見出し画像

じぶんのクセをすきになる【2-8】すぐに行動したくなっちゃう僕たち



 じぶんのクセって、どうやったら好きになれるんでしょう?僕は嫌いなクセだらけです。朝起きられない自分、仕事で毎回失敗をしてしまう自分、大切な人の期待に応えられない自分…。「こんな自分になりたい」なんて思うんだけど、いつもそれを邪魔してくるようなクセばっかり。嫌になっちゃいます。

 でも、実はそのあなたのクセ、唯一無二の才能に紐付いています。あなたの身体の声を、心の声を、きいてみませんか。そこにきっと、答えはあります。この本を読み終えたらきっと、読む前よりも自分のことがもっと好きになっているはずです。

ーー内容は、クセを受け入れて生きること、じぶんの才能の知り方、個性の感じ方、自然体な生き方、深層心理学、そんな感じ。

 何とか書籍にできるまで、無料で公開し続けます。いや、本当は無料じゃありません。お金を払う前に内容を読めるようにしておきます。

 この原稿を読んで下さった方は、書籍代がわりに下記の僕がやってる個人会社の銀行口座へ1,650円(1,500円+税)を振込、またはこの記事下部のnoteのサポートから払っていってください。でも、読んでも払わなくてもいいです。そうしたら、後から気が向いたときに払ってください。1ヶ月後でも、1年後でも、10年後でもいいです。料理をぱくっと食べてもらえただけで作った側は嬉しかったりします。その代わり、後から払うかもしれません的な暗号として、そっとスキを付けていってやってください。

-----------------------------
▽ 書籍代振込先
PayPay銀行
005 ビジネス営業部
3025641
普通預金
カ)シアル
-----------------------------

 お金をもらえると僕のやる気が出ます。誰かが読んで、何かを感じてくれたことが伝わります。返ってきて、循環します。お金を支払った人と、それを受け取った人の二人の環に、新しい流れが巡ります。そして僕がまた書きます。いや、本当は払ってくれなくてもたぶん僕は書き続けます。でも、やる気が出るのは嬉しいです。


じぶんのクセをすきになる

▽ 目次(原稿が進むほど詳細になっていきます)
第一章 クセと才能って、何のために生まれたんだ?
 ・みんな違ってみんないい。の裏返し
 ・クセの正体は『自然体の偏り』
 ・お金を受け取るクセ、受け取らないクセ
 ・クセとダーウィン
 ・クセの東洋医学。あとちょっと体癖について
 ・一人で生きていけると勘違いしていく僕たち
 ・偏りながら生活するために
 ・「憧れる」あの人にはなれない
第二章 クセを通して才能を聴きとるー実践編
 ・怒れなくなっていく
 ・「分ける」ことが「分かる」こと
 ・あなたの命を守ってきてくれた怒りと不安のクセ
 ・トラウマとコンプレックスの飴を舐める
 ・無気力なじぶん、こんにちは
 ・じぶんの心の奥にある神社にお祈りしに行こ
 ・処世術としてのONとOFF
 ・すぐに行動したくなっちゃう僕たち
 ・無償で与え続けるることで流れが生まれる
第三章 偏り切りながら、全体性の輪を拡げていく
 ・クセに偏りながら、全体性の輪を拡げ続けること
 ・お金が生み出す不安のクセ
 ・偏見は、偏見でしか壊せない
 ・ユング心理学
 ・メンタルモデル
 ・MBTI
 ・体癖


すぐに行動したくなっちゃう僕たち


 こんにちは、とつです。

 今日もクセすきワークをやっていきましょう。

 昨日のワークでは、「処世術を自覚する」ということをやりました。いかがだったでしょうか?これまで無自覚に行っていた自分の行動の意味が分かってきませんか?

