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じぶんのクセをすきになる【1-8】「憧れる」あの人にはなれない


 じぶんのクセって、どうやったら好きになれるんでしょう?僕は嫌いなクセだらけです。朝起きられない自分、仕事で毎回失敗をしてしまう自分、大切な人の期待に応えられない自分…。「こんな自分になりたい」なんて思うんだけど、いつもそれを邪魔してくるようなクセばっかり。嫌になっちゃいます。

 でも、実はそのあなたのクセ、唯一無二の才能に紐付いています。あなたの身体の声を、心の声を、きいてみませんか。そこにきっと、答えはあります。この本を読み終えたらきっと、読む前よりも自分のことがもっと好きになっているはずです。

ーー内容は、クセを受け入れて生きること、じぶんの才能の知り方、個性の感じ方、自然体な生き方、深層心理学、そんな感じ。

 何とか書籍にできるまで、無料で公開し続けます。いや、本当は無料じゃありません。お金を払う前に内容を読めるようにしておきます。

 この原稿を読んで下さった方は、書籍代がわりに下記の僕がやってる個人会社の銀行口座へ1,650円(1,500円+税)を振込、またはこの記事下部のnoteのサポートから払っていってください。でも、読んでも払わなくてもいいです。そうしたら、後から気が向いたときに払ってください。1ヶ月後でも、1年後でも、10年後でもいいです。料理をぱくっと食べてもらえただけで作った側は嬉しかったりします。その代わり、後から払うかもしれません的な暗号として、そっとスキを付けていってやってください。

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 お金をもらえると僕のやる気が出ます。誰かが読んで、何かを感じてくれたことが伝わります。返ってきて、循環します。お金を支払った人と、それを受け取った人の二人の環に、新しい流れが巡ります。そして僕がまた書きます。いや、本当は払ってくれなくてもたぶん僕は書き続けます。でも、やる気が出るのは嬉しいです。


じぶんのクセをすきになる

▽ 目次(原稿が進むほど詳細になっていきます)
第一章 クセと才能って、何のために生まれたんだ?
 ・みんな違ってみんないい。の裏返し
 ・クセの正体は『自然体の偏り』
 ・お金を受け取るクセ、受け取らないクセ
 ・クセとダーウィン
 ・クセの東洋医学。あとちょっと体癖について
 ・一人で生きていけると勘違いしていく僕たち
 ・偏りながら生活するために
 ・「憧れる」あの人にはなれない
第二章 クセを通して才能を聴きとるー実践編
 ・痛みを思い出す
 ・無意識の信念を自覚する
 ・処世術の発動に気付いてあげる
 ・反射神経で行動するのを辞めてみる
 ・無償で与え続けるることで流れが生まれる
第三章 偏り切りながら、全体性の輪を拡げていく
 ・クセに偏りながら、全体性の輪を拡げ続けること
 ・お金が生み出す不安のクセ
 ・偏見は、偏見でしか壊せない
 ・ユング心理学
 ・メンタルモデル
 ・MBTI
 ・体癖


 前回までの3日分に渡って、「クセのある僕たちが、他者と共に生きるわけ」ということについて、考えてきました。他者と共に生きる理由みたいなことの大事なことはかなり書けたような気がしています。
 人はひとりでは生活を続けられない、ということについて書きました。ひとりでもそれなりに生活できてしまうが、そこには持続する力がない、ということです。それはなぜかというと、人はひとりでは自分の偏りを食い止められないからです。クセによって自然な方向にどんどんと体と心が傾いていくことを、止められないからです。
 そしてお金は、この「ひとりで生活する」こと=自立を、助けてくれているように見えて、実は、依存先を「知っている誰か」(例えば一番わかりやすいのは、親ですかね。もし今この本を読んでくれているあなたがペットとして養われている男性であるなら、飼い主の女性のことですね)から、「多数の匿名の誰か」にすり替えていることを助けてくれているに過ぎない、という話をしました。現代の資本主義、つまり無限に成長することを前提とした経済市場の中では、お金がどんどんと依存先の匿名性を高めていく道具として使われているわけです。

 さて、前回の最後でクセを持つ僕たちが他者と存在することには、ふたつの意味があると言いました。ひとつは、自分のクセが偏りすぎて、生活に危険が及んでしまうことを避けること。そして生き延びる。そのために他者のクセを利用する。共同生活者のクセは、また他人なので全く異なっているはずです。異なったクセを持つもの同士が一緒に生活することによって、お互いのクセによって生活が崩壊することがなくなるわけです。よく「似た者同士」だね、みたいなことを結婚相手のパートナーに対して言う人がいますが、クセにおいても「似た者同士」過ぎると、お互いの生活の崩壊が止められません。

