産声をあげる
26歳の春、素材を金属から陶芸に変えてみようと思い始めたはいいのですが、いざ陶芸で作品を作るとなった際また別の問題が頭を駆け巡るのでした。
陶芸と一言で言っても表現技法がいくつかあって、どのやり方が自分の作りたい形を作るのに適しているのかとか、そもそも陶芸初心者のような自分が今から作品制作するのにどれを選ぶのかということを考えました。
まぁ別に最初から技法を選んで作らなきゃいけないわけではありません。
大学などではいろんな技法を一通り学んだ先に自分の表現に適した方法を自然と選択していくのだと思いますが、専門に陶芸を学んでいない自分としては、とりあえず目印になるものが欲しかったんでしょう。
で、あらためて土を触りながら「ろくろで作る形でもないし、鋳込みだと用意するものや手順を独学で始めるにはちょっとハードルが高いなぁ」ということで、手びねりか板作りにしぼりました。
いざ土を触り始めると色々気付くことが多く、今までの金属との違いに戸惑いながらも少しずつ何かが見えてきました。
何度かの失敗や発見、試行錯誤を経て、やっと作品としてできた!と思ったのが・・・
「Anachro CG」2003,陶・ガラス板,60×60×23(cm)
この作品でして、できた瞬間「あ、なんか面白いものが出来た」って普通に思いました。
それはきっと、それまで見てきた陶立体作品の中であまり見たことがない感覚と、自分が見たかったタイプの感覚を感じたからかと思います。
いざ作品が出来たといってもまだ誰にも見てもらっていない状況だったので、とりあえず公募展に出品してみることにしました。
今でこそ陶芸の公募展は減りましたが当時は結構な数の公募展があり、大きめな公募展の募集がちょうどそのタイミングにあったので、友人と一緒に初陶芸公募展搬入に行きました。
今はまず書類審査があってとかいうのが多いですが、その頃の公募展って会場で受付し、ものすごい数の作品がずらずら〜っと並んでいるところに持っていくことが多く、その風景を眺めるのも面白かった記憶があります。
初公募展ってこともあって緊張しながらも自分の作品をその中に設置してみると、明らかになんか浮いている感覚になったので、「あぁ〜、こりゃ0か100かのどっちかやろうなぁ〜」という感想を持って帰路についた記憶があります。
で数日後、郵便受けに審査結果のはがきが届きます。
「0か100やし、まぁ、どうやったんやろうなぁ・・・」と思いながら裏返して見てみると、落選にも入選にも印が無く、「準グランプリ」に当たる箇所にマル印が付いているではありませんか!!
「エェーーーーーーー!!!!!!!!」
急いで一緒に行ってくれた友人に電話して、「なんか準グランプリってなってるで!!」って言うと「マジで?! マジで?!! うそやん?!!! おめでとう!!!!」となり、ここにデジタル陶芸家の産声が大阪の下町に小さく鳴り響きました。
陶芸始めて約半年でのこの結果に周りが驚く中、当の本人が一番驚いていたのでした。
ここから陶芸がメインの制作がスタートしていくことになります。
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