、よく受ける質問、見かける問いだと思う。
メリットなんぞ気にせずいつの間にか気付いたら「あ、こんな良さがあるんだ」と思えることが、外国語を学ぶメリットだと思っているが、その気づきの1つが直接自分が欲しい情報を手に入れること、言語で覆われていて必ず外側に立たないといけないが、その境界線に踏み込めることだと思っている。

ただ冒頭に聞いておいてなんだが、私自身言語の習得はあくまでも副次的なものであってほしいと思っている。最初に書いた外国語を学ぶメリットなんて人から聞いた話を一生懸命焚き付けにしようとするとやり方は(間違いなく私は)苦しくなるのが目に見えるからだ。
私は外国語を学ぶことが好きなのではなく、自分の置かれた場所が世界の全部ではないということを知りたくて自分のために証明したくて、その渇望(半分は焦りのような感情に近い)で進んでいる(と思う)
フェミニズムも、本屋巡りも、私の行動の根底には全てそこに行き着く。

そんな渇望を持たざる得ないような人だから、日々の社会に迎合し「常識人」のふりをして擬態する日々は想像以上に疲れ、その渇望を行動に移す前にベットの上から動くなくなっていることが多い。
なんとかこの渇望をなんかしらの形で火を絶やさずに続けられないかと思って今年1月から考えていたのが自分の関心のある人物・事象について書かれた外国語の記事を翻訳することだった。何かを知り、自分の置かれた場所が全てではないということを知るために私と社会を繋げる「日本語」以外のツールを使うことだが、なかなかそれを成果物にするのは難しい。特に今喋れるようにしたい中国語は尚更力と労力がいる。なのでネット上の比較的短い記事からトライすることで、日々言葉にも出会えない不安やストレスから私の渇望の火を守って続けられるようにするためだ。

ちなみに形から入るタイプなので名前も決めることにした。
「Window Escape プロジェクト」
窓から違う世界を想像する、そんな窓のような存在であってほしい思いから名前をつけた。(昔から好きな東京工業大学 塚本由晴研究室の「Window Scape 窓のふるまい学」からもじった)

孫盛希「Unwind」

さて、1月初頭にあるアーティストの曲を繰り返し繰り返し聴いていた。
孫盛希「Unwind」だ。

彼女のプロフィールを軽く説明すると、韓国生まれの華僑3世。延世大学英文学部に進学。その後「華人星光大道」というオーディション番組に出場しファイナル6名に選ばれ、その後ファーストアルバム「GIRLS」でデビューを果たし、その年第26回金曲賞(中華圏のグラミー賞と呼ばれる授賞式)最優秀新人賞を獲得。
その後、4枚目のアルバム「希遊記」で最優秀中国語アルバム賞を受賞した。

さて、私が彼女に対して関心を持ったきっかけは彼女のバックグラウンドである韓国に住む華僑3世という点だ。今現在私が触れ学習を続けている中国語と韓国語の世界を知っている彼女が持っている世界観、考えに触れてみたいと思いインタビューを探した。あくまで彼女のバックグラウンドに興味を持ったからにはそれについて詳しく触れているインタビューを言語学習も兼ねて載せてみた。

(原文引用元)

https://www.myplus.com.tw/article-20191101/741/1

C-popの女性シンガーの「希」望
インタビュー、孫盛希

新時代を担うC-POP女性シンガー、孫盛希,
第30回金曲賞の5つの大賞にノミネートされ、特に林憶蓮、蔡依林などの女性トップアーティストたちが手にしてきた「中国語最優秀アルバム賞」にもノミネートされた28歳の孫盛希。
彼女は韓国の華僑三世として2012年に台湾に来て参加したサバイバル番組、「華人星光大道」によって大衆に知られることとなった。

