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[008]そのときぼくは風になった

その土地は、砂漠というには草木が生えすぎている。正確に言えばそれは半砂漠ということになるのだろう。その半砂漠の街と縁ができてもう八年になる。

インドにはたくさんの神々がいるが、男性神で人気があるのはヴィシュヌとシヴァの二人であり、ヴィシュヌは化身としてラーマやクリシュナの形で信仰される。また仏教の祖ブッダことゴータマ・シッダルタもヴィシュヌの化身と考えられている。……というような塩梅で、インドの宗教はちょっと説明を始めるとすぐに大変なことになってしまう。ここではシヴァ、ヴィシュヌと並ぶ三大男性神のもう一人であるブラフマの名前を出して説明を端折(はしょ)ろう。

ヴィシュヌとシヴァの寺院は大きなものから小さなものまで、インド中至るところにあるし、インドの人たちが移民として暮らす世界各国の街にもある。けれどもブラフマを祀(まつ)る寺院は世界中探してもほとんどないという。そのブラフマを祀るインドで唯一の寺院とも呼ばれる寺があるのが、西インドのラジャスタン州にある半砂漠の小さな街プシュカルなのだ。

インドの宗教的世界観は壮大で、この世界の成り立ちにはブラフマ、ヴィシュヌ、シヴァの三人の神が必要だということになっている。ブラフマがこの世界を作り、ヴィシュヌがそれを維持し、シヴァがそれを破壊する。そうしてこの世界は、創造、維持、破壊のサイクルを繰り返す。

ブラフマを祀る聖地プシュカルは〈青い蓮〉という名前でも知られる。インドにおいては 〈青い蓮〉は世界を象徴する。プシュカルの街で実際に青い蓮の花を見かけることはないが、プシュカルそのものが 〈青い蓮〉であり、ブラフマが創造する宇宙そのものの象徴なのだ。

しかしこれは物語にすぎない。現実のプシュカルは、インドの西でパキスタンとの国境をなす巨大なタール砂漠の入り口に位置するオアシスである。プシュカルの街の中心は土地の言葉でサロワルと呼ばれる沐浴用の溜池なのだ。インドにおいて沐浴は宗教にかかせない行事だ。日本の人にも有名なヴァラナシのガンジス川だけではなく、プシュカルのサロワルでも巡礼者が沐浴をする姿を見ない日はない。

砂漠の街の主役はラクダである。自動車とバイクが全盛の現代においても、インドでは各種の動物が様々な作業に使われるが、プシュカルにおいては荷役に使われるラクダの姿を見ることも珍しくない。また観光用のラクダともなれば、無数と言いたくなるほどたくさん飼われている。ぼくにもう少し動物を扱う勘があったら、ラクダに乗って砂漠を駆けたいところだが、残念ながら今のところそれは無理なので、旅行者の友であるバイクを一台借りることにした。

125c.c. のギア付きのバイクを朝十時すぎに借りて、そんなものに乗るのは何年も前に一度だけ、試験場にいきなり免許の試験を受けに行ったとき以来なので、初めはよたよたとバイクを走らせ始めた。ほとんど車もバイクも走らない半砂漠の土地に敷かれたアスファルトのおおむね一直線の道を、ギアを上げたり下げたり、わざと蛇行運転をしてみたりと、しばらくの間、練習走行を続けた。

少し勘がつかめたところで、いつもお世話になっている瞑想センターの方向に道を取った。普段はプシュカルの街から三十分ほど、おんぼろバスに揺られて行く道でそれほど遠いと思ったことはなかったが、慣れないバイクで気を使いながら走ると、道は遠かった。ギアを上げたり下げたりするごとに緊張してくたびれるので、途中チャイを飲んだり、景色の写真を取ったりしながら、休み休みバイクを進めた。

瞑想センターに行ったからといって、今は十日間の瞑想コースを実施中なので、中に入るわけにはいかない。外から様子をうかがっていつも通りの平穏な空気を感じて満足し、ついでに写真を少し撮ってから、バイクをその先の街カデルまで進めた。初めて行ったカデルの街は本当に小さく、通り沿いには生活必需品を売る店が数軒並ぶばかりで、食堂の一軒も見当たらなかった。一軒だけあった屋台のチャイ屋でまたチャイを飲み、ゆっくり休憩をした。

そうやってバイクを借りてから五時間ほど、走ったり休んだり、行ったり戻ったり、そして途中、田舎道の道端に休憩にうってつけの、コンクリのあずま屋があったので、そこで持ってきたパンとバナナを食べたりして、バイク三昧の一日を過ごした。
(みなさんの投げ銭のおかげで毎日おいしいバナナを食べさせていただいております)

初めはクラッチのつなぎも危うかったぼくの運転だが、生来の飛ばし屋なので、慣れてくると時々フルスロットルで風圧を浴びた。速度計が壊れているので正確なスピードは分からないが、たぶん時速80キロくらいは出ていただろうか。ああ、こうして人は風になるのだなと思った。

人類はその長い歴史を通して数知れない発明をし、機械を作り出し、自分たちの活動範囲を拡張し続けている。映画「2001年宇宙の旅」で描かれるように、最初の発明は棍棒を使うことだったのかもしれない。そして衣服を発明し、靴を履き、車に乗り、空を飛ぶまでになったぼくたち21世紀の人間は、電網空間というもうひとつの世界を作り出すことで、更なる創造を続けている。

そこでは誰もがブラフマとして世界を創り出す存在に成りうる。そしてその世界に参加することで、それを維持するというヴィシュヌの役目を負うこともでき、またある人は古くなった世界に引導を渡すことでシヴァの破壊神としての役目をも果たすのだろう。

誰が創ったとも分からないこのインターネットという奇妙な宇宙の中、人間という名の神々が創り出す不可思議な人工世界を舞台に、ぼくたちは今日も歌を歌い、曲を奏で、踊りを踊り続ける。バイクに乗ったからと言って、本当の風になれるわけではないが、ぼくはこの宇宙の片隅のめくるめく幻想世界の端っこで、ひゅるりひゅるりらと吹きそよぐ風のように、歌を歌いながら生きていたいと思うのだ。

〈青い蓮の都〉の安宿の、漂白殺菌されたかのごとく真白きスターゲートの部屋を思い起こさせるタイル張りの部屋で、深夜ぼくはそんなことを考えていた。

※「ひゅるりひゅるりら」という印象的なフレーズは、石原信一氏の「越冬つばめ」から使わせていただきました。
※タイトルが他の方のものと似てしまっていることに気がつきましたので変更いたしました。[2018.12.23 昼過ぎ]

[2018.12.22 冬至で満月の日に。西インド、プシュカルにて]

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