探究とは


総合的な探究の時間

総合的な探究の時間は、課題解決、自分の生き方の発見、などをテーマに高校で行われている授業。正直目指すべき資質・能力だったり、学校によってもカリキュラムが多様(なはず)だと思うので、完全には理解できていない。ただ生徒の探究についていろいろ考えている部分を書きます。

※全てあくまでも個人の感想です

探究と将来の結びつき

探究活動を生徒たちが行っていって、自分自身で課題や問いを見つけ、向き合い、解決していくことって、もちろん重要なことのはずなんだけど、将来的にどういうところに活かされているのかとか、生き方との結びつきがまだ想像できていない。それは言葉にできるものではないのかもしれないとも思っており。

教育って、その取り組んでいる瞬間のやりがいだけではなくて、今後の生き方とかやりがいにつなげていくことに意義があるのかな。自分の今までを振り返っても、どう結びついているのかとかは正直分からないし、めちゃくちゃ難しい。もっと勉強しないと・・・

課題解決がすべてではない?

何かしらの課題を解決することが最大の目的ではないのかなと、つい最近学びました。課題解決はあくまでも結果で、そこの結果よりかは「その結果に至るまで生徒が何を感じ、何を得て、次にどういったアクションを起こしていくのか」というところが探究の本質なのかな?と。多く取り上げられるのは目を引くプロジェクトだったり、大きな社会課題へのアクションなのかもしれないけれど、そういう生徒だから偉いとかではなく、生徒1人1人の想いが最も大切だと思った。社会からの見られ方⋖個々の想いで、生徒1人1人の丁寧な対応を心がけていきたい。

自己満で終わりたくない

探究している生徒に伴走していく中で、生徒ではなく「伴走している自分」に満足しないようにしている。主役は生徒自身であるからこそ、伴走の仕方はすごく難しい。探究してほしい想いを押し付けているだけなのではないか、と錯覚することもある。探究に何かしらの意味と目的はあるはずのに、生徒によっても熱量は違う。そういった現実を目の当たりにするたび、探究の意味を改めて考えさせられる。今だけではなくその先の将来に結び付けていくために、どういった探究・伴走が必要なのだろうか。

果たして自分は?

探究って高校生だけがやるものでもないはず。自分自身も探究を続けていきたいし、今後に活かしていきたい。生徒と共に伴走するとき、まずは自分も探究の難しさややりがいを実践を通して学び、一緒に悩んでいきたい。自分にとっての理想形は相互探究で、みな対等な関係で探究を続けていく姿勢を常に身につけておきたい。

自分の好きなことからの問い

急に「少子高齢化を解決するためにどんなアクションを行うべきですか?」という問いを生徒に投げかけて、ポンっと答えが出る生徒はいるのだろうか。必ずしも、生徒全員が社会課題に興味関心があるとは限らないし、中々想像することも難しいのではないかと思う。だからこそ、自分の好きなことや興味関心から生まれる問いは、生徒たちにとってとても重要な考えだと思う。継続的な探究という意味でも、自分の好きを追い求める探究はすごく価値があるんじゃないか・・・!

探究に関してはまだまだ勉強と実践不足。もっと学んでいきたい・・・!


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