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もうひとつの自己紹介

子どもの頃は夢見がちでした。

幼稚園の時は、大人になったらドレスを着てお城に住もうと決めていました。玄関の扉を開けると、真っ赤な絨毯がひかれていて、大きな階段へとつながっていく。そんな、家??お城。。。

今も昔も、少女の憧れの定番は、プリンセスですね~。

もう少し大きくなると、スチュワーデスになりたいと思うようになりました。空の上で、さっそうと動き、最高の優しい笑顔で、たくさんのお客様にサービスを提供する。

そんな私は、高校2年生のときに不登校になりました。 

自由に跳ね回っていたのが嘘のように、ある日から殻に閉じこもり、分厚いカーテンを社会に向けて下ろしました。

学校に行きたくない。

学校の時間割に、自分の時間軸が合う気がしない。

朝は誰よりも遅く台所に行き、がらんと静まり返った台所で、紅茶をいれ、焼いただけのトーストをほおばりました。

両親は不登校の私を扱いかねて、最低限の会話しかしなくなりました。

母は時々登校するように誘ったけど、私が頑ななのが分かると、よそよそしくなって会話も減っていきました。

通信で勉強したり、読書したり、散歩したり、ピアノを弾いたり。

一人静かに、静かに、気ままな生活を、重苦しい心で過ごしました。

約二年間、そんな閉じこもり生活をしました。

さなぎの中にいたような時間。

何かを待っていたような、時が止まったような、ただ存在していた時間。

「生きにくいな」「社会の中に居場所がない」そんなふうに感じるようになっていきました。同時に、そんな人たちは私だけではないようにも感じていて、そんな「生きにくさ」を感じている人たちが少しでも生きやすい社会になったらいいな、と思い、カウンセラーを目指すようになりました。

「人のなかで生きていくのは嫌だけど、人に興味はあるな。人のことを知りたい」

そう思って心理学を勉強したいと思うようになりました。

終わりがない永遠に続くように感じていた日々だけど、大学受験の不合格通知を受け取ったときかな、やっぱり大学には行きたいと思ったのが、気持ちが切り替わる大きなきっかけだったようにと思います。


実家を出て、寮で生活しながら浪人生活を送りました。

一年後、第一希望の大学に合格しました。


しんどい人、生きにくい人が、自分の居場所を見つけられるように、そのほんの少しでも手伝いたい。


そして就職、結婚、出産、、、人生の大きなイベントを繰り返し、家事育児に追われながら、いつのまにか不登校をして引きこもっていたころの私は影を潜めてどこかへ消えていました。

でも最近思い出すようになりました。(多分マインドフルネスを集中的に学んで、人生の振り返りを自然としてるから。)

そのときの私。確かにいた私。

ひとりでさみしい時間をたくさん過ごしたこと。


飼っていた柴犬と散歩して見た景色の移り変わり。

夕暮れの中、田を飛び交うトンボで、一面赤や黄色、だいだい、茶、息を詰める光景に感嘆の声が思わずでたこと。

時間を忘れてピアノを弾いたこと。


そして、いつでもひとりの寂しさと隣り合わせ。さみしかった。

その時の私。忘れてないよ。


その時の私も含めて、今ここにいる自分を受け止めていきます。

そしてやっぱり今も、生きにくい人に関わって、「転びそうになったら手を貸すからね」って横に立ち、時には一緒に立ち止まり、時には半歩先で「こっちだよ」って手を引きながら、私も学びながら生きていきたいと思っています。


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