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【短編小説】社畜達の沈黙

8月1日の朝、出勤すると、同じ課の同期、神山光一が話しかけてきた。

「杉下、聞いたか。9月1日に自宅から会社まで歩いて出勤する防災参集訓練をするらしいぞ。」

「冗談だろ。9月1日はまだ夏だぞ。神山、それだれから聞いた?」

「今朝、課長と係長が、廊下で立ち話してたのが聞こえてきた。」

「うーん。その二人が話してるってことは、やるんだろうな。」
杉下は諦めが入った口調で言った。

「今日は8月1日だから1か月しかないな。夏休みとる職員とかいるよな。どうするんだろうな。」
神山はどことなく「ひとごと」だ。

この会社は、災害時の業務継続のためとして、徒歩で会社に出勤するための訓練を行っている。

本社だけじゃなく支社、支店も各地にあるため、基本的に、自宅住所から一番近い事務所に出勤することになる。

とはいえ、徒歩は2時間までとなっており、それ以上かかる場合は、公共交通機関を使ってもいいことになっている。

これまでは、11月や12月に実施していたが、神山の話では、今年は、関東大震災の日である9月1日に行うらしい。

9月といっても、今年は猛暑が予想されている。そんな中を2時間歩いたら、熱中症になってしまうんじゃないか、杉下はそう思った。


神山から防災参集訓練の話を聞いた日の昼過ぎ、全職員向けに社長室からメールがあった。

「9月1日、各事務所の管理を行う職員以外は全員、防災参集訓練を行う。

災害時は交通機関が利用できないことが想定されるので、職員は少なくとも2時間は歩いて最寄りの事務所に出勤する。」
メールの内容はこのようなものだった。

このメールを読んだ職員は、防災参集訓練をこの時期に行うのはおかしい、熱中症になる職員が続出するのではないかと不安を口にした。

課長や部長といった管理職は、社長が関東大震災が起こった日に訓練をやれといっているので、実施するしかないというだけだ。

労働組合が防災参集訓練の中止又は延期を会社に申し入れるのではないかという期待を持つ者もいた。

しかし、会社の誰も動くことはなかった。


結局、9月1日の防災参集訓練を迎えた。

天気予報は、晴れ。最高気温は36度。湿度も50パーセント以上であり、朝の段階で過酷な防災参集訓練が予想された。

このような天候の中、職員は、朝8時、一斉に自宅を出発した。

一方、部長以上の職員は、「本部」に集まるため、公共交通機関を使って出勤する。

杉下も自宅を8時に出発した。
服装は、動きやすいものでいいことになっているため、半袖のTシャツにチノパン、スニーカー、そしてキャップという恰好だ。
汗をかくのは確実だ。タオルとスポーツドリンクはナップザックに入れてある。

朝8時に出発したが、もう気温は30度を超えている。
湿度も高いため、思った以上に歩くのがきつい。
このまま2時間歩けるのだろうか。杉下は心配になった。

この暑さについては、昨日になって、猛暑が予想されるため無理はしないようにという通知がメールで送られてきた。
このメールを読んで、職員のことを考えてくれていると感じる職員は、ほぼいないのではないか。
これは何かあっても会社に責任はないということだろう。

それでも、今日は多くの職員が2時間歩くのだろう。
何かおかしい気がする。
しかし、だからといって、おかしいと声をあげても、結局自分が損するだけだ。

「俺だっておかしいと思ってるし、みんなもおかしいと思っても耐えているんだから、お前だけが何きれい事言ってるんだ、会社のおかげで給料が支給され生きていくことができるんだ、会社のいうことを聞け」、管理職からそう言われるんだろう。

暑さのせいだろうか、杉下の頭には、会社に対する怒りが頭に浮かんでは消える。

もう少し日差しが優しければいいのだが、日差しがジリジリと杉下の肌を焼いていく。

腕時計を見た。家から歩き始めて40分が過ぎていた。
杉下は、両手が少し痺れているように感じた。
休憩のため、日陰で立ち止まり、水分を採った。
5分程度経ってから、また出発した。

