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気仙沼の“まち”を紐解く。

春の芽吹きが踊り出すにはまだ早いですが、期末を乗り越えた学生たちの心はいざ踊らんと浮足立つ、そんな時節になりましたね。どうも1年の石川です。
 
一応春休みということで、この異様に長い時間を活かすために、どこか観光に行きたいですね。そこで個人的な計画ではありますが、三陸の「気仙沼 (けせんぬま)」に行こう、と考えています。

今回は、宮城県北端に位置するこの「まち」の事前調査をします。

気仙沼ってどこ?

気仙沼市の位置。

宮城県の沿岸が北にはみ出たところです。地形的にはあまり目立たない位置かもしれませんね。ちなみに、市政区域を線で囲んでみると、まるで宮城県そのものを小さくしたように見えなくもない…。

気仙沼の魅力とは?

 素人でも、海産物がソレなのは直感するでしょう。三陸の一角ですから。また、カキの養殖も盛んです。でも、こういうのはやっぱり…行って確かめるべきですよね。ここは今のうちに、妄想を膨らましておきましょう…おっとヨダレが。
 食べ物には当然心惹かれますが、少し視点を変えましょう。リアス海岸によって作り出される、「地形」「豊かな自然」これらは言うまでもないですね。山谷が幾重にも現れて海岸線に迫りくる風景は、いつでも見る者を圧倒します。

だがしかし、ここで終わらせないのが気仙沼。ダイナミックに波打つその景色に綾なす巨大構造物…!! その名は、「気仙沼湾横断橋」と「気仙沼大島大橋」。

気仙沼湾横断橋。
大日本コンサルタント株式会社「気仙沼湾横断橋」(https://www.ne-con.co.jp/field/bridge/kesennumabaycrossingbridge/)から抜粋。
気仙沼大島大橋。
大日本コンサルタント株式会社「気仙沼大島大橋」(https://www.ne-con.co.jp/field/bridge/kesennumaooshima-2/)から抜粋。

デザインといいその規模感といい、これは気仙沼を牛耳るランドマークとみて間違いない。ただ、忘れてはいけないのは、これらは三陸の交通インフラを支える要衝であるということ。そして、こいつらが街の中から、はたまた山の斜面から、独特の曲線を描きながら麗しく巨大な構造体を伸ばして、海を渡る。

こんな感動的なイメージが存在しましょうか。

なにより、地形や既存の平面構造を超えた「立体的なまちづくり」に、その複雑さと機能性に富んだシステムに、私は憧れるのであります。
 
語りが過ぎたような気もしたので、気仙沼の観光公式サイトをここにリンクしておきます。気になったモノはご自身で調べるといいですよ。
【公式】気仙沼の観光情報サイト|気仙沼さ来てけらいん (kesennuma-kanko.jp)

本題

さて、本題です。先の語りは前座です。

突然ですが、質問です。クイズではありません。

この地形の中に街の中心地をつくるなら (正確には役所をおくなら)、どこにしますか?

国土地理院『地理院地図 / GSI Maps』陰影起伏図より作成

そんなこと言われても…という人のために、ヒントがあります。
下の図に示すように、三陸にある他のまちでは、広い平野部の端や、真ん中に役所を置いているようです。(矢印の位置)

陸前高田市の例。
国土地理院『地理院地図 / GSI Maps』陰影起伏図より作成
大船渡市の例。
国土地理院『地理院地図 / GSI Maps』陰影起伏図より作成
宮古市の例。
国土地理院『地理院地図 / GSI Maps』陰影起伏図より作成

それなら、例にならっておくとしたら、こことか、ここら辺になるか…?

役所をどこに置こうか…。(丸で囲んだ地点が筆者の考えた場所)
国土地理院『地理院地図 / GSI Maps』陰影起伏図より作成

では、ここまでが導入ということで、実際の位置をみてみましょうか。

気仙沼市役所の位置。
国土地理院『地理院地図 / GSI Maps』陰影起伏図より作成

そこか。そこなのか。
…思ったより微妙なところにありません?

