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夕暮れの飛行機雲 ④(小説)

 
 新緑がまぶしい土手の上の桜並木を、僕はやや速い速度で走る。
 田舎の、そして初夏の匂いがする。
 カラッとした風は涼しいくらいで、汗も滲んでこない。だんだんペースを上げていく。
 小さな孫を散歩させているおばあさん、ベビーカーを押す若いお母さん、ウォーキングしているおじいさん。いろんな人とすれ違う。みんなそれぞれのペースで散歩を楽しんでいた。
 やがて左手に水色の欄干の大きな橋が見えてきて、僕はそこを渡り、今度は土手の道を折り返す形で走り続けた。
 真理、ちゃんと帰れたかな?
 退院したばかりというから体調もよくないはずだ。強引に一緒にいるべきだったのではないか?と猛烈に反省する。
 しかし、真理の目は僕に早く消えてくれといわんばかりだった。
 そうだよね。自分が落ちているときは、誰だって昔の友達になんか会いたくないものだ。
 考えてみたら、昔の真理は僕の前で弱音を吐いたことがなかった。いつだって明るく元気で、優しくて、未来のことばかり話していたような気がする。
 未来のことを話す真理は、目がキラキラしていつもよりずっと可愛く見えた。
 最初は漫画家。人に感動と楽しさを与えたい、なんて理由はベタだったけど本人はいたって本気だった。
「最初は形から」とか何とか言って、目も悪くないのに黒縁の眼鏡をかけ出して、三つ編みにしたときは笑えたな。
「僕がなんで三つ編みなんだよ」
と突っ込むと
「いいの。私の中では漫画家と言えば三つ編みだから」
と開き直ってた。まったくいつの時代の話しだよ。
 でも僕がサッカーを始めるとき、漫画に夢中になってくれてすごく安心したんだ。口には出さなかったけど。
 だから、「また落ちたよ、ショック。私、絶対才能あると思うのに何でかな、祐樹」と月に1回、ぐらいいろんなものに応募して落ちて、泣きついてきたときも全力で僕は励ました。
「真理は絶対才能あるって。その発想力素晴らしいよ。イラストとか童話とか商品のキャッチフレーズとか、人の思いつかないこと考えるパワーもすごい思うし」
 あまり意味のわからない僕の励ましも真理は素直に受け止めてくれた。
「そう?そうだよね。誰でも最初からすごいもの書ける人なんていないよね」
「うん、また頑張りなよ。今度は応募する前に見せてよ」
「そうする。祐樹に見せなきゃと思うとやる気になるんだ」
 正直、僕には真理の描いたものや書いたものが面白いのか、真理に才能があるのかわからなかった。
 あえて言うなら普通?
 元来凝り性だったのか、部屋にこもってコツコツ絵や文を書いていて、道で会った真理の母親が体を心配ほどだった。そのせいか、小6の書いたものにしてはうまかったが、それが賞に値するものでないことは僕にもわかった。
 まぁ、落ちても真理も翌日にはケロッとしていた。
 とにかく小学校五年の時、僕はサッカー、真理は漫画(懸賞応募?)とそれぞれに生活の中心が静かにシフトされた。
