好きな作家②藤枝静男

ツイッター上で自分の自由律俳句について「でたらめ宣言」なるものをしたことがあります。これは藤枝静男が対談の中での発言「でたらめにも、なんらかの意味がある」(←うろ覚えですが)に、とても納得したからです。感銘といってもいいほどです。

自分は一時期、私小説をよく読んでいました。疲れていたのかもしれません。他人(文士)の生活をのぞき見して、自分のほうがましだな、と思いたかったのかもしれません。近松秋江とか葛西善蔵とか嘉村磯多とか宇野浩二とか尾崎一雄とか……。

そんな中で、藤枝静男に出合ったわけです。正直、彼の“ストレート”な私小説は、描写がこまかく、というよりくどく感じて、苦手です。しかし、最初に読んだのが「田紳有楽」、次が「空気頭」でした。私小説うんぬんというより、こんなに愉快ではちゃめちゃな作品があるのか、と虜になりました。

お気に入りのシーンがあります。「田紳有楽」では弥勒と地蔵が田舎道をさみしげに言葉を交わしながら歩く場面。「空気頭」では異様なふりかけを食う守衛の姿です。一見、ジャンル分けするなら「田紳有楽」はファンタジー小説、「空気頭」は風俗小説というか変態小説(自分は野坂昭如やバタイユに似たインモラルな雰囲気が楽しめました)なのかもしれません。藤枝の私小説感について興味のあるかたは、講談社文芸文庫の解説を読んでみてください。

まあ、藤枝が好きなので、彼の「でたらめ」という言葉を、自分でも使ってみたかったわけです。作句の上で、彼の影響は直接には受けていません。ただ、「でたらめ」に対するスタンスを学べただけでも良かった。もし小説を書くとなったら、藤枝の両作品を手本にしたようなおとぎ話にしたいな、とは思っています。

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