見出し画像

愛情を感じる基準

以前に読んだ、ミイコさんの記事で色々と感じることがありまして。


「自分専用のメガネ」や「それぞれの正義」「ナイ!ナイ!の話」など、私自身、普段からぼーっと考えていたことも話題になっており。


とても共感させていただいた記事です。大好きです。


その中で、幸せを感じる感度のお話がありました。


この記事の中盤あたりにある、青い車と赤い車の話なのですが。


「赤い車を数えてと言われ数えていたのに、実は、青い車が幸せだった。赤い車(不幸)ばかりを見続けていると、青い車(幸せ)を見過ごしていることに気がつけないまま人生がすぎる」


という内容でした。ざっくりですみません。


私の中で、幸せと不幸は、愛情を感じられるかどうかで分かれるなと考えてましたので、ここでは「愛情」に置き換えてお伝えします。


そんな記事を読んだ最中。


私は、パートナーがしてくれる愛情表現が理解できないことが多く、よく(勝手に)悲しくなってしまうところがありました。


とても、お口が不器用なパートナーなので、分かりづらいんです。


今日は改めて考えるところがあり、あなたの愛情表現ってなに?と聞いてみました。


聞いた瞬間。


ところで、私は、何に愛情を感じるのか?


をよく考えたことがなかったことに、気がつきました。


なんだかゾッとしました。


相手に求めるくせに、自分が求めていることを分かっていない状況はとても恐ろしいな、と思いました。


考えた結果


「気遣いのある言葉(気に掛けてほしい)」

「好きなものを覚えて、買ってきてくれること(食べ物とか食べ物とか食べ物とか)」 


でした。


「それが私の感じる愛情だから、それ以外で表現されてもよく分からない」


と、正直に伝えました。


言ってて、とっても狭い範囲でしか愛情を受け取れない自分に驚きました。


でも、現時点ではこの範囲でしか感じられないのはほんとうなので、しょうがない。


そして、何度か無言になる彼をつつき、やっと返ってたコメントは。


「私が困ってることをサポートしている」


でした。


...なるほど。あれらは愛情だったのか。


たしかに、私が腰が重くなる物事に関してはしつこいくらい口を出してくることがありました。あれも愛情だったのか。


確かに。言われれば、理解はできるのです。


でも、それがなんとなく「愛情」だと理解できることと、心から「愛情」だと沸き上がるように喜びを感じられるところは、違うのだな、とも感じました。


感覚器官が違うと言いますか。


別の人間なので、そこをどうやって埋めていくかがパートナーシップなのかもしれないですね。


ただ、今回パートナーとの「愛情表現の違い」を言葉という形で交わせたことによって。


前よりは彼の与えてくれる青い車(愛情)を数えられるようになるかもしれないな、と思えましたし。


違う人間だからこそ、言葉にしてみることは大事だな、と感じられる日でした。


今日はこのへんで。


また、明日👋

人生クリエイターを応援してくださる方のサポート大歓迎です✨ 面白いことを考える活力にさせていただきす🙌