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夢の続きを


レオナルド・ディカプリオ主演で、日本人の渡辺謙も出演したSF超大作の「インセプション」別にこの映画の内容を評価するわけでもなく、この映画を3回ほど見て、尚且つ理解出来ない部分はネットで検索するとあらかたの物語の筋書きと仕組みが理解出来る。

この映画のテーマは「夢」

映画の内容は割愛するが、要は夢の中では時間の流れが現実世界の20倍になり、階層を重ねるごとに更に倍加する仕組みになっていて現実世界での5分は第一階層では100分、第二階層では約33時間、第三階層では約27日になる計算だ。

よく、昼寝とかの30分ほどの睡眠で壮大なすったもんだの夢を見たりするのだが、30分なら600分、つまりは10時間のストーリーなわけで、上記の映画の設定はあらかた当てはまらないわけではなく、むしろそれに近い。

その法則だと「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」の両方で夢を見ていると仮説して、レム睡眠の記憶だけ覚えているとすると、レム睡眠の割合は2〜3割なので通常の6時間ほどの睡眠の3割なら108分だから夢の中では36時間が経過してるのでザックリ言えば1日半ほど、レムとノンレムで繋がっていたのなら5日間の時間の中にいることになる。

これ、あくまで私の場合なのですが、

大体合ってる…汗

階層の縮図も割愛して第一層のみで考えてみても、夢の中では現実の20倍の時間軸と仮定した場合…と、自分のアホな思考回路が弾き出した結論は、

おお、そりゃお得やんか!

と、躊躇も屈託もなく思ってしまったのでした。

それには理由があって、自分が生きている現実では昼は北軽井沢で法人として清掃や管理保守やって、夜は草津で居酒屋や屋台の経営やっての平均17時間労働+仕込みや何やらで、バイク乗ったり旅行行ったり、

ましてや

女の子とキャッキャする有料でありながら浪漫に溢れた大人の空間

に行くなんてのは不可能である。

しかるして、この映画の「夢の中では時間は20倍の長さ」って法則を、セルフマインドコントロールすることで、より活用出来ないかと、再びインプレッションの映画を見直して、睡眠前に

「夢の中では時間は20倍やで!」

とか色々と暗示をして寝ることにした、

すると!嘘のような本当の話で、

冒険活劇をしたり、世界を旅をしたり、映画の世界に入ったりといった、睡眠時間に比例する数日間に渡るそれなりの長編大作な夢を、「明確に記憶に残る」ほどに見ることに成功してしまった!

それからは、仕事に疲れ、短い貴重な睡眠時間を、映画館に行くような感覚でよく夢をコントロールしていた。

だが、これからが本編で、自分はこの偉業とも言える人体実験的な活用術を見事悪用してしまう。


死んだ息子が

死んだ妻が

生きている世界の夢を見よう

いつもと同じように就寝前に自分に暗示をかける、何度も何度も

念入りに念入りに

それを繰り返すこと僅か2日目、我が子と妻は一緒に夢に登場した、

そしてその夢の中の物語。

新生児室に毎日息子に会いに行く自分、大きな声で泣いていたはずの息子の心電図が一直線になり、妻が息子を抱っこして、自分が運転する車に乗り病院を去り家に帰って、最後の夜を妻と息子と自分の三人で川の字なって寝る…そして朝起きると妻がイベントでカキ氷を売っていて、そこから一瞬で夜になり波止場で人集りができていて、潜水士が海から引き上げた妻は病院に搬送され、ベッドに横たわる妻の心電図も一直線になっている、

自分は暗い病院の長椅子で呆然とする、何時間も、何日間も…

そうして、二人が生きていた頃の最後の部分、一番辛い部分の回想録が、二人分を一緒にして改変されることなく編集され、それはあっという間の短編物語として流れ、残りの内容は、自分が病院の暗い廊下の長椅子で数日間ショックでただ呆然とする(ここだけがオリジナルの物語)という、映画「インセプション」の夢の定義と何も相違しないながらも、まさしく「悪夢」の世界に自分は自ら飛び込んでしまった。

長椅子で放心状態の自分に時間が経つにつれ、イベントで大汗をかいた後風呂も入らずなので、みるみる体臭は匂い出すが尿意と便意は不思議と無いリアルな悪夢、数日間にも渡る長い長い時間…

息子が「生きていた」時から、管だらけの息子が星になる時、

「あぅあぅ」

って喋ったのを確かに夫婦揃って聞いて、きっと、「バイバイ」って言ったんだと二人で笑って川の字で寝ながら話したあの夜も、

自分が望んだ妻と息子が生きている(いた)世界

それが自分が見た夢でした。

愛する人と死別した人間は、想像もつかない世界で悲しみ苦しむのは事実だ、

でも、だからと言って都合良くおこがましい夢を望んではならないというより、それは時に危険なことだと今回は味わった。

自分には極めて非科学的かもしれないが、自身(精神)をコントロールする能力(才能)が多少あるのかもしれない。

でも、この一件からは逆に就寝し睡眠に入る前に、以前より更に強く

「夢なんざ見て呆けてる場合じゃねぇ、明日も仕事だ、明日の段取りは…」

と、暗示を掛けるようになったら、妻と子の悪夢も、パイレーツオブカリビアンみたいな冒険活劇の夢も、今のところ見なくなった。

夢の中で死別した人間が「生きている」世界を望んでも、それは「生きていた」時の記憶がまるでカセットテープを巻き戻して再生されるだけの夢であっても、やはりそれは自分が望んだ「死者の復活」であるということなのだろうか?

もし、記憶の再生ではなくフィクションとして、妻と子と幸せに三人でマイホームで暮らし、息子の結婚式で夫婦で涙を流す夢だったとしたら、多分その方が夢から覚め現実世界に無理矢理引き戻される苦痛の方が辛いのかもしれない、

映画「インセプション」でも、主人公は死別した愛する妻を、自分の描く理想の形では無くとも夢の中に生かそうとする(ネタバレになるのでここまで)

自分はあの辛い地獄を、あの別れを二度経験(プロフ参照だと本当は三度)したという耐性が、今回は自分の願った愚かな夢の代償を支払わずに済んだのかもしれません、あの悪夢の続きにはひょっとしたら二人は生き返り自分の願った夢があったのかもしれませんが、

あの夢の続きは見たくない

眠りにつき見る夢は、所詮は夢、

「夢の続きとは夢の中に在らず」

その代わり、今生きているこの残酷でもある現実の中で描いた夢、諦めた夢、叶えたかった夢の続き、つまり「第二部」は、何らかの形で必ず存在すると思うのです、

息子が医療ミスで殺され、ただ毎日が虚無の傷心の最中、

「二人でしか出来ないことを探しに行くぞ」

と、妻の手を握り、夫婦二人で海を渡って離島に移り住み、今は草津温泉に住んでいるようにね。

END

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