noteを一ヶ月続けてみた感想

初めに

 noteを書き初めてから一ヶ月が経過しました。すでに生活の一部みたいになっていてあまり自覚はありませんが、こういった日記感覚の記事を一ヶ月続けられたのは初めてです。

 一瞬の興味で動いてしまうことが多い僕は手の出したことのあることは多いものの、継続ができた試しが滅多にありません笑

 今まではこの性格が嫌いというかあまりよろしくないなあ、なんて思っていたんですが、noteを書き始めてからこの経験が活かせる部分は多いなと感じています。

鎧を脱ぐきっかけになる

 僕がnoteから初めて学んだものというか新たな視点として手に入れたのは「自分の感情に正直になる」ことです。これは本当に大きな収穫だと思います。

 学校やバイト先で見せている自分というのはいわば「鎧を着た自分」です。生身のままだと何かあった時の痛さが鎧を着ているそれとは比較にならないからです。

 でも、自分を守ってくれる鎧も着続けていれば疲れてしまいます。そして、いつからかその疲れが普通になって鎧を着ている自分が生身の自分だと錯覚するようになってしまう。

 そうすると、鎧の中の生身の自分から出る感情は自分のものでないと無理矢理しまい込もうとしてしまいます。

 これを繰り返した先に待っているのはその感情が自分のものかどうかがわからなくなるという結末です。

 僕は相談事に乗る回数が多かったこともありこの結末にたどり着いてしましました。一番わかりやすいのは「恋人として好き」という感情がわからなくなることですかね。人として好きと恋人として好きの境界線がわからなくなってしまいました。

 ですがnoteでは見栄を張る必要もなければ理解してくれる人が少ない考え方でも書き放題です。

 僕はnoteを書くときはいつも1人になって書いていますし、このアカウントを知人に教えることもしません。

 それは自分と向き合った「生身の自分」を書いてみようと思っているからです。そういう意味でnoteは鎧を外す場所として僕にとって最適なんです。

言語化することは大事

 先ほどまでの話は自分の中で消化すればいいと言われる方もいると思います。

 言いたいことはわかります。ですが、言語化することでより深く自分の感情と向き合うことができると思います。

 イメージで言うと、頭の中でのみ消化するのは「アドリブでしている演技」で言語化して消化するのは「台本を作って行う演技」みたいなものでしょうか。

 自分なりの台本を書くことができるのであればより詳細により深くその台本を作り込んだ方が面白い演技ができるのではないでしょうか。

 アドリブではその瞬間の一定の前後のみしか思考することができませんが、台本を作っていけばストーリー全体からその瞬間について思考できます。

 鎧の話とかけると、noteに書くことで鎧を脱ぎ切るまでにどのような順番で脱げば必ず脱げてしかも楽に脱げるんだろうと思考できます。

 ですが、書かないと脱ぎ切ることができないかもしれない。しかも、順番もぐちゃぐちゃになるから脱ぐ作業が大変になって結局脱がなくていいやってなったり必要のない重みを自分に課してしまうかもしれません。

最後に

 僕は、自分の考え方に自信のない方ほどnoteで自分の考え方を書いてみるって大事だと思います。

 相談事に乗っていたり、人という生物が好きだという人とか責任を持たされる人はより重い鎧を着ていると言うより着ざるを得ない状況に置かれることも少なくないと思います。

 もちろん、僕が思考の及ばないタイプの方でも重い鎧を着ざるを得ない環境に置かれる人はいると思います。

 そう言う人はその鎧を脱ぐ場としてnoteを活用してみてはいかがでしょうか。

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