 この処世術の行動に、その人のクセが現れているわけですね。みんな、自分の命を守りたいんです。生きたいんです。つながりを失いたくないんです。

 だけどそのためにとっている行動が、千差万別なわけです。それが個人間の争いを生んだり、他者への無理解を生んでしまっているんです。

 みんな、自分のために怒ってあげていただけなんですね。不安になってるんですね。怖いんですね。そのことを知ると、とっても優しくなれます。どんな人にも興味を持つことができます。他者への無限の興味を持った人間同士には、争いは起きません。

 僕がこの本で目指しているのは、個人の才能の開花と同時に、世界平和なんですね。そのふたつが、完全に両立してるわけです。それは同時に起こっていくからです。

***

 さて、八日目のワークです。

【クセすきワーク八日目】処世術で行動してみるのを、辞めてみる。

 処世術の発動に気付いたとき、そのときに咄嗟にとりそうになった行動をとるのを辞めて、より自分の心のために心地のいい選択と行動をとってみる。

 ◯◯を埋めながら以下の文章を紙に書く。

「咄嗟にとろうとした◯◯という行動を辞めて、◯◯という行動をとってみた。そうしたら◯◯という気持ちになった。

 ということで、ついにここまできたかという感じなのですが、もう行動が変わってくる段階まできてます。実際の現実が変わってくるところまできています。

 みなさん、ついてこられていますか?本を読むだけの方は、感じては頂いているものの、自分の行動や現実にまで変化が起こってはないかもしれません。それでも全然いいんです。1,650円分の価値はきっとそれでもあります。そうなるように書いています。

 でも、ワークを実践して下さってる方は、きっと自分の目の前で起こっていくことへの見え方が、少し変わってきている感じがあるんじゃないでしょうか?

 本を読んで感じるだけでも変容は始まっていくように書いているつもりですが、ここに書かれていることを自分と相違わない事だと完全に同化して実践していくことには、読み流すこととは雲泥の差があると思います。

 億劫な人ほど、どうか実践してくださいね。僕の本の価値をあなたに高めてほしいんです。僕の文章の価値は、受け取ったあなた次第なんです。

 物事の価値はいつも、受け取り手の側にあるんです。芸術作品なんかもそうですね。鑑賞者が何を思うかです。何を思ってもいいんです。何を感じてもいんです。自由なんです。

 だからこそ、何かを受け取ろうとすること。受け取っていると実感すること。それが全てなんです。そこからしか始まっていかないんですね。

***

 さて、今回も僕を題材にしてやってみますね。まずはこのワークの感覚を感じとってみてください。

 最近、仕事のことで処世術が発動しそうになったことに気付いて書き留めておいたので、それを題材にしてみます。

 僕はふだん絵や文章(物語や、このエッセイの連載もそうです)などの制作活動をしながら、残りの半分くらいの時間でデザインの仕事をしています。アイデンティティデザインと呼ばれている、会社やブランドの名前やコンセプトをつくったり、ロゴをつくったりするお仕事です。

 最近はこの本を書いていることからわかるように、個人の持つクセ、そして個性や才能が開いていくということにとても興味を持っています。そして、それをデザインの仕事でもやっていきたいなと思い始めています。

 アイデンティティデザインは、マーケティングのように「20代のこういうターゲットにこんな印象を持たせたい」みたいな逆算的な考え方ではなく、「自分の中にこういう意思や考え方があるから、それを内側から外側に向かって表現していきたい」という考え方でデザインをしていくんですね。

 そして、会社やブランドを立ち上げて、名前やロゴをつくりたいという人には、必ずそこに心の動きがあるように感じています。打算や戦略だけではない何かがあるんですね。僕はそこにもっと触れたいなと思ったわけです。
 
 そこにはその人の個人的な内面の変化がいつもあるからです。僕はその変化を、もっともっといい方向に引き出せるんじゃないかと考えているわけです。というか、そういう仕事ができたら最高に楽しいし、むしろ僕の方が元気をもらっちゃうくらいなんじゃないか、って思ったわけです。

 そうしたら、デザインの仕事も、絵を描いたり文章を書いたりする仕事と同じような感覚に近付いてくるんじゃないかと感じたんです。それは、僕の才能が発揮されているということです。開いちゃってるということです。

 そして、先週くらいに友人から新しい仕事の相談がありました。その友人は自分の会社を始めるにあたって、ロゴがほしいという相談を僕にメッセンジャーでくれました。

 ここで僕がいつもだったらとる行動は、二種類です。それは「引き受ける」か「断る」か、です。

 まず「引き受ける」ことを選択する場合には、相手の要望をきいてみます。「ロゴをつくりたいんですね!いいですね!やりたいです!」ってメッセージを返してから、続けて「ちなみに、いつまでにつくりたいとかありますか?あと大体でも予算って決まってたりしますか?」みたいな感じで会話を進めていきます。前提としてこれは、引き受けていく思考と行動ですよね。