ここで1つの予想が立ちます。

気仙沼の中心地自体が…”そっち”にあるのかもしれない。

…どうやら、そうらしい。

気仙沼の中心地と思われる区域。
国土地理院『地理院地図 / GSI Maps』より作成

気仙沼駅、市役所、税務署等がこの区画に立地しています。
陰影起伏図でわかりやすく囲むと、こんな感じ。

気仙沼の中心地と思われる場所を黄色い線で囲んだ。
国土地理院『地理院地図 / GSI Maps』陰影起伏図より作成

さて、一体なぜこの狭隘な谷間にまちの中心ができたのか?
気になりますね。

ちなみに、一応のため中心地と思われる区域以外の立地を確認すると、湾岸の工場がある区域よりも内陸の方では、ロードサイド型の店舗が立ち並び、その周囲に住宅地が配置しているのが分かります。郊外でよく見る立地ですね。しかし、ストリートビューで見ようとすると、多くの画像が「9年前」のものになっていて、現在の姿を確認するのに苦労します。
(ストリートビュー: https://goo.gl/maps/REGZdmYVG1UKGNdr9 )
この頃の太平洋沿岸地域は、まだ震災の影響を色濃く残しています。そして、その当時の景色が残されているということは、復興の記録が保持されている、ということなのです。

少し脱線してしまいましたが、先ほど投げかけた疑問を解く糸口を探すため、まずは気仙沼というまちが出来た経緯を調査していきましょう。

…とは言ったものの、いきなり「気仙沼 歴史」と検索をかける前に、1つ気になることを調べたいです。ずっと「気仙沼」と繰り返してきましたが、そもそも「けせんぬま」とは、一体どういう意味なのでしょうか。
 
もしかしたら、この名前から何か分かるかもしれない。

「気仙沼 由来」。

「歴史を知る手がかり」しかり、「そもそも“けせんぬま”って何」しかり。この文字に隠された意味をまず見ていきましょう。

ジャパンナレッジ 1)には、「けせんぬま」という地名はアイヌ語のケセモイ、ケセムイが由来で、意味は「入り江の奥」または「アイヌ勢力下の辺境の港」とする説があると示されています。そして、どうやら古代では、陸前高田から牡鹿半島までの、現在の気仙沼よりも広い範囲の沿岸部を「けせま」と呼んでいたらしい…。

気仙沼が実際に「ケセモイ」として認識されていたかは断定できません。「ケセモイ」は別の地区が起源の名前で、その周辺一帯の呼び名として使われた後、たまたま「けせんぬま」として名前だけが定着したかもしれない。そして、「ケセモイ」と呼ばれそうな地形は周辺に沢山あります。

しかし、周辺のリアス海岸の中でも特に深い入り江を持つ「気仙沼」なら、実際に「ケセモイ」としてアイヌの人に知られていたかもしれない。そして、そのように名付けられるということから、何かしらの地理的な役目があった可能性が考えられます。例えば、ただの推測にすぎませんが、漁業や交易の拠点であったことは想像できます。
 
ジャパンナレッジのウェブページをスクロールしていくと歴史が書かれていました。そのまま確認します。

…どうやら、仙台藩の海上交通の拠点として使用されていたらしい。加えて、現在の岩手県南部へ通じる街道「八瀬街道」や沿岸部をつなぐ「気仙道」(東浜街道)が通っており、宿駅も設置されていたという。また、塩田や鉱産資源の産出地が周辺にあったようです。
 
これらの情報から、気仙沼が物資の集散地・交通の要衝であったと窺えます。

この歴史から、重要な機能を持ったまちが昔から存在していることが分かりますね。

そして、地図上で実際の位置を確かめましょう。文書だけでは正確な位置は分かりません。

物流拠点、港、宿場町…つまり、湾岸付近で街道沿いということです。

まず街道をヒントにします。
気仙道は、現在の国道45号旧道に該当します 2)。

現国道45号線。完全にバイパス化しているため、旧道の面影は微塵もありません。

現国道45号線(赤色で示された道路)。市街地を西に巻くバイパスになっている。
国土地理院『地理院地図 / GSI Maps』より作成

旧国道はどこだ。
 
どうやら、現在の宮城県道26号線に該当する 3)ようです。
先の図の、国道と並んで南北をはしる、黄色で表記された道です。

これに加えてもう少し情報が必要です。

調べてみましたが、「八瀬街道」の位置は分かりませんでした。

しかし、先の作業で県道26号線を確認するためにgoogle mapを眺めていたところ、「気仙沼街道」の表記が見つかりました。
(グーグルマップ: https://goo.gl/maps/HGxo8HreEiEwiRG18 )

