20220731 家族のありかた、自分のありかた

ご無沙汰しております、五月です。

ここに自分のきもちをつぶやくのも、かなり久しぶりです。
まさか一月から何も投稿していないなんて。
忙しくて、家でパソコンを開く暇もなく、自分の呟きを残しておく余裕もなかったと思うと、自分はいつもギリギリのラインを生きているのかな、と思います。

今回は、今の気持ちを残しておいた方がいいかなと思い、パソコンを開けました。(仕事していて飽きたのでこれ書いたら寝て明日朝早く起きますが)

すごく身内の話になってしまいますが、私の祖父母が亡くなりました。
父方の家庭で、私が留学行くきっかけになった父親の家族です。
彼らは祖父母の代、父の代と全員海外経験者で、父の実家に帰るとCNN(アメリカのNHK的な)が流れているのが普通、英語は話せるのが当たり前、イライラした時は全員英語で「うざい」とか言っている世界線でした。
高校の時、留学すると言って応援してくれていた人たちの一部でした。

ただ、彼らはアメリカぞまりというか、海外に染まっていて、いわゆる日本の一般的、という概念が通用しない人たちでもありました。
お正月はおせち食べるけど初詣行かなかったり、親戚でも集まりも、孫(私)がいる家庭がうちだけだったのでなかったり。
遊びに行ってもかわいがる、というよりはゲストが来た、家族ではないという扱いをされていた、という方が今振り返るとしっくり来ます。

お年玉とかはもらっていたけれど、それ以外は「他人」みたいな感じだったのです。

そんな祖父母、どちらとも天国にいかれました。
そんな時、記した「日本離れ」の部分が出てきたのです。

祖父、祖母、それぞれが亡くなった、と聞いた時、私の頭の中では「葬式」という言葉が頭に浮かびました。
6年くらい会っていなかった祖父母に、最後の言葉をかけたり、会えるとおもっていました。
ただ、彼らからの返事は、「火葬だけする」でした。
父含めた「家族」だけで参列すつ、というのです。

今でも正直わからないのが現状です。
苗字は同じで、血もつながっているのに「家族」ではない。
「きてもいいよ」って言われたら、逆にいっていいのかわからないし。
なにが正解なんだろうってなる。

父の家族は、日本の「古典的」な部分が一切なく、日本の暗黙のルールが嫌いな私にとって、目指す先は彼らのような「放任主義」の家族だと思っていました。
ただ、別れどきや、お祝い事はしっかりするべきだろう、放任していたとしても人との関わりって大事だと思っていたのに、そうじゃないみたい。
それは私の中で違うとおもった。

そして、そんな父と共に時間を過ごした母は、仕方ないというし、姉も興味ないという。
私が間違っているのだろうかと考えさせられた。

私がアメリカに行っている間に、私の中で考え方は変わったと思う。
親が放任主義でいてくれたから、7年もアメリカに行かせてくれたのだと思うし、今自分が「自立」できているんだと思う。
ただ、今回の件に関しては、家族に違和感を感じている。
私って間違っているのだろうか、、、、

本日は一旦この辺で。

また気が向いたら。

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