 人間には「憧れ」という感情があります。この「憧れ」という感情って面白くて、自分が必ず持っていないものに対して起こるんです。もともと持っているものには、憧れません。例えば、絶望的に理系科目が苦手な人が、理系の人に憧れる。あの人は平然と、数学でも物理でも高得点をとっている。私はこんなに勉強しているのに全然得点が上がらない…。となれば、その理系の人に憧れを持つかもしれません。
 逆に、すごく朝早く起きて活動を始める人がいます。その人は昔からいつも、五時半にはいつも決まって目を覚ましてしまうらしいのです。全然朝が起きられない僕からしたら、それってとんでもないことです。羨ましすぎます。朝起きられないくせに、朝のあの気持ちいい時間は大好きなんです。でも、その人からしたら朝起きてしまうことには何の感情も持っていません。だって、普通のことですもん。自分にとってずっと普通だったことです。ちょっと得だなくらいには思ってるんちゃうの?って考えちゃうのが僕ですが、それも持たざる者の発想ですね、多分。当人は全然気にしていないのが、クセの面白いポイントです。
 そう、「憧れ」は自分が欠損している場所からしか起きない、ということなんですね。面白いですね。なんでなのでしょうか?

 感情というものはそもそも、人間が生き延びるために取り付けられた装置なんじゃないかと思っています。恐怖は、命の危険を教えてくれています。その現実を避けないと、命が危ないよ、と感情が教えてくれているわけです。悲しみは、それが望まない現実だったということを、そして喜びは、それが望んだ体験だったということを教えてくれます。本当は、恐怖と不安に対して、悲しみや喜びはレイヤーの違う感覚なんじゃないかと思っているのですが、それは第二章で詳しく書いていくことにしますね。それも「クセ」にとってすごくすごく大切な話なんです。
 なぜ自分の持っていないものに「憧れる」かというと、その形質、つまり他の人のクセを自分が持ち合わせていないと、命が危険になってしまう、ということなんです。前回お話した、偏りすぎて生き延びることができない、という話と一緒です。
 例えば狩猟時代に、極端に足が遅い特性を持って生まれてきてしまった人は、トラに食い殺されてしまうかもしれないわけです。また、猟をしても足が遅くて鹿に追いつけないので、食料を手に入れられないわけです。その人の命は、危険です。生き延びる力が足りていないわけです。だから、足が速い人に憧れるわけです。なんとかその形質を手に入れよう、という感情の仕掛けが働いちゃうんですね。
 じぶんのクセをすきになるためのコツとして、そのときに大事なことは「自分にはこれが足りない」と思わないことです。人は誰しも、自分に足りないものを埋めようとしてしまいます。それはいつも、咄嗟に行われます。無意識がそうさせているんですね。不安を感じたり、恐怖を感じたりすると、人は自分に足りていなかった何かを埋めようとします。欠点を補う感じですね。でも、欠点を補うことには、限界があります。なぜかというと、クセは治らないからです。先天的なものだからです。もちろん、欠点を補ったフリはできます。みんな生まれたときから本当は欠陥だらけで、クセだらけなのに、それが埋められて綺麗になったようなフリをして生きています。そうしないと、生きていけないと思ったからです。憧れたんです、最初はみんな。自分のないものを得ようとしてきたんですね。
 じゃあ、致命的に足が遅い性質を持って生まれてきた人はどうすればいいんだ?っていうことになりますよね。クセが先天的で、治らないのであれば、どうしたらいいんでしょう?国語が苦手な人は?物理が苦手な人は?朝起きれない人は?大切な約束に遅刻しちゃう人は?いつも仕事の決定的な場面でミスをしちゃう人は?どうしたらいんでしょうか。じゃあこういう生きづらさみたいなものはどう自分で頑張っても治らないなら、ある意味では生きることは絶望なんだくらいに思われるかもしれません。そんなの救いがないよ、って。
 でも、そうじゃないんですね。それは全てあなたが、自分のクセを受け入れて、許してあげられていないから起こっていることだったんです。あなたが、あなたしか持っていない才能への自覚が低すぎるんです。そんなに素敵な才能を持っているのに、自分がその才能のことを全然信じてあげていないんです。だから、埋めようとしてしまうんです。欠陥をなくそうとしてしまうんです。信じてあげられていないから、不安になるんです。自分に愛情をあげられていないから、他の人にも愛をあげられなくなっているんです。生き延びるために、頑張ることだけに、たくさんのエネルギーを使ってしまうわけです。
 そんな抽象的なこと言われても、って感じですかね。根本的なことって、いつも抽象的ですよね。仕方ないです。それが分離しない世界の言葉です。心身一如という東洋思想の世界の言葉なんですね。体と心を分離しないんです。他者と自己を分離しないんです。自然と一つの命を分離しないんです。そうやって考えることで、根本的なことにたどり着けます。根本的なことに辿り着こうと思わないと、現実ではいつまでも同じことを繰り返してしまうんです。一度かゆみ止めを塗っても、またかゆくなったら再発しちゃうんですね。ずっと古傷が痛み続けるわけです。クセをすきになることには、そんな傷さえも癒していく力があるんです。コンプレックスと呼ばれているやつです。そして繰り返し起こっていたことを、根本的に違う意味に変えてしまうようなことができる力があるということなんです。この本では、言葉を変えたり、扱う分野を変えてみたりしながら、そのことだけをずっと伝えようとしているわけです。

