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2023年3月、本を作ろうと思った鳥取でのできごと

はじめまして。みうらです。
最近、本を作ろうと思い立ち、こっそり書きためていこうと決めたのですが、「自分の手元だけで書くのがいいか、公開して書いていくのがいいか」悩み、一旦両方やってみることにして、2023年4月の最初に始めたのが、このnoteです。
来てくださり、ありがとうございます。

<自己紹介>
東京出身。2020年3月から、鳥取在住。
教員(今のところ、英語)。28歳女性。
ひとり暮らし。本好き。趣味は積読、カフェ巡り。(元々は観劇。)
苦手なことはスポーツを上手にやることと細かい手作業。
2023年1月、潰瘍性大腸炎を発症し、難病と向き合う人生がスタート。
Podcast「Book Club」運営中。

こんな感じで、Podcastの方でもnoteにちらほらかいております。(基本は書評中心。)

ということで、今日は、私がなぜ本を書くに至るかの道のりを書いておきます。

鳥取のある本屋の閉店

3月、鳥取に帰ってから、ひきこもりつつ、1人でぶらぶらライフを過ごしていた。
潰瘍性大腸炎の治療で、ステロイドを飲み始めた私は、薬の関係で感染症にかかりやすかったり、食べるものに気を遣ったりする。
3月の前半戦は腹痛もあったり、調子の悪い日もあったものの、後半は片道1時間くらいのドライブもする余裕が生まれてきた。
体力が落ちたので、4月の復帰に向けて1人でカフェ行くか、散歩するくらいの毎日。

と、そこに飛び込んできたのが、4月中旬、『定有堂書店』の閉店の一報
『定有堂(ていゆうどう)』は、鳥取駅前の若桜橋を越えたところにある街の本屋。「書店員の聖地」とも呼ばれている。

2019年6月、今の職場での選考の前に行った場所がこの書店で、「あ、人文書買えるな」と安心してから、選考に行った。

2020年、移住して3、4ヶ月で「読む会」という月1の読書会に参加し、そこから本屋に行くと店主の奈良さんに話しかけられまくるという体験を初めてした。それまで、私が通っていたのは、ジュンク堂書店だったので、店員さんと話し込むことなどなかった。
8月、「書いてみませんか?」と『音信不通』というフリーの冊子への寄稿を頼まれた。
最初に書いた文は、父方の祖父との思い出話。
今思えば、私が書いた文を見たわけではないのに、奈良さんは何を思ってか、誘ってくださった。
そこから「いい文章ですね」と褒めてくださる。それ以来、2年半以上書き続けている。

書くことは好きだった。子どもの頃、色々な職業につきたくて、「作家になる」と豪語していた。
ただ、「作家っていろんなこと経験してからでもなれるんですよ。」とどこかで先生に言われて、職業作家を目指すことには引っ掛かりを感じてしまった。大学時代は、脚本家にも憧れたが、登場人物を語らせすぎてしまうよくない書き方しかできなかった。
いずれにせよ、中高時代も、大学時代も、読書感想文などなどで賞を取ったりする世界からは縁遠く、書いた物を褒められることはそこまで多くなかった。
書くことは好きだったにも関わらず、「下手の横好き」という認識。
なので自意識としては、「そんなにいいのか…?」「どこまで書いていいのか?」と不安になりながら、でも認めてもらえるのが嬉しくて、いや意外と書けてしまうので、書き続けてきた。

定有堂書店

そんな中で、同じ『音信不通』の寄稿者の方と実際に遭遇することが、3月末にあった。
「心配してたんですよ」と私の体のことを気遣ってくださったり、「読ませる文章を書きますよね」と感想をいただいたり。
今までの人生にない不思議な感覚で、「あ、私、鳥取に居場所ができていたんだな」とあたたかな気持ちが流れ込んできた。

書いてしまうのは怖いことだけれど、思わぬつながりを生む。

(ちなみに、この居場所『音信不通』は、本屋が閉まっても続くことになり、HPに上がる予定だ。
「読む会」も継続されるそうなので、確認していただきたい。)

2023年3月25日、夜のできごと

3/25、土曜日。あるイベントに参加した。
「私のための本のつくりかた」という鳥取県中部・湯梨浜町の『たみ』でのイベント。
個人が本を作ることをテーマにした内容ということで、「本」というテーマに惹かれて、向かった。


この頃には、私も40分ドライブできるだけの体力が戻ってきていた。
湯梨浜町という、東郷池近くの温泉と名産の梨で知られるこの一帯は、平成の大合併でこのような名前になったらしい。

東郷池


私にとって、東郷池のほとりに醸成されているカルチャーは、移住2年目に発見した居心地の良いものだった。
汽水湖の湖畔に小屋のようにある『汽水空港』という本屋は、新刊・古本あわせて、小さな宇宙を生み出している。

