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小説「銀匙騎士(すぷーんないと)」/小説「百年の日」

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2018年12月の記事一覧

百年の日(18)終

百年の日(18)終

 洋子は日付も飛ばして、まず、今日はたのしかった、とノートに書いた。そのとき、早くお風呂に入ってしまいなさい、とドアの外で母親の声がした。
 あとは寝る前に書くことにして、洋子は、引き出しを開けた。
 康平の写真と目が合った。成人式の会場で、風のせいか、寝ぐせか、変な髪形をしていた。そのくせ、神妙な表情でかしこまっている。長い長い一日のことが一度に頭に浮かんで、照れくさくなって、その視線をかくすよ

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百年の日(17)

百年の日(17)

 康平と洋子は、大きな池のある公園にたどり着いた。ベンチにならんで腰かけていた。
 その池のほとりだった。
「けっこう人いますね」
「いますね」
「やっぱり休日ですからね」
 こんな意味の会話を、その日何度繰り返したか分からない。
 白い手こぎのボートが、いくつか水面に浮かんでいた。みんなカップルのようだった。
「ボートに乗れるんですね」
「そうですね」
「それもいいけど、もうちょっと休ませてくだ

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百年の日(16)

百年の日(16)

「なにしてんだよ、おやじ」
「なにって、なにもなくても風呂ぐらい入るだろ」
「そうだけど」
「釜が調子悪いから、銭湯に来たっていいだろ」
「いや、いいんだけど」
 康平が弥子を連れて出かけようとしたとき、みはるがやって来た。弥子は、また約束したのを忘れていたのである。二回もすっぽかされたのはさすがに気の毒であり、なんとなく一緒に行くことになってしまった。
 ひとまず、弥子とみはるを実家に置いてから

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百年の日(15)

百年の日(15)

 浮かれたじいさんが、演歌をうなっている。自分では鼻歌くらいのつもりかもしれないが、やや時間帯をはずれた銭湯は、音を吸収する人の体がなく、響き放題にこだまして、高い天井いっぱいにこもっている。
 康平の場所からは見えなかったが、すりガラスの戸を引く音がして、やっと出ていく気配である。
「まいりましたね」
 と、となりに同意をもとめた。
「ごきげんだ。なんだかこっちも笑っちゃいましたよ」
 こたえた

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百年の日(14)

百年の日(14)

 接待かなにかですし屋で飲んでいたのだと、信太がおみやげを持って帰った。ちょうど先に夕食が終わったところで、せっかくみんなのために残しておいたのに、あまり信太は感謝してもらえなかった。夕食は冷麺だった。
 弥子はたまごとイクラだけつまんで、部屋に行ってしまった。思った以上に、自由研究に熱中しているのである。信太は遠慮し、優子はもうぜんぜん入らないというので、残りはすべて康平が処理することになってし

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百年の日(13)

百年の日(13)

「おはようございます」
 と職員室に入りながらあいさつしたが、誰もいなかった。上田だけはいなければならないはずだが、まだソフトテニスの練習時間まで三十分ある。一応時間までに着けば文句は言わないことにするが、それもあまり期待はできなかった。
 更衣室に行くのがめんどうだったので、康平は窓からの死角をつかってすばやく運動着に着がえた。来客用のソファで本を読んだ。そろそろかと時計を見ると、練習開始の九時

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百年の日(12)

百年の日(12)

「お母さんと図書館行ったんだって」
「うん」
「自由研究、なにをするの」
「太陽電池」
「なるほど。いいかもしれないね」
「エコだよ」
「そうだね、いいね」
 信太と弥子は夕食のあいだ、ずっと自由研究の話をしていた。信太は、電力会社の技師である。自分の得意な分野であることがうれしく、口を出したくてしかたがなかった。
 めったにないことだが、食べ終わると、ごちそうさまも言わず、食器も片づけず、弥子を

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百年の日(11)

百年の日(11)

「おもしろかったですね」
 映画が終わって、洋子がとなりで言った。考えてみれば洋子のほうから話しかけてくれたのは、これが最初かもしれなかった。
「ええ、まあ。でもちょっと、分かんないとこも。テレビでもやってるんですよね」
「はい」
「そっちを、見たことないからでしょうね」
「そうですか」
 せっかく機嫌のよさそうなところに水を差してしまったらしく、にわかに眉のあたり、雲ゆきがあやしくなった。
「い

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百年の日(10)

百年の日(10)

 一晩寝て、朝起きて、気づいた。十万円、持っていくのを忘れていた。
 そういえば、とちゃんとあるのを確認しようと思ったが、どこに置いたのかまるで思いあたらなかった。
 こういう大事なことに、ときどきひどくだらしない自分を知っていた。封筒に手紙とあわせて、もどしておいたはずである。その封筒が、どこに行ったか分からない。自分の部屋に持って入ったような気がしない。中身にうろたえたのにまぎれて、あいまいな

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百年の日(9)

百年の日(9)

 チャイムを鳴らして、返事がなかった。なかで待とうと庭にまわって、縁側から入ろうとした。開いていた。あとで注意をしなければならないが、助かった。暑いなか、玄関先で待ちぼうけしているのも馬鹿馬鹿しい。
「おやじ、いないの」
 と頭を入れて、一応声をかけた。
 鼻につく、こげくさい匂いがした。とっさに上がりこんだ。台所へ向かった。袖を口にあてながら、窓を開けた。電話で知らせなければならない、とどこにか

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百年の日(8)

百年の日(8)

「デートなんでしょうね、一応」
「はい」
「どんなところに行くもんでしょうね。デート、したことありますか」
 洋子は軽く首を振った。じっと顔を見て反応を観察していなければ、洋子の意思が分からない。自然と距離は近くなっていくようだった。
 駅に着いた。どこへ行くか、選択肢はいくらでもあった。康平は少し考え、
「あっちの南口のほうに映画館ありますから、映画でも見ましょうか。映画、どうです」
「いいと思

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百年の日(7)

百年の日(7)

 玄関で金森先生と康平をむかえたのは、洋子の母親の真奈美だった。客間に通されたが、すぐに二階から父親の保も下りてきた。席を立って金森先生があいさつをしたので、康平もそれにならった。
 保と真奈美がならんで前に座り、康平はふたりを見くらべながら、洋子は母親似なのだろうと、あらためて思った。二十いくつの娘がいたにしては若く見える。となりの保は史郎と同じくらいだと見当をつけ、すると十歳以上年の差がある夫

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百年の日(6)

百年の日(6)

 職員室にもどる途中、思いついて、また史郎に電話をかけた。職員玄関の公衆電話である。あいかわらず、待たされた。
「もしもし」
「おれ」
「どうした」
「今度の日曜、近くまで行くから、ちょっと寄るよ」
「そうか」
「たぶん午後だと思うんだけど」
「いいぞ」
「なにか、いるか」
「なんだ」
「足りないものとか、ほしいものとか、ない」
「別にないよ」
 簡単に約束をとりつけられたことに、少し拍子抜けがし

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百年の日(5)

百年の日(5)

 作法どおり、ひと通りのあいさつをすましたら、若いふたりを残して、金森先生と服部洋子の母親は席をはずした。
 駅まで、夫が車でむかえに来ている。ひさしぶりに金森先生を家に招き、三人でゆっくり洋子の戦果を待っていることにしようと、冗談まじりに母親が言った。どれだけ今回のお見合いに力を入れているのかは分からないが、戦果を待つとは言いえて妙であり、とにかく三人がそれぞれなんらかの思いをいだき、知らないと

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