 そしてその頃、別に申し合わせたわけではないけど、僕たちは携帯電話を持った。僕は、サッカーの送り迎えにあった方が便利だからと母さんが買ってくれ、真理は「みんな持っているから」と真理に猛烈に甘い父親にねだったらい。
 僕は電話番号の登録を真理のを一番にした。
 真理はどうだったろう?
 僕は真理に聞けなかった。恥ずかしかったからだ。
 幼稚園の頃は
「大きくなったらお嫁さんになってね」
「うんいいよ」
「僕は一生真理ちゃんが大好きだよ」
「私も」
 なんて会話が平気でできた。冗談とかではなく、そのときは二人とも本気だったと思う。
 いつからだろう。「好き」という言葉が恥ずかしくなったのは。
そしてその言葉が、もっと重くて別の意味をもつことがわかってきてから、二人ともそれを気軽に口に出すことができなくななったのだ。
 小学校の卒業式まであと一週間を残す頃だったろうか。僕たちは本当に久しぶりに一緒に帰った。
 その日の真理は、長くなった髪を下ろして黒いカチューシャをしていた。近くで見ると、体が丸く優しい感じになっているのがわかって、僕はなんだか隣を歩くのが恥ずかしかった。
 しかし真理はといえば、そんな僕の気持なんかおかまいなしに、相変わらずよく通る大きな声でどんどん話しかけてくる。
「サッカー、どお?日に焼けて体も大きくなったって感じ。もう熱出したりしないよね?チームのみんなとも仲良くしてる?私、ずーと心配してたっていうか。いや、祐樹はちゃんとやれる子だって信じていたけど、やっぱりね」
「うん、楽しいよ。監督もチームのみんなもいい人だよ」
 僕は本心から言う。
「よかったじゃん」
 満面の笑みの真理。
「ずっと続けていきたいと思っている」
「今からそういうの見つけられてよかったね」
「うん。母さんに感謝しなきゃだな」
 サッカーが楽しいというのは本当だった。
 サッカーチームに入るまでは、僕はまわりのみんなと、見えない壁を感じていた。“
 クラスの友達も担任も家族も優しかった。ポツンと一人でいたりすると誰かが声をかけてくれる。ちょっとしんどそうにしているとみんなが「大丈夫」と気使ってくれた。裏でみんなで申し合わせているんじゃいかと勘ぐったこともある。
 しかし、サッカーチームに入ると僕は「可哀そうな子」でもなんでもなかった。監督は、ちょっとだらけていると本気になって怒ってくれ、チームのみんなともイジリ合ったり励まし合ったりできた。試合で体がぶつかるように心もぶつかるようで嬉しかった。
 僕はそこで初めて生きているって実感がもてたのだ。
 サッカーが楽しいという僕の言葉は、真理を喜ばしたようだ。
 真理の顔を見ると満足げで、幸せな顔をしていた。長く伸びた髪が綺麗だなと思った。
「もうじき中学だね。もう制服できているんだけどね、私、バッチリ似合ってるんだ。祐樹、私のセーラー服姿見るの楽しみでしょ」
 真理はこんな冗談を言うようになっていた。
 楽しみには違いなかったけど、もちろん「楽しみ」なんて言えない。僕はただほほ笑んだだけだった。
 後になって僕は、その日のことをたまに思い出す。ほろ苦い後悔とともに。
 