紆余曲折の歌手の夢

孫盛希は韓国で音楽に触れたきっかけから話を始めた。彼女は小さな時から音楽が好きで、歌を歌うことや舞台に立ちたいという思いは中学生の時に芽生えた。ある時、彼女は親知らずを抜いた後すぐのままの顔の赤い腫れとあざが残るままでオーディションに参加した。
緊張のため用意してきた歌詞を全て逆に歌い、その後想像した通り良い結果を得ることができなかった。
「今思い返せば笑える話だが、私がなぜあえてその時に親知らずを抜こうと決めたのか」と自身の黒歴史を話し、彼女はすでに笑い飛ばすことができるようになっている。しかし当時夢を抱いていた少女にとっては大きな衝撃だっただろう。
最初のオーディションに落ちた後、孫盛希は父の言葉のため一時歌手の夢を諦めた。「私の歌唱力とルックスどちらもアイドルになるほどではないという父の言葉に、当時の私はかなり傷ついた」と短く、小さな頃の夢の挫折の辛さを話した。幸いにも孫盛希は完全に音楽を放棄したわけではなかった。彼女は中学3年の時にバンドを始め、高校の時には音楽の活発に活動しているサークルは学校になかったが友達とバンドを組み一緒に苦労しながら公演をした。

大学のとき孫盛希はロックバンドのサークルに参加し、それによって構内の数多くの規模の大規模な行事を担当、サポートするようになった大小様々な公演を経験した後、彼女は音楽の公演がどのように行われるのか理解し始めた。たとえば1回の公演でどのような機材を使って、それぞれどんな楽器を用意するのか、それに従事している人はどのようなことをするのか。
当時の彼女の音楽を応援する人がどんどん増えていくのに気づき始め、そして自分が成長したと思った。その後彼女は友達と一緒にMBCの大学歌謡祭に参加した。それは有名な大学生のコンテストであり、過去30数年、多くの韓国の人気歌手はここから発掘されてきた。孫盛希はこのコンテストを参加後、自分が作曲ができることを初めて知った。
大学の時に、多くの素晴らしい音楽の経験をつみ、再度歌手に対しての夢を抱くことになる。そのため彼女は休学を決意しMac Book Proを購入し音楽ソフトフェアをインストールし作曲を自分で学び始め、夢に向かって邁進した。
休学をした彼女の友達がほとんどソウルにいるが、彼女の実家である강릉とソウルは少なくとも車で2時間kかる距離にあり近くにいる友達がいなくなった。孫盛希は自分が元々志向していたインディーズの音楽の道にますます迷い。一日中家の中にいて外に出ない生活で気持ちが落ち込んでいった。そのような状態を父親に見つけ、家族と一緒に台湾に行ってトライしてみないか励ました。それが孫盛希の歌手へのスタートポイントになった。

居場所を見つける、スカウトに出会う

2012年、孫盛希は単身台湾に飛びその場で会った人の縁を伝って、彼女が韓国で製作したデモを滾石唱片(ロックレコード)に応募した。彼女は低い声と裏声を使い分けた歌唱法と豊かなポートフォリオが滾石唱片(ロックレコード)の青睞の目に止まった。滾石唱片(ロックレコード)はそれによって孫盛希のトレーニングを計画し、その前に彼女を第二回「華人星光大道」に参加し最終的にトップ6人に残った。孫盛希は当時番組に参加しているときあまり自信がなかったと正直に言う。それはオーディション番組の圧迫、ストレスに対してあまり上手く適応できず常に逃げ出したい精神状態だった。かつて第3シーズンの徐佳瑩が同番組で自身の作品で圧倒的な才能を見せていたので、まさか彼女が自分の作品を通して世間が自分を見つけるのか?
参加する前は自分が書いた歌詞に韓国語が使われており、彼女自身が自身の作品が比較的主流でないことも自覚しており、まだ模索の段階だったため自分の作品を公演の場で披露しようと考えたことがなかった。