 どうやら、このとき僕は「相手の期待に応えたい」と感じています。相談してくれることがすごく嬉しい、頼られることがすごく嬉しい、期待してくれるのがすごく嬉しい、って感じています。

 そして僕はその相手に期待してもらったことに嬉しくなって、瞬発的に「引き受ける」行動からとろうとします。予算やスケジュールが合わなかったら、そこで断ればいい、と。そう考えているわけですね。

 期待に応えることが、この人とのつながりを強くすることだ、と感じているんです。僕のこれまでのワークでの感覚の話と全く一緒ですね。

 「引き受ける」ことは何となく分かりましたが、では「断る」行動も、なぜ処世術に入っているんでしょうか?

 この依頼が来た時、タイミングによっては僕はこんなことを思います。「最近忙しいからな…」「成果物が重くて、ちょっとプレッシャーかかっちゃうな…」「緊張しちゃう相手かも。僕のことを理解してくれていない相手かも…」みたいな感じです。時期や、相手との信頼関係によってここは全然違うんですけどね。単純に嬉しい相手も多いです。

 そしてその懸念要素が大きい場合は、断る判断をするわけです。「すみません、直近の仕事がかなり忙しくてお受けできなさそうです…。またぜひお願いします。」なんてメッセージを返すわけですね。

 ここの「断りたくなっている理由」にも、実は僕のクセが潜んでいるんですね。それは「相手の期待に応えられないのが怖い」という感覚です。

 期待に応えられないと、その人に見捨てられる、つながれない、という感覚が僕の無意識に潜んでいたことが、これまでのワークで分かりました。だから、「期待に応えられなくてつながりが切れるような絶望的な体験をしてしまうのなら、先んじて断る選択をしておこう」となるわけです。

 僕は相談事や仕事の依頼を「断る」ことがそもそもはすっっごく苦手なタイプだったので、これが出来るようになっただけでも、革命が起こったかと思えるほどの変化だったんですけどね。

 それまでは、仕事は選べないものだと思っていたし、相談をもらった全ての仕事をできるだけ受けたいと考えていました。それが正しいやり方だと思ったんです。若手だし、がむしゃらにやらなくちゃ成功できないぞ、いいものつくれないぞ、みたいな考え方です。

 ですが、「断る」ということができるようになって、すごく楽になりました。僕のやりたい仕事の割合を徐々に増やすことができるようになりました。

***

 はい、ということで「引き受ける」ことも「断る」ことも、実はどちらも僕にとっては処世術だったんですね。これについてはかなり最近気付いたことです。

 だって、「引き受ける」と「断る」以外の選択があるとしたら、何があるんだ?って感じじゃないですか?他に何かあるの?って感じです。それに気付けないのは、いつもその【第三の選択肢】は、処世術的な思考(無意識に対する意識)から常に巧妙に隠されているからなんです。人間の防衛本能は根本的には「闘争」か「逃走」しかないんですね。みんな現実の問題を、基本はこの二つのどちらかか、そのハイブリッドで解決してるんじゃないでしょうか。

 では、この三つ目の選択肢について考えてみましょう。

 それは、「待つ」ということと「素直になっちゃう」ということの二つです。

 まず相談のメッセージに来たときに僕は「できるだけ早く返信しよう」と思っていました。だって、相談されてるんだもん。メッセージもらってるんだもん。早く返してもらえた方が嬉しいじゃないですか。というか仕事だから早く返した方がいいなんて当たり前じゃないですか。友達でも一緒ですかね?どうなんでしょう。

 でも、当たり前なんですかね?僕は当たり前だと思っていましたが、みなさんも当たり前だと思っていましたか?僕の場合は、この「メッセージはできるだけ早く返した方がいい」ということも、処世術が働いている部分もあったことに気づきました。

 別に、それが悪いことだ、って言ってるわけじゃないんですよ?処世術は、その人にとっての技術であり、武器になっていることもすごく多いんです。僕の場合は、相手の期待を感じ取る能力が、ものすごく上がりました。その能力を使って、今は仕事をしています。相手の感覚を感知しているわけです。

