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【無料記事】対話についての対話 青識亜論氏とのツイキャス追論【ヒトシンカ】

 先日(9/12)、私ヒトシンカと、いわゆる「表現の自由界隈」で有名なネット論客・青識亜論氏とのツイキャス討論の機会があった。

 取り扱ったテーマは「フェミニスト相手に、いかに議論するか」ということである。

 「そもそもあいつらと話し合う必要などない!」という人もいる。フェミニストの側にも、表現の自由を守りたい側にも(割合的に言えば、多分フェミニストの方が議論を嫌っている)。私と青識氏はそうではない。むしろ議論を重視する立場だ。
 しかしその方法論において大きく異なる点が目立ってきたので、今回ツイキャスに招いて頂き、話し合うことになったわけである。

 フェミニストの基本的な行動パターンとして、ある表現物――ポスターやアニメ、漫画等に難癖をつける。仮にその難癖を、理由Aとしよう。たとえば「キャラクターが巨乳である」「セクシーな格好をしている」「公共の場に置かれている」といった具合である。
 彼女らは「フェミニストが問題視しているのはAだけ。それだけのことなのに何を過剰反応しているの? 規制がエスカレートなんてありえないのwオタクの妄想!」と言い張る。
 しかしそれは必ず嘘であったし、嘘である。これからも嘘だろう。

 特にフェミニスト愛用の理屈が「公共の場での性的なものは相応しくない」であったのを思い出してみればいい。性的とは何か?それは宇崎ちゃんの巨乳であったり、高海千歌のスカートの皺であった。
 それが今や、ターゲットがこれである。

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 我々がどれほど言葉を尽くして作品についてフェミニストの思い込みを指摘し、誤解を解き、悪影響などないことを統計をもって説得しても、彼女らは決して改心などしない。しなかったのだ。何度やっても。

 にもかかわらず、私はフェミニストとの対話は大切だと考えている。それは周囲に対して、フェミニストがいかに愚かしいか、その論に与することがいかに負け筋かということを晒し上げるにあたって「議論の実例を見せる」ことが最も有効なひとつだからだ。議論の意義は外部に求められ、議論相手本人が改心する希望はなくても議論の意志は存続する。

 つまり言ってしまえば「フェミは嘘つき」「フェミはバカ」「フェミの言うことはおかしい」という、まさに人格そのものの問題点を知らしめることにあるわけだ。ネガティブキャンペーンである。

 青識亜論氏は「人格攻撃や容姿叩きをする人がいてはいけない」という。氏のいう「人格攻撃」とは、単なる悪口のみではない。フェミニストの発言の変遷を晒し、それをして相手が嘘吐きであると指摘したり、相手の動機としてたとえば「負の性欲」を想定した発言も全て含まれる。
 そして、そのような言及をする人自体がいなくならなければならないと主張する。

 その理由として青識氏は
1.第三者に対する印象も悪くなるから
2.対等な人間として認め合う議論をすることが民主主義の理想だから

 とツイキャスで言っていたわけである。
 さて、ここで議論を再整理しよう。

1.「第三者に対する印象も悪くなる」か

 残念ながら、これを理由に私は、フェミニストの人格に言及する人が出てはいけないとは思えない。

 確かに、フェミニストの変遷する言い分を周囲がすべて読んでくれて、その結果、こちらが一切手を汚して悪口を言うことなく、周囲が勝手に「ああこいつら嘘つきだな」という結論に達してくれれば理想である。
 が、繰り返されるネット上の議論というものを最初から最後まで追ってくれる人は少ない。一見さんにとっては、たとえば宇崎ちゃん献血ポスターに関する議論で我々が勝利した件についても、それのみでは「宇崎ちゃんのポスターは問題ないんだな」というだけである。
 それに付随して、「前はこう言ってたじゃないか、この嘘吐きどもがw」と周囲にアピールしなければ、社会的にはフェミニストにとって何の失点にもならない。フェミニスト自身から、論破された逆恨みだけは買えるだろうが。

 もちろん、どんなに理不尽な言い掛かりをつけられても、どれだけ表現を奪われても相手を傷つける反論はせず、ただ表現物をおとなしい口調で弁護するだけの人を「なんて忍耐強くて理性的なんだ!この人はすばらしい!」と思ってくれる人も中にはいるかもしれない。
 しかしそんな人はごく少数である。ほとんどの人間にとってそれは「いじめられっ子」のしぐさでしかない。だからこそその方法では、オタクはオタク差別から復権できなかったのだ。オタクが市民権を得るようになったのは、それが金になることが認知されたからに過ぎない。

 特に女性にとってはそうである。
 女性は大人しさや理性よりも、原始的な性選択の名残りとして、むしろ暴力性を評価する。さらにはフェミニストのような原始的な女性の欲望に突き動かされているタイプの女性こそが、特に特にそうである。