通い出すきっかけになったのは、2021年の夏に開かれたjig theaterという旧小学校にあるミニシアター。「戸惑い」を案内する映画館とあるように、普段の日常では出会えない世界に行くことができる。

そこで映画を観た余韻に浸りながら、『Librarie』などのカフェでひとりお茶するのがルーティンだ。
そのエリアに『たみ』はある。中の写真撮影禁止のゲストハウス。初潜入となった。
会場に着くと知り合いの知り合いの世界が広がっていた。久しぶりに「アウェー」と感じた私は、始まるまで「どうしよう、本読んどくか」といつも通りに本を開いてやり過ごした。
しばらくして、15分押しでイベントが始まった。

お2人の本がこちら(もちろん購入した)

『山と人』を作ったインディペンデント・キュレーターの石川さん、『プンニャラペン』を個人で、他にも麓出版で本を出しているライター・編集者の山本さんをゲストに、〇〇不動産などの活動を鳥取でしている野口さんが進行していく。
小さなイベントでまず全員の自己紹介が始まる。
すると、「え、こんなに個人で本を作ってる人がいるの?」と思うくらいZINEを作っていたり、絵本を出していたり、自分の作品をまとめていたり、文学フリマに出品したりする方々と様々。本屋の方も参加していた。印刷などマニアックな技術の話から、本に込めた思いまで、話は飛びに飛んだ。
個人制作の本、ZINEなどはなかなか本屋に置いてもらえない。その本屋さんがどんな読者とつながりがあるか次第で、置いてもらえたり、断られたりする。本を通じて、書き手と読み手がつながり合うのは奇跡だ。

そうやって聞いているうちに、段々と「ほくほく」していった。
これは本を作るしかない、と。
それも世界の片隅で自分の超極私的な話でいいのかもしれない、と。
とふとうかんだのは去年亡くなった祖父母の顔。そして社会人1年目の秋に亡くなったもう1人の祖父の顔。
都会の片隅で生き続けたただの私の家族。あんなに素晴らしく、おかしく、ただの普通の人たちのことを自分の胸にしまっておくのが勿体無い気がした。
その記録とその物語を本の形にしておきたい。
商業出版を意識すると遠すぎるし、そこまでやるのは恥ずかしいような気もする。
でも山本さんみたいに自己紹介の本を配るようなつもりで書いたら?
石川さんの言うように印刷される本でしか書けないことがあるなら?
誰の役にも立たない。いや、きっと家族には迷惑をかけるのだが。
自分のためだけに書いて、巡り巡って誰かにも届け、と思って、そのあたたかな気持ちを書き残していこうと思う。

本が動かす私

〇〇市

その後数日は、パータンの〇〇市の古本市「〇〇Book Cook」に行ったり、翌日買いきれなかった本を汽水空港さんまで買いに行ったり。
大阪から出店していたCaloさんのZINEには手紙をまとめたものや、「泣けます」と差し出されたタイの小説など、私が知らなかった本の世界が開かれた。
結局たくさん買って帰った。
本にはお金を惜しまない。

〇〇BOOK COOKの戦利品
手紙をまとめたZINEとタイの翻訳小説にびっくり

3/28には、定有堂書店の「読む会」に久しぶりに行った。
昼間、『千年の読書』著者の三砂さんの読書室による読書会にも参加した。おかげで読書会2連続。
「読む会」の選書をしている岩田先生による『橋田邦彦・現象学・アーレントの再解釈―生活世界における公共性と倫理―』を読む。
正直いえば、病み上がりの私にはなかなか厳しい本であったが、少しでも理解できたらという思いで向かった。
そんな本を介した読書会だったからこそ、やっと少し理解できたり、それぞれの読み方を垣間見たり。「本は救いになる」という思いから、京都から鳥取まで通えてしまう三砂さんに圧倒される。

本のおかげで色々な人に出会えた。
やっぱりすごいじゃないか、本。
人を集める引力がある。

私は、鳥取に来て、本を通して「書くこと」に出会って、今を生きていると思う。
その機会に出会わせていただいた定有堂書店さんに感謝している。
鳥取に来なければ、私が「書くこと」に出会うのはもっと後だったかもしれない。

私が書き続けられるよう、応援していただきたいです

以上が、私の所信表明です。

それでも仕事が始まったら、また書けなくなるだろうな、怖いなと思っています。
本当、忙しいと書かなくなるんですよ、人間って。
私、人間なんです…。
日々の流れに身を任せすぎて、いや仕事に一生懸命なのはいいけれど、また書けなくなったらどうしようと不安なのです。
習慣化することが、実は大の苦手な私。

それが怖いので、note上であたたかく応援していただけると嬉しいです。

新年度が始まる前の晩に。

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