 処世術のことを「辞めるべきこと」「悪いこと」だとは絶対に思わないでくださいね。それはあなたの命を守ってきてくれた思考と行動なんです。あなたのことを、あなた自身が守ろうとしてきたことです。そのことに敬意を持ってくださいね。ありがとう、僕の防衛本能さん…って染みるようにしてください。

 それくらい、自分のことを大切にしてください。みんなすぐに自分のことを無碍にしますから。ほっといたら一瞬でそっちに引っ張られますよ。自分のことを無条件に愛することって本当に難しいんですね。「処世術は辞めるべきだ」と考え始めたら、またそれは自分への愛ではなくなっちゃいます。条件付きです。厳しいんです。

 なので、僕はまずその友人からのメッセージを一度無視しました。ごめんなさい。でも、社会的な良識は一応あるので「また返信させてください」みたいなことは送りましたよ。でも、友人の相談に関しての返答は、一度しないことにしました。「引き受ける」「断る」こともしない選択をしてみました。あ、これがワークで書く文章の一つ目の穴埋めになっていますね。

 そして、待ってみました。そしてこの仕事に関して感じていることに、もっともっと深く潜ってみました。

 僕は少しプレッシャーを感じていました。それはどうやら、「提案」と「締切」があることへのプレッシャーだったようです。

 デザインのお仕事にはこの「提案」がつきものです。制作物を「こんな案をつくってみました。どうでしょう?」ってクライアントにプレゼンするんですね。

 そして「締切」はもちろん知ってますよね。経験したことがありますよね。どんな仕事にも大抵はあるんじゃないでしょうか。

 ではなぜ僕は、この「提案」について、プレッシャーを感じているのでしょうか。

 プレッシャーという感覚は、「不安」という感覚にも捉えられるように思います。この「不安」の根本へ降りていくんです。これまでのワークでやってきたことと一緒ですね。そうです、すごいんですね、自分の世界の現実で起こっていることの全てに、ワークでやった実践が使えちゃうんです。

「提案」への不安の根本には、やはり「相手の期待に応えられないかもしれない。そうしたら、相手とのつながりは途絶えてしまう」という不安がありました。悲しさがありました。

 そう、僕にとっては「提案」という場が、相手の期待に応えられる成果物をつくれたか、またはつくれていないか、というジャッジが行われる場所だったからです。

 「締切」は、どんな仕事でもありますよね。みなさんもありますかね、締切。この「締切」に僕が感じていたプレッシャーと不安も、同じ原理でした。締切を破ってしまうことは、僕にとってはそれを期待している人間との繋がりへの危うさに繋がっているのでした。僕の人間的な致命的欠陥が相手に露呈してしまうことを恐れているのでした。

 ここで、二つ目のいつもの処世術とは違う選択肢です。「素直になっちゃう」です。僕を緊張させない、不安にさせない、そういう気持ちを持ってみるということです。僕をリラックスさせてあげるわけです。自分にめいいっぱい甘くしてあげるんです。

 僕の場合は、まずその友人にその不安とプレッシャーがどんな心理的な根本から来ているのか、という発見について話してみました。そのときには、仕事を受けるとも断るとも伝えていません。ただ、迷っている事実は伝えます。その迷いを、一番素直に話しちゃうんです。自分から弱さを表現しちゃうんです。

 そうしたら、その友人との新しい仕事の形が見えてきました。それはなんと、「提案」も「締切」もなくす仕事の仕方です。

 僕はびっくりしました。デザインの仕事で、提案も、締切もなくして仕事なんてできるの?って驚きました。でも、できちゃうんですね。実際にそういうことが起こっているわけですから、この出来事が証明しています。

 具体的にはまず、契約を制作物ベースではなく月額契約にして、さらには相手からの支払い義務もなくしました。「ロゴをつくるからいくらいくらです」という形式ではなく、「月額でこれくらい作業するよ〜。だからいくらだよ〜」って決めるわけです。

 もちろん、完成する目安の時期は決めますよ。というか、常に完成日に向けたコミュニケーションをとります。どんどんとお互いの同意の上で締切を決めて、更新していくということです。完成が遅くなることもあるかもしれませんが、その時にはその時間をかける必要があると二者の間で話し合えているわけです。そして何なら、完成が早まることさえあります。締切をベースに動いていないわけですからね。

