実用主義を基礎づくる哲学や思想、倫理、文化尊重の必要性

コスト削減のいつか来た道「ジョブ型」雇用の危うさ 河合 薫
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00082/?n_cid=nbponb_fbbn
健康社会学者(Ph.D.)
「言葉を理解できない大学生が増加、今の教育では対処できない理由」
https://diamond.jp/articles/-/242870

 今朝、SNSサーチをしていて目についた記事は奇しくもアプローチは違えど、教育について書かれている二つの記事だった。
 前者は「ジョブ型」雇用、コロナ禍で企業がリモートを導入する中でその人材管理の方法を変える必要性を感じ、さまざまな企業が「ジョブ型」を標榜し始めているのは、旧前のバブル後と同じような成果主義の導入ブームと同じではないか、そんなことをして会社が社員の教育を放棄してしまったら、だれが人を育てるのか?という内容。
 後者は、高等教育が実用教育に傾斜していることに呼応してか、初等教育までもが、実用主義にうつり、英語教育をして、そもそも国語ができない人たちを濫造しているという話。
 実は、二つとも新しくは特にない論点だと感じるが、一方で、相当な危機感を感じることも事実だ。わたしがフィールドにしている分野の一つである福祉(医療)分野は実用教育を受けてきた人たちが圧倒的に多い世界だ。この20~30年、資格化が進み、いまや資格をもっていないと仕事ができないようになってきてもいる。資格のヒエラルキー化、階層化も進んでいる。高齢化社会や家庭機能の外部化が起こり、ニーズ爆発が起こる中でその傾向がどんどん進んできたことと同時期に、大学の全入化が起こり、そうした福祉やコメディカルの資格を大学で学ぶこともまさに時代の流れであった。 いまの30代、コメディカルや福祉の現場では中核的な存在になってきた彼らがすでに、そのはじまり世代でもある。
 福祉や医療の世界は、「人」相手の仕事である。人はひとりとして同じ人はいない。コミュニケーションの手段もさまざまなである。また、福祉や医療の世界で出会う人は、WHOのいう「健康でない状態」である人たちがほとんどだ。そこにもとめられるものは、実用的な技術やスキルの基礎を形作る「哲学」や「思想」そして、「倫理」、文化尊重の姿勢そのための「知」であるはずだ。しかし、専門職教育の中で行われている教育やそもそもの初等教育や中等教育の中でそれらのことを育んできた経験が圧倒的に不足しているのではないか、と感じることが多い。
 いま、改めて、常識になっている実用的な技術やスキルの基礎を考え直す取り組みをはじめたのは、そんな思いが私自身の中にはある。

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