しかし、番組の過程で、孫盛希の舞台の魅力はだんだん観衆の関心と愛を受けるようになった。同時に彼女の音楽が持っている潜在力と強い決心はレコード会社の目に止まった。番組終了後、孫盛希は滾石唱片(ロックレコード)の庇護下でほぼ1年半の作品製作とアルバム制作の準備に費やされた。それに対して彼女はとてもラッキーだった、そして会社が自分を理解してくれ、それ以降私の作品に対して強く肯定し、自分が自由に力を発揮できる、自分がしたい音楽をさせてくれる大きな環境を提供してくれたと言っている。
ほかにも家族の応援もまた大きな心の支えで励みになったという。親戚たちは以前は彼女が延世大学の英文学系の高学歴の経歴を諦めたことに残念がっていた。韓国の学歴主義の社会雰囲気の中、韓国で有名で大学であるSKY(ソウル大学、延世大学、高麗大学)の一角である大学を放棄することは一定の波及力があることだ。しかし彼女が台湾で徐々に実績を得ることで親戚たちの憂慮は徐々に少なくなっていった。
「なぜなら親戚の中で芸術系に進んで活躍した人はいなかったので、私が良い結果を残したことで喜んだ」

孫盛希の歌手生涯の中で1番の支持者は父親だという。彼女が大学歌謡祭に参加するときぐらいから、彼女に対してより認めるようになった。なぜなら父もその大学歌謡祭をみて育った1人だからだ。
「大学の時から私が必要な器材も買うのを手伝ってくれた、私に投資する方が良いと思ったのだと思う」
彼女がインタビューの中で突然飛びだす言葉は周りを笑わせる。その冗談の中でも父親が彼女に対しての行なってくれたことに対して感謝を余すことなく表した。

少女から女性に

番組の期間を抜いて、孫盛希はデビューして現在まで約5年間、4枚のアルバムを発表している。2014年のファーストアルバム「GIRLS」(7曲が収録されている。)そしてすぐに第26回金曲賞の最優秀新人賞にノミネートされた。2016年のセカンドアルバム「BETWEEN」から2018年のサードアルバム「女、人、Woman」まで。

ファーストアルバム「GIRLS」



少女から女性に至るまでの設定は意図的に設定したわけではない。「GIRLS」では多様な種類のスタイルや方向性を見せてくれたし、セカンドアルバムでは同じく自身の成長を記録しようとした。しかし少女と女性の間、当時26歳の孫盛希、本人もまだ女性の年齢、そして感覚に至っていない、それがアルバム名「BETWEEN」というアルバム名のインスピレーションとなった。
孫盛希は「BETWEEN」は躊躇しないけれど、優柔不断で、色々考えが多いという自身の蠍座の特性をよく表していると付け加えた。

セカンドアルバム「BETWEEN」


最初の2枚のアルバムが好評を経た孫盛希とローリングストーンレコード「既存の枠を抜け出したい」という共通認識を持って、今までしていなかったことに挑戦しようとした。その際「私は自分のスタイルを確立していないような気がしたので、それならそのスタイルをどのように抜け出せばいいのか」そのようなことに悩んだ彼女は、「まずは自分のフレームを作ろう」ときめ、そしてそれは自分をレベルアップさせ女性になるのを助けてくれるだろう。


サードアルバム「女、人Woman」

それはサードアルバム「女、人Woman」はそのフレームを形成する過程を描いた。「女、人Woman」は孫盛希が初めて自身が主として製作をしたアルバムだ。初めて中心となって製作を担ったため、数多くの細かい部分まで全てやりながら学んでいった。例えばProtools、これは音楽編集ソフトだが彼女は元々使うことができなかった。コピーペーストから始まって少しずつ操作の方法を学んでいった。しかしアルバムを誕生させる前は、彼女は目の前の選択と意思疎通するのによく壊れていたという。

GirlsからWomanまで、彼女は最終的に女性の複数像を捨てることにした。つまり多くのトライアンドエラーのなかから、彼女は少しずつ少しずつ最もなりたい1つの個体を探し出した。自身を見つけることでどんどん安定している状態になる。