 風が気持ちいいせいか、全然疲れは感じなくて、家まで走れそうだ。中学の制服を着た三人の女の子とすれ違う。セーラー服の紺に白の大きな襟がまぶしい。たぶん、入学して間もないのだろう。
 一二歳の僕たちははるか昔のような気もするし、つい昨日のような気もした。
 また別の橋を渡ってしばらく走ると遠くに家が見えてきた。日差しはだんだんと柔らかくなり、オレンジを帯びてきた。
 後で電話して様子を尋ねればいいやとあの場を離れたけど、そうだ、電話番号が変わっていたらどうしよう。
 ぼくは何故か真理の電話番号が昔のままだと信じて疑わなかったのだ。

 カーネーションの鉢を抱えながら帰ると、家の前では母が道を掃いていた。この時間に掃除するなんて珍しい。
 私に気がつくとほっとしたような表情を浮かべた。
「これ。明日母の日だから」
「まぁ、綺麗ね。ありがとう」
 母はカーネーションの鉢を見ながら顔をクシャクシャにしてそう言った。 赤い花を満開に咲かせるカーネーションの鉢は、花屋で一番大きなサイズのものを選んだ。その甲斐があった気がした。
「一日早いけど、母の日おめでとう。そしてありがとう」
「何よ改まっちゃって」
「いろいろ心配かけて悪いなぁと思って」
「心配できることが親の幸せでもあるんだけどね。母さんの友達はみんな、子どもが立派に育ってくれたのはいいけど、一人で大きくなったような気がして縁が薄くなったような気がして寂しいって」
 この一年で三年ぐらい年をとったような母だが、声は変わらずにいつまでも若々しい。
 ごめんね、母さん。こんな娘で。と心の中で謝る。
「そういうこともあるのかぁ。そういえば、お店とかでもときどき親を下に見るような人、いるよね。信じられない」
「そうそう。その点、真理は優しくて、母さん嬉しいわぁ。ところで散歩の間、何ともなかった? 吐き気とか出なかった」
「ううん。大丈夫。何ともなかったよ。それで、祐樹に会った」
「そうなの」
 なぜか母の顔が明るくなる。
「真理が家を出た後、走って出る姿が見えたから、会うあなぁと思っていたんだ」
「すごい偶然。もう何年も会っていなかったのに」
「小さな頃はあんなに仲良かったのにね」
 父も母も小さな頃は「祐樹ちゃんはかわいそうな子だから、真理は優しくしないとダメよ」と、できるだけ一緒に遊ぶように言った。
 それが、中高生になると、ほんのたまに「祐樹と勉強する」と言ったりするとダメとはいわないまでも「賛成はしない」的な空気が流れた。
 当時はどうしてだろう?と思ったが気にしないふりをした。
 それがわかったのは最近のことだ。
「隣の祐樹ちゃん、家に負担をかけないように頑張って国立に現役で入ったんだって。それから、安心して欲しいから大手の会社に入って。偉いよね。小さい頃はひ弱な子だと思ってたけど、だんたん逞しくなって、優しい子だし。どうして真理と縁がなかったんだろうね」
「どうしてって、父さんも母さんも、大きくなってからは何となく私たちが近すぎるの好きじゃなかったでしょ」
「わかってたんだねぇ。小さい頃は一緒に遊ぶの、微笑ましかったけど、年ごろになるとやっぱりねぇ。親だったら、結婚相手は普通の家で、普通に両親から愛されて育った子がいいと思うでしょ」
 私はそれを聞いて、しばしあっけにとられたものだ。私たちの中高生の頃だって、クラスで片親なんて子はぜんぜん普通だったのに。
「中高生でもずっと仲がよかったらねぇ。そうじゃなくても、祐樹君と同じ東京の大学へやったらよかったのかしら」
「まったく、何言ってんのよ。今になって変だよ、そういうのは縁、縁なんだから」
 母のタラレバにまたあきれる。
 それに娘を可愛く思ってくれるのはありがたいけど、中高生の頃は祐樹をそんなふうに、私の結婚相手失格みたいに思っていて、今になってりっぱになったから惜しかったなんて虫が良すぎる。
「母さん、念のために言っておくけど、隣のおばさんや祐樹に何も言わないでよ。私が懐かしがっていたとか何とか」
「・・・言わないけど」
 この間はなんだ?釘をさしておいてよかったと思う。
 「どうせ、祐樹はすぐに東京に帰るし、私とも顔を合わせることもないよ」
「せめて、見送りでもしたら」
「母さん! 悪いけどほんとやめて」
そうなの?とまだ残念そうな母を残して私は先に家に入る。
 中学、高校と私と祐樹の仲は時間と共に開いていった。
 それを当時はべつに寂しいと思わなかった。女友だちとのつき合いもそれなりに重要で、推しのタレントは数カ月ごとに変わり、熱くなる事柄も次ぎと変わっていった。
 漫画家への夢は一年と後にして思えば結構長かったが、その次は通訳がカッコイイと思い、次はアイドル、次はボランティア活動などなど。
 最初は祐樹ロスにならないために熱中できるものを見つけたはずだった。  しかし、途中からはそうではなくなった。
 私は根っから熱くなりやすく冷めやすい性格だったのだ。
 ただし、男の子関係以外で。
 私がつき合った男の子は高校のとき一人だけだった。(祐樹ではない)それも、好きだったわけではなく、男の子とつき合うということをしてみただけだから三カ月ともたなかった。短大のときに同じような感じでもう一人。
 思えば私は本当の恋愛をしないまま、元夫と結婚したことになる。
 携帯のラインを知らせる音がした。
 本当に久しぶりの音色だ。ラインの画面を開ける。
 そこには「電話番号よりお友達になりました」の文字が出ていた。

                             つづく
 
 
 
 

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