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「きらわれたくない」をやめられた理由

45歳からの「これでいいのかな?」が「これが面白い!」に自然と整うお手伝い、スキップコーチのみさです。

「こんなこと言ったら、あの人に何と思われるかしら?」
「ああ、あんなこと言っちゃった。嫌われたかも。」

こんなことをたびたび思っていた私。

だって、変に思われたらいやだし、嫌われたらいやだし。うまく人と付き合うって大事だし。

日常生活でものすごく困ったことがあるわけじゃないんですが、なんとなーくこう思ってました。

でも、今はあんまり気にならなくなりました。

それは、「うまく付き合えるようになった」のではなく「人にどう思われるかが気にならなくなった」から。

思えば、私は人とうまく付き合いたかった。いい人ね、すごい人ね、なんて思われたら嬉しかったです。逆にイヤだと思ってないかな、っていつも気になってました。

なんでか、って?

多分「人にどう思われるか」を心のよりどころにして大事にしていたから。

人から

「すばらしいね」「すごいね」「さすが」

こんな風に言ってもらったら嬉しかったいし「私、ここにいていいんだ」と思えたから。

だから、人にどう思われるかはとっても大事だったんです。

ただ、これだと相手が思ったような反応をしなかったときにしんどかったです。

「どこが悪かった?」

とドキドキしたり、

「私があんなこと言ったから」

と自分を責めたり。


でも、今は違います。

「人にどう思われるか」を心のよりどころにするのをやめたから。

思えば、自分で自分を認められなくて(「こんな私」とか「私なんて」とか思ってた)だから、人から「いいね!」が欲しかった私。

人からの「いいね」ではなく自分で自分に「いいね」を。

とは言っても、すぐにできたわけではありません。少しずつ、少しずつ、行ったり来たりしながらで一歩一歩でした。自分に「いいね」をちょっとずつでした。


アドラー心理学の考え方に

「相手があなたを嫌いだと思うかどうかは相手の問題」

というのがあります。

そう、相手がどう思うかは相手の問題。

自由なんですよね。

「相手に良く思ってもらいたい。」

これをやめて、相手の自由を認める。どう思ってもいいよと認める。

嫌われたくない私には勇気がいりましたが、やってみて良かったな、と思っています。

もし、この話に一理あるね、と思われたら「嫌われたくない」と思った時に「何が得たくてそう思ってる?」と自分に聞いてみてください。ちょっと視点が変わるかも。

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アドラー心理学の「勇気づけ」を人間関係に生かしたコミュニケーション講座「ELM勇気づけ講座」を2023年2月に開講します。現在そのための学びを深めています。お楽しみに!
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