 つまり強く反撃して、フェミの負け組ぶりを見せることは「フェミニスト予備軍」が新たにフェミに加入するのを防ぐ効果がある。そして青識流のやり方では「フェミになってオタクを叩くのは安全な娯楽」(何しろ自身は一切オタクの反撃を受けないのだから)ということになり、フェミ達は安心して、実在の児童虐待そっちのけでアニメのポスターを叩き続けるだろう。今までそうだったように。

 ぶっちゃけた言い方をするなら「いじめっ子の方がいじめられっ子よりモテる」のである。この言い方に道徳的抵抗感があるなら「いじめられっ子はいじめっ子以上にモテない」と言い換えてもいい。同じ事である。

 理性的な議論もよいが、一般大衆には「からかっているのはどちらか」「いじめているのはどっちか」が勝敗認定のコアとなりがちなのだ。


 またそもそも、実際にそういう人が存在することがオタク側の風評に対する「悪影響」になるとしても、だからといって青識氏にも私にも、そういう人たちを根絶することなどできはしない。最も単純かつ愚かしく、フェミニストに対し「ブース!ブース!」としか言えない人だって、常にある程度存在し続けるのだ。

 それはもうどうしようもなく存在するものとして、受け容れていくしかない。
 その上で自分が「良い警官・悪い警官」の良い警官として、表現規制反対派の利益が最大になるように立ち回っていくしかないのだ。

2.対等な人間として認め合って議論する民主主義の理想

 青識氏はフェミニストの「人格」「容姿」について言及することが「対等な人間として認め合う議論ではない」と考えているようだ。

 確かに、AとBが議論するとき、議題が全く両者の人格に関連のないことであれば、青識氏のやり方が議論として正攻法であろう。たとえば「地球と太陽はどちらが相手を周回しているのか」とか。

 しかしフェミニストと我々はそんな話をしているのではない。

 我々の人格から生み出される表現物(アニメ・ゲーム・漫画等)に対し、彼女らの人格がどのように感じるか(不快感・自称傷つき・負の性欲)。そしてそれらが全ての人々の人格にどのような影響(犯罪や差別の抑制や助長。規制の悪影響等)を与えるか。それが「表現の是非を論じる」ということである。

 つまりフェミニストの人格はこのテーマにおいて、単なる議論相手ではない。議題そのものの一部でもあるのだ。そこに内容の縛りを掛けてしまったら、むしろ議論が成り立たない。

 昔から「オタクはモテないので実際の女性との付き合いから逃避してアニメを見ているのだ。そういう奴は性的にまともでないので幼女に性犯罪を起こす」という議論がある。

 我々はこれをどうしていただろうか。
 規制前と規制後の統計・規制の多い国と少ない国の統計を示して我々の文化が性犯罪を助長していないことを提示した。また児童性虐待が見知らぬオタクではなく、圧倒的に親や教師・キリスト教圏であれば聖職者など「子供の身近で権力を振るえる保護者」によって行われていることも示した。
 決して、「それはオタクの人格への言及だからやめましょう」ではなかったはずだ。仮にそう言っていたとしても相手にされるはずもなかったし、今ふりかえっても「そう言うべきだった」とは思われない。
 おそらくそう言えば「児童性虐待という重大な問題なのに『俺達が不愉快だから言うな』だと!それみろオタクは身勝手だ!」とやられていたに違いない。

 そしてオタクは今でもフェミニストからは同じような攻撃を受け続けている。違うのは、今は味方が大勢いるということだ。我々が社会にもたらしたお金と娯楽のおかげで。

 繰り返しになるが、紳士的な議論やディベートにおいて、人格を問題にするのがルール違反なのは、それが「普通は」議題内容と何の関係もないことで優位に立とうする行為だからである。そのものが議題に含まれているときにその禁止は意味をなさない。

 我々は性犯罪者予備軍呼ばわりされていた、こちらが圧倒的不利であった局面において、それを受け入れて議論に応じてきたではないか。フェミニストも当時の我々と同じようにすれば良いだけである。

 もちろんそこには不快感を伴う。
 だが相手がそれに耐えて議論ができないと最初からみなすことこそ、女性やフェミニストを議論の相手方として対等に捉えられていないことにほかならない。本当に対等な議論の好敵手とするならばむしろ、我々にできたことは彼らにもできると考えるべきだろう。

 フェミニスト側もオタク側も「人格の話だから」「容姿の話だから」と拒絶するのではなく、そこを考えに入れた議論に堂々と踏み込んで、論じ合えば良いのである。

 どちらかが一方的ではなく、互いにそうするのであれば「対等な人間として認め合って議論をする民主主義の理想」に何を恥じることがあるだろうか。

(文責・ヒトシンカ)


 

 

 




 


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