歩き始めて1時間。杉下は、次第に体がだるくなっていた。汗でTシャツがびしょ濡れだ。
2時間まで後1時間あるが、もうここでやめたほうがいいのではないかと思った。
杉下は、日陰に入り、出勤することになっている事務所に電話した。

「今日、そちらに出勤することになっている杉下浩です。1時間歩きましたが、体がだるくて仕方ないです。もう電車でそちらに向かっていいですか。」

電話に出たのは、支店長のようだ。

「一応2時間歩くことになっているからな。休み休みでいいから、歩いてくれないか。大変だと思うが、そういう指示なんだ。」

「そうですか。わかりました。」

杉下は、予想通りの答えに、少し笑ってつぶやいた。
「我が社の管理職だよな。」

杉下は、もう真面目に歩くつもりはなかった。
ちょっとどこかのカフェで体をすずめていこう、そう思って歩き始めた。
だるいなそう感じたあと、視界がだんだんと暗くなっていった。
「あれ?なんだ・・。あれ・・。」

杉下は倒れ込み、意識をなくした。


杉下が意識を取り戻したのは、病院のベッドの上だった。
腕には点滴の針が刺さっていた。

「杉下さん。気がつきましたか。」
看護師が呼びかけた

「ここは・・・。」

「救急救命室です。杉下さんは、熱中症で倒れて、ここに運びこまれたんですよ。
倒れた時、偶然、周りに人がいて救急対応してくれたから、大事にはいたらなかったんです。
先生から、意識が戻ったら教えてくれと言われているので呼びますね。」
看護師が担当医を呼びに行った。

「杉下さん。担当した、森といいます。」

「先生、ご迷惑おかけしました。」

「あなたの会社、今日、防災訓練ということで、職員を2時間歩かせたんだってね。」

「ご存知なんですか。」

「あなたの会社の職員で熱中症で倒れた人、あなただけじゃないんですよ。」

「そうなんですか。」

「それも一人二人じゃない。本社、支社、支店に向かって歩いて倒れた人が10名以上いるんです。」

「なぜ、会社が、なぜこんな猛暑の日に歩かせるのかというのもありますが、職員の方はおかしいと声をあげなかったのですか?」

「みんなおかしいと思ってました。でも、言ってもどうしようもないと・・。」

「あなた方を責めてはいけないと思いますが、あえていいます。
こんな、明らかにおかしい会社の指示には声をあげないとだめです。」

「はい。ただ、会社に給料もらってますから・・・。」

「あなたね。今日のことは職員の命に関わることなんだよ。あなたは助かったけど、今回亡くなった職員もいるんだよ。」

「え。だ、誰ですか。」

「さっき、この病院で亡くなったんだ。『神山』さんという方、だったかな。」

「神山?」
杉下は起きあがろうとしたが、寝ているように諭された。

「知っている人ですか?ちょっと待ってね。」
森は、近くの端末を叩いた。

「『神山光一』さんという方ですよ。」

「同期の友達です。」
衝撃で、杉下はそれ以上の言葉が出ない。

「そうですか。お気の毒です。
何も声をあげないことで、自分の大切な存在を無くすことにもなるんです。いまさら遅いですけどね。」

「あと、これを見てください。」
森は、そう言って、持っていたタブレットを操作し、杉下にニュースの一部をみせた。

「30名が熱中症で緊急搬送され、3名が死亡した今回の防災参集訓練について会社にコメントを求めました。」

「会社は、
『今回、搬送された職員、亡くなった職員が出たことは大変遺憾に思います。

会社としては、2時間歩くことを無理強いしてはおらず、昨日すべての職員には、無理をしないように求めるメールをしております。

その上でこのような事態に至ったことは残念でしかたありません。二度と同様のことが起こらないように、現場の労務管理を徹底するようにいたします。』

とコメントしています。」

(終わり)

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