 でも、僕たちには西洋医学も必要です。まず、生き延びなくちゃいけないわけですから。どんなクセを持っていても、同じこの目の前に広がる世界を生きなくちゃいけないわけです。この同じ時代に生まれて、今この現実を生き延びる必要性があるわけです。
 だから、他者と共に生きることが、再び僕たちに求められているんだと思います。もっと偏ったままに、自然体で生まれたままに生きていける世界になってほしい。だけど、偏りすぎてしまうと現実での眼の前の生きづらさが生まれてきてしまう。その「自分から見えている世界」を根本から変えてしまうことがクセの力なわけですが、それをするためにはある程度の時間も必要です。誰しもすぐにそうやって、クセをすきになれるわけではないです。本当の意味ですぐに受け入れられて、自己と他者に無償に愛をあげられるようになるわけではないです。そういう人は稀なわけで、大体の人は(僕もそうですが)それなりに時間がかかります。
 憧れは、恋愛的な「好き」という感情とも紐付きが強いんじゃないかと思っています。憧れることは、自分の足りていないものを自分自身の中だけで補うためではなく、他者と共に生きることで生き抜く力を持つ、ということのためにある感情なのではないか、と思います。というよりも、現代の社会ではそちらの面の方が重要な意味を持っているんじゃないか、ということです。それは、最近の都市生活が「ひとりで生きる」ことを助長しすぎているからです。ひとりで生きることが普通になっていくほどに、ひとりとして生き延びるために完全体にならなくてはいけなくなってしまいます。様々な欠けを、お金を使って埋めていくんです。それで、埋まった気になってしまうわけです。だって、自分のお金で、自分の欠けを埋められたと錯覚できてしまうから。自立できている、という感覚になってしまうんです。
 「憧れ」によって、自分の欠けを補おうとするわけではないんです。ここがとても大事な感覚です。生き延びるんです。他者と共に生きることを、喜ぶんです。お互いの欠けに興味を持ち続けて、楽しみ合うんです。そして、もう自分の欠けを埋めようとしなくてもいいんだ、と許してあげられるようになるということなんです。そこにはとても大事な違いがあります。

ということで、今日は「憧れ」の仕組みについて書いていきました。クセから、憧れも起こっているんですね。みんなそれぞれ、憧れるものが全然違うわけです。好きな人に、「憧れていることってある?」ってきいてみるのは、その人のクセを体感するためにすごく面白い質問かもしれません。憧れているってことは、その人が元々持っていないものということですから。その人のクセがそこにある、っていうことですね。楽しくなっちゃいますね。
 明日からは、気分が変わっていなければ、第二章に入っていければと思っています。ここまでは、色々な言葉や分野を通して「クセ」というものの正体について観察してきたわけですが、次からはもう少し実践編として本を書き進められればと思っています。
 本の構成の大枠も、どんどんと見えてきました。書き進めるごとに、日に日に僕が「クセ」を通して何を書きたかったのかが、すごくクリアになっていくような感覚です。日々、僕も僕の文章に救われています。癒やされています。誰かにとっても、この本がそんな癒しの感覚をもたらしてくれるものになっていたらいいな。そう信じて、とにかく与え続けます。有無を言わせず僕の方からシャワーのように無償で浴びせ続けていきます。そこからしか流れは生まれてこないんですね。そして何かを感じ取ってくれたら、その感覚を大切にして下さい。そして僕の個人会社の銀行口座か、noteのサポートからこの本の金額1,650円(1,500円+税)を振り込んでください。そして僕はまた書きます。流れが伝わったことを知ります。そしたらもっと大きな流れの中に入っていけます。気持ちよくなれます。
 ということで、また明日。では。

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