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【読書感想】学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか

月1回のペースにしようかと思っていましたが、中々に面白い本に出会い、すぐ読んでしまい、高揚感があるうちに書いておこうと思って書きました。

本の概要と構成

 千代田区立麹町中学校の校長時代に、宿題廃止・定期テスト廃止・固定担任制廃止などの教育改革を実行した工藤勇一氏と劇作家・演出家の鴻上尚史氏による日本の学校教育に関する問題点や教育の本来の目的など書かれています。構成は以下の通り。

はじめに 鴻上尚史
第一章 学校が抱える問題
第二章 自律をさせない日本の学校
第三章 同質性への違和感
第四章 対話する技術
おわりに 工藤勇一

読もうと思った理由

 昨年に誰かのSNSで面白そうと思ったものの、積読の1冊になっていたところ、仕事の関係で教育に関するセミナーをやることになったので、そもそもの教育って何だろうと思ったことが読むきっかけになりました。

気になった&参考になったポイント

 参考になるポイントがあり過ぎるのですが、とりあえず下記が気になりました!

あるとき、気がついたんですよ。生徒たちは校則の理不尽さについて怒ってはいるけれど、結局、それは先生が、黒い靴下はいいが、白い靴下はダメといって、問題視したからこそ、そこに行きついたのではないかと。つまり、先生によって“つくられた”怒りなんじゃないかって。だからこそ、そこだけにエネルギーを使うのは、ほんとうにもったいない。(P.36)

要するに戦略を練ることです。真正面から戦いを挑み、対立の構図をつくったところで激しい圧力が加わるだけです。派手にぶちあげれば生徒たちは喜びますけど、反発もまた大きい。どんな提案をすべきか、きちんとした戦略が必要です。(P.40)

だれもが反対できない、つまり共有できる価値観を確認することで、自ずと“どうでもいいこと”も浮き彫りになっていきます。(P.44)

無理やり私の意見を押しつけるのではなく、何となくみんなに疑問を持たせて、だんだん風土を変えていくというんですかね。そのうちひとりひとりのスイッチが切り替わっています。(P.52)

くりかえしますが、大事なのは自己決定させること。それを促すために、とにかく子供への問いを重ねること。(P.60)

自律とは、「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する」ことです。(P.78)

いま、学校教育の目的というのは大きくわけて二つあると思うんです。
一つは個人のウェルビーイング。そしてもう一つは社会のウェルビーイングです。社会が持続可能になって、どんな障がいのある子どもでも社会のなかでよりよく生きていけるようにすること。子どもも社会も、ともに幸せなかたちをめざすべきで、それを実現させるために必要なのが、自律を促す教育であり、多様性を受け入れる教育です。(P.80)

そもそも人を値踏みするような社会になっていますよね。個人への批判が当たり前になっている。(P.87)

目標の最上位に置くべきは、学校を自己決定できる教育の場に変えていくこと。そして、ダイバーシティを受け入れていくことです。(P.93)

自分で物事を考えられなくなった人間には共通する特徴があります。うまくいかないことがあると、必ず他人のせいにするんですね。(P.103)

教育とは「やり直しができる子を育てることだ」と。(P.111)

そうですね。だから日本の学校教育にどっぷり浸かれば浸かるほど、世の中で活躍する人材は生まれてこないんじゃないかとも思うんです。世の中をつくっていくのは異端児ですよ。必要とされているのは、慣例に疑問をぶつけることのできる人間です。しかし、今の教育は、ただ従順で素直な人間をつくろうとしているように思います。(P.128)

「僕らの仕事はね、時には自己否定することなんです」(P.159)

自分の言葉を持つことがとても大事ですね。流されないためにも、無駄な衝突を避けるためにも。(P.176)

ほんとうの厳しさとは、お互いに認め合い、そしてお互いに責任を感じるということだなあと確信するようになったのはまさにこの頃です。(P.189)

議論というのはまとまるためではなく、お互いの違いを確認するためにするんだよ、と。そんなことを言い続けてきたんですよ。(P.201)

子どものころから自分の考えと違う相手と意見を言い合うことに慣れてないので、考え方の対立が感情的な対立に発展してしまう。(P.203)

対話は異なる意見の持ち主が、お互いの着地点、落としどころを見つけようとすることです。新しい関係性を生むために対話するんです。逆に言えば、新しい関係性を生み出せなければ、それは対話とは言えません。(P.204)

機会を作ってあげただけでは、人はやっぱり成長しないんですよ。言葉を発することの意味を教えないといけない。(P.217)

それなのに相手が悪い、誰が悪いと、あえて敵を設定し、感情の対立を起こしちゃうケースが多いんですよ。だからうまくいかない。感情の対立が表面化するから物事が進まない(P.222)

日本はタイムマネジメントを子どもたちに学ばせないですよね。時間は無限にあると思っていて。それこそ努力をして睡眠時間を削ってまでやる子が優れているというふうに勘違いしちゃうんですよね。身を削ってとか、努力をする人間。(P.230)

言語化することによって意識をコントロールできるようになる。(P.238)

さまざまな場所でいろんな利害の対立が起こっている。でも持続可能な社会とするには、自分の価値観とか自分の利益を損ねる方向で物事を進めなきゃいけないという痛みが生まれる。この痛みを伴いながらも、よりよい方向に行くためには、全員が当事者でなきゃいけなんだと。(P.245)

子どもたちが先生の求める姿を演じるだけでは意味がないんです。評価されることを予測したうえでの対話なんて、なんの力にもなりません。学びたいという気持ちを生かして、対話ができれば埋もれる子どもなんていない。(P.255)

感想

 2人の対談がとても面白かったのと興味深かったです。今回は学校教育の切り口で話していましたが、鴻上さんが演劇の世界の話も織り交ぜながらしていたので、僕も社会で働く上においても共通している話でもあると思いながら読んでいました。

 昔は答えが明確にあったから上からの指示に従うことが大切でしたが、今は自分たちで答え(時には問い)を見つけていく必要があるので、工藤さんがおっしゃる【自律】できる子ども(大人も)を育てることが教育の本来の目的であることが分かりました。

 また、対話はまとめることではなく、お互いの違いを認識するというのが、ワークショップで意見をまとめてしまおうとするのは、実はそんなに良くないことじゃないかと思っていたこともあり、この対話の考え方は参考にしていきたいです。

 自律できる人を育てるには、自己決定することが大事で、そのためには問いを投げかけて、失敗しても見守ることが必要だったりして、結構時間がかかることだと思います。しかし、人を育てるって本来そういうものなので、今までの効率化一辺倒の考え方では通用しないことは肝に銘じなければならないですね。

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