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川光 俊哉 Toshiya Kawamitsu
2018年12月20日 01:51
洋子は日付も飛ばして、まず、今日はたのしかった、とノートに書いた。そのとき、早くお風呂に入ってしまいなさい、とドアの外で母親の声がした。 あとは寝る前に書くことにして、洋子は、引き出しを開けた。 康平の写真と目が合った。成人式の会場で、風のせいか、寝ぐせか、変な髪形をしていた。そのくせ、神妙な表情でかしこまっている。長い長い一日のことが一度に頭に浮かんで、照れくさくなって、その視線をかくすよ
2018年12月20日 01:49
康平と洋子は、大きな池のある公園にたどり着いた。ベンチにならんで腰かけていた。 その池のほとりだった。「けっこう人いますね」「いますね」「やっぱり休日ですからね」 こんな意味の会話を、その日何度繰り返したか分からない。 白い手こぎのボートが、いくつか水面に浮かんでいた。みんなカップルのようだった。「ボートに乗れるんですね」「そうですね」「それもいいけど、もうちょっと休ませてくだ
2018年12月20日 01:47
「なにしてんだよ、おやじ」「なにって、なにもなくても風呂ぐらい入るだろ」「そうだけど」「釜が調子悪いから、銭湯に来たっていいだろ」「いや、いいんだけど」 康平が弥子を連れて出かけようとしたとき、みはるがやって来た。弥子は、また約束したのを忘れていたのである。二回もすっぽかされたのはさすがに気の毒であり、なんとなく一緒に行くことになってしまった。 ひとまず、弥子とみはるを実家に置いてから
2018年12月19日 22:10
浮かれたじいさんが、演歌をうなっている。自分では鼻歌くらいのつもりかもしれないが、やや時間帯をはずれた銭湯は、音を吸収する人の体がなく、響き放題にこだまして、高い天井いっぱいにこもっている。 康平の場所からは見えなかったが、すりガラスの戸を引く音がして、やっと出ていく気配である。「まいりましたね」 と、となりに同意をもとめた。「ごきげんだ。なんだかこっちも笑っちゃいましたよ」 こたえた
2018年12月19日 22:08
接待かなにかですし屋で飲んでいたのだと、信太がおみやげを持って帰った。ちょうど先に夕食が終わったところで、せっかくみんなのために残しておいたのに、あまり信太は感謝してもらえなかった。夕食は冷麺だった。 弥子はたまごとイクラだけつまんで、部屋に行ってしまった。思った以上に、自由研究に熱中しているのである。信太は遠慮し、優子はもうぜんぜん入らないというので、残りはすべて康平が処理することになってし
2018年12月19日 22:05
「おはようございます」 と職員室に入りながらあいさつしたが、誰もいなかった。上田だけはいなければならないはずだが、まだソフトテニスの練習時間まで三十分ある。一応時間までに着けば文句は言わないことにするが、それもあまり期待はできなかった。 更衣室に行くのがめんどうだったので、康平は窓からの死角をつかってすばやく運動着に着がえた。来客用のソファで本を読んだ。そろそろかと時計を見ると、練習開始の九時
2018年12月18日 22:04
「お母さんと図書館行ったんだって」「うん」「自由研究、なにをするの」「太陽電池」「なるほど。いいかもしれないね」「エコだよ」「そうだね、いいね」 信太と弥子は夕食のあいだ、ずっと自由研究の話をしていた。信太は、電力会社の技師である。自分の得意な分野であることがうれしく、口を出したくてしかたがなかった。 めったにないことだが、食べ終わると、ごちそうさまも言わず、食器も片づけず、弥子を
2018年12月18日 22:02
「おもしろかったですね」 映画が終わって、洋子がとなりで言った。考えてみれば洋子のほうから話しかけてくれたのは、これが最初かもしれなかった。「ええ、まあ。でもちょっと、分かんないとこも。テレビでもやってるんですよね」「はい」「そっちを、見たことないからでしょうね」「そうですか」 せっかく機嫌のよさそうなところに水を差してしまったらしく、にわかに眉のあたり、雲ゆきがあやしくなった。「い
2018年12月18日 21:57
一晩寝て、朝起きて、気づいた。十万円、持っていくのを忘れていた。 そういえば、とちゃんとあるのを確認しようと思ったが、どこに置いたのかまるで思いあたらなかった。 こういう大事なことに、ときどきひどくだらしない自分を知っていた。封筒に手紙とあわせて、もどしておいたはずである。その封筒が、どこに行ったか分からない。自分の部屋に持って入ったような気がしない。中身にうろたえたのにまぎれて、あいまいな
2018年12月18日 09:44
チャイムを鳴らして、返事がなかった。なかで待とうと庭にまわって、縁側から入ろうとした。開いていた。あとで注意をしなければならないが、助かった。暑いなか、玄関先で待ちぼうけしているのも馬鹿馬鹿しい。「おやじ、いないの」 と頭を入れて、一応声をかけた。 鼻につく、こげくさい匂いがした。とっさに上がりこんだ。台所へ向かった。袖を口にあてながら、窓を開けた。電話で知らせなければならない、とどこにか
2018年12月18日 09:42
「デートなんでしょうね、一応」「はい」「どんなところに行くもんでしょうね。デート、したことありますか」 洋子は軽く首を振った。じっと顔を見て反応を観察していなければ、洋子の意思が分からない。自然と距離は近くなっていくようだった。 駅に着いた。どこへ行くか、選択肢はいくらでもあった。康平は少し考え、「あっちの南口のほうに映画館ありますから、映画でも見ましょうか。映画、どうです」「いいと思
2018年12月18日 09:39
玄関で金森先生と康平をむかえたのは、洋子の母親の真奈美だった。客間に通されたが、すぐに二階から父親の保も下りてきた。席を立って金森先生があいさつをしたので、康平もそれにならった。 保と真奈美がならんで前に座り、康平はふたりを見くらべながら、洋子は母親似なのだろうと、あらためて思った。二十いくつの娘がいたにしては若く見える。となりの保は史郎と同じくらいだと見当をつけ、すると十歳以上年の差がある夫
2018年12月17日 13:06
職員室にもどる途中、思いついて、また史郎に電話をかけた。職員玄関の公衆電話である。あいかわらず、待たされた。「もしもし」「おれ」「どうした」「今度の日曜、近くまで行くから、ちょっと寄るよ」「そうか」「たぶん午後だと思うんだけど」「いいぞ」「なにか、いるか」「なんだ」「足りないものとか、ほしいものとか、ない」「別にないよ」 簡単に約束をとりつけられたことに、少し拍子抜けがし
2018年12月17日 13:05
作法どおり、ひと通りのあいさつをすましたら、若いふたりを残して、金森先生と服部洋子の母親は席をはずした。 駅まで、夫が車でむかえに来ている。ひさしぶりに金森先生を家に招き、三人でゆっくり洋子の戦果を待っていることにしようと、冗談まじりに母親が言った。どれだけ今回のお見合いに力を入れているのかは分からないが、戦果を待つとは言いえて妙であり、とにかく三人がそれぞれなんらかの思いをいだき、知らないと