 これによって実質的に僕にとって仕事から「締切」というものがなくなりました。
 
 そして二つ目に「デザインした成果物はその日のうちに全てを共有する」というやり方になりました。つくったものをまとめて僕が持っていくんじゃなくて、どんどん相手に流すんです。それだけじゃなくて、考えてることや悩んでることさえクライアントにリアルタイムに全て流しちゃいます。

 これによって「提案」がなくなりました。むしろ打ち合わせまで何も上がっていない状態が続くよりも、つくっているものが細かい頻度で上がってくるし、僕がつくっている中で考えていたり悩んでいることも含めてその友人に伝わっていくわけです。むしろ人によっては、そっちの方が有難いってことさえあるんじゃないでしょうか。

***

 これが最近僕が体験した、これまでとってきた処世術による行動に変化が起こった体験でした。

 自分に不安をかけきていることに対して、「克服」もしないし、「遠ざける」こともしない、ってことなんです。

 受け入れなくても、拒絶しなくてもいいと思えたら、現実はどんどん変わっていくんですね。自分の身体と精神がリラックスして、自然体になっていくわけです。

 そんなふうになれた人間は、すごいんですね。自分にプレッシャーをかけなくても、できちゃうわけですから。プレッシャーをかける必要があることは、自然にそれを自分がやらないということを、自分が実は分かっているということです。

 「楽しくない」ってことです。自分にとって楽しかったり、その行動が自分のことを元気にさせてくれたり、癒してくれたり。そういうことだったらいくらでも人間はやるんですね。

 その感覚だけで命を生きていくという感覚を目指しているわけです。そうなれちゃう世界が、実はあるんですね。それが、自分の命を無条件に信頼するということなんです。無条件に自分に愛を与えるということです。

 そうなれた人間は、自分のクセを熟知して使いこなし、溢れる才能のエネルギーだけで周りの人を癒していきます。だって、本人が解放されちゃってますから。緊張している人は、緊張のエネルギーを周囲に与えます。解放されている人は、解放のエネルギーを周りに与えます。人間との関係性の中で、それは必ずリンクしていくんですね。

 さて、今日の僕のワークの文章の空白を埋めてみます。

「咄嗟にとろうとした【仕事を受け入れるか、断るかの二択】という行動を辞めて、【待ってみた。そして自分の感覚に素直になって、ありのままを相手に伝えてみる】という行動をとってみた。

 そうしたら【ものすごく心が楽になった。身体と精神がリラックスしているような気持ちになった。しかもその上で、元々とろうとしていた選択よりも結果相手のためにもなる行動につながる実感が湧いてすごく嬉しい】という気持ちになった。」

***

 はい、ということで八日目のワークでした。いかがだったでしょうか?
 クセをすきになることの凄さを、段々と感じて頂けるようになったのではないでしょうか?

 内面的な変化が、起こっている実際の現実への変化にも繋がってきてしまっています。すでに現実が変わり始めています。

 しかもそれは、僕にとってもすごく楽で、リラックスしていて、元々持っている力をもっと発揮できてしまって、さらに相手にとっても価値があることができちゃうような変化を起こしてしまったわけです。改めて、クセってすごいですね。

 さて、そろそろこのクセすきワークも終わりが近付いてきました。僕自身もこのワークをあなたと一緒にやることで劇的な変化を遂げさせてもらいました。僕自身この文章に何より救われているわけですね。

 そして書籍代を振り込んで下さったり、感想のメッセージを下さっている方もどんどんと増えてきました。無償で与え続けていることが、何かの流れを起こし始めていることを僕も感じています。受け取って下さった方からそのことを知るのは、すごく嬉しいことですね。

 寂しいですが、明日が最後のワークになるかもしれません。いや、ならないかもしれません。書き進めれば、それも分かってきます。

 僕と一緒にこの生の感覚も味わって下さったらすごく嬉しいです。これも僕のクセなんですね。この書き方が一番、すごく大切なことを芯を食って書けるわけです。

 ではまた明日。


【クセすきワーク八日目】処世術で行動してみるのを、辞めてみる。

 処世術の発動に気付いたとき、そのときに咄嗟にとりそうになった行動をとるのを辞めて、より自分の心のために心地のいい選択と行動をとってみる。

 ◯◯を埋めながら以下の文章を紙に書く。

「咄嗟にとろうとした◯◯という行動を辞めて、◯◯という行動をとってみた。そうしたら◯◯という気持ちになった。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?