4枚目アルバム「希遊記」

「女、人Woman」を発売してから数ヶ月も過ぎないうちに、孫盛希はすぐ再び4枚目の実験的なアルバム、「希遊記」を発表した。彼女はその時はすでに疲れ果てていたが、幸いにも2人の有名なプロデューサー、—李欣芸と陳君豪が全てを進めてくれたので、「希遊記」はより完璧な状態で作ることができた。アルバムの中で即興で作曲して同時に録音することも試した。過去の自分私は多くの時間を模索する時間にあてていてどうやって解決するかわからない問題にぶつかったときにいったんほっといていた。1曲あと、少し後にまたその曲に取り組んでいた。
孫盛希は即興で作った際1日で三曲作成することができ、それが面白く感じたし周りを驚かせた。
同時にレコーディングすることは早いペースで1曲を3回から4回のレコーディングで終了させる。
「私は必ずしもレコーディングに時間をかけることが良いことではないことに気づいた。逆にフィーリングであっていれば少しのよくない部分があっても大体2,3回歌えば充分」

彼女はこの経験を通して、2人のプロデューサーから多くのことを学んだ。大衆の期待に応えた形ではない2019年孫盛希は実験的なアルバム「希遊記」は第30回金曲賞の最優秀中国語女性歌手賞等5つの賞にノミネートされ、最優秀中国語アルバム賞を獲得した。

金曲賞獲得後も彼女は止まらなかった。各活動や公演のほか、以前麻吉弟弟とのコラボ「我們」、

両方音楽のキャリアの中で迷った過去があり、盛り込んだ。最近新曲「Someday or One day」は映画「想見你」のOP曲、

そして近日孫盛希映画「《聖人大盜》」の声優、映画のED曲「Let me Fall」を発表した。そのほかにも「希遊記」の2019年第一回ワールドツアーもあった。年末もまだシングルが発行を待っている曲も多くある。一気にスケジュールを話し、「2019年とても充実させて、一気に年末までいってしまった」彼女はスケジュールがいっぱい詰まっていることに驚きと喜びを隠しきれなかった。機会があれば旅行に行ってリラックスしたいという。
幸いにも仕事以外にもファンや友達の励ましやサポートは彼女にとって重要なモチベーションになった。孫盛希は芸能界の友人が多く、アルバムの中のアーティストとのコラボの充実度からも、もしくは彼女のSNSからでも大体推察できる。彼女は最初付き合い始めは警戒しやすく心の壁を作るという。しかし何事も自然で心地の良い関係を好む彼女はそれは人間関係も一緒で善意をもち誠実であれば相手にも通じると信じている。そのような理念を持っていれば自身の見えない壁を破ることができる友人と孫盛希はいつでも遠慮なく気軽に一緒に過ごすことができる。
そのほかにも孫盛希はデビューの頃から応援してくれているファンも、もしくは新しいファンも熱心にコンサートに来てくれることがとても感動する。「彼らは私だけしか見えなくても、何度も曲を来たとしてもそれでも喜んできてくれます。」
時々ファンが自分がSNSで発信しているのを見たらDMで私の健康を気遣ってくれる、夜更かしはしてはダメだと。ファンとの音楽を通して気付いた絆についても、孫盛希はアーティストの最大の楽しみは、観衆と自身の心の中のことを共有し音楽を通してお互い慰めることだという。
将来の計画について、孫盛希は過去の作品は一つのジャンルに限定されることなく非常に多様だった。「希遊記」のあとは何個かのスタイルで濃縮し統一されたアルバムを試したいし、将来もずっと聴衆とファンに視覚と聴覚の饗宴を見せ続けたい。

Welcome to SHI s journey


4枚のアルバムを発表している中で孫盛希は素晴らしいアーティストとのコラボを行なっている。アーティストだけでなく領域を超えて俳優、監督、作家、詩人、占い師、グラフィックデザイナー、ブロガー等々。孫盛希は毎回のコラボを特に印象に残っているという。その中で特に印象に残っているものを挙げると「希遊記」に収録している1曲が「我又不是女超人」の魏如萱だという。「彼女はずっと私の憧れであり、仕事・家庭での成し遂げていること、それに彼女は人を気軽にさせるし、彼女の生活態度から多くのことを学びたい。」
そのほかにも22歳の金曲賞最優秀新人ØZIとの曲「曖」の中で歌詞の創作でシナジーを生み出すだけでなく、色彩豊かなMVも才能あふれる彼がメガホンをとった。それに対して孫盛希は興味を示し「彼の年齢に本当に驚く、そしてできることが本当に多い。本当に彼に感服する」



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