気仙沼街道は、現在の岩手県一関市花泉町から気仙沼に通じる街道 4)です。八瀬街道と一致するかはともかく、この街道の終点が「気仙沼」なので、この道は気仙沼の中心地につながっていたことが考えられます。そして、このことから昔からの気仙沼の中心地が導き出せます。

2つの街道の交点になっている可能性があるので、それを探してみます。

青が気仙道、緑が気仙沼街道。
国土地理院『地理院地図 / GSI Maps』より作成

街道の交点が街になっている…
気仙沼街道の終点はそこに対応すると考えられます。
したがって、昔の気仙沼の中心地についても同様に言えます。

どうやら、最初に中心地だと判断した場所が、昔からのそれだったようです。
 
これで、歴史で述べられていた「気仙沼のまち」が、現在の気仙沼の中心地であることが分かりました。

あの狭い谷の狭間にまちの中心ができた理由。…歴史的経緯が主な要因でしょう。

ここは考えましょう。
暗澹下文献を漁るよりは楽…(笑)。

歴史あるまち、気仙沼。
土木技術が十分に発達していない時代、低平な土地に人は住みません。水防の点で得策ではないからです。
 
第一に、人が住める場所。

さまざまな地点の標高(現在の数値)を示してみます。

各地点の標高。
国土地理院『地理院地図 / GSI Maps』陰影起伏図より作成

黄色い線で囲んだ部分が現在の中心地です。
そのエリアは他の沿岸の地区と異なり、小高い場所にあることが読み取れます。
 
そして、港が近い。
陸上交通にも難があるわけではないと考えられます。

まとめると、あの狭い谷にまちの中心が発展した理由は、
「昔から生活圏を展開させるのに良好な立地条件だったうえに港をもち、そして陸上交通の拠点としての需要も重なったから」
…ということですね。

では、今昔マップで気仙沼のまちの変遷を見てみましょう。(リンクも置いておきます。)
“答え合わせ”も兼ねて…
 
(今昔マップ: 今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室) (ktgis.net) )
(地理院地図: 地理院地図 / GSI Maps|国土地理院 )

1901~1916年。
「東浜街道」(気仙道の明治以降の呼称 2))が確認できます。また、この時点で、市街地は湾岸まで続いていた模様。
1949~1953年。
大船渡線が開通したようです。あまり気にしていませんでしたが、駅はその時の市街地辺縁に設置されるのを(今昔マップで)よく見ます。今は実際にまちの中心でも、昔のまちの中心を参照するには適した材料ではない、ということですね。

1969~1982年。
市街地が一気に拡大しました。市街地は駅の周辺に集中していたようですが、居住地区は山の斜面にも広がっていったようです。また、低平地を流れる河道の幅が先の図よりも大きくなったように見えますが、これは治水の影響でしょうか。
1990~2008年。
最初は平地の広範囲を占めていた田んぼさえも、すでに空前の灯。開発のスピードがよく伝わってきますが、新たに開通したバイパスのトンネル「田中トンネル」が、その名をもって、名残惜しそうにも見えます。
現在の地理院地図。
この図では分かりづらいですが、まちの中心地区が少し内陸に後退しています。東日本大震災の影響だと考えられます。

最新の地図で、気仙沼線と大船渡線の一部が見えなくなりました。鉄道が無くなってしまったんですね。東日本大震災の被害はそれほど大きかったのでしょう。

しかし、これまであった交通機関がそのまま消滅するのは、まちに暮らす人々にとって不便になりますよね。ここまで拡大した市街地を支えるための、鉄道の代わりとなる交通機能は、いったい何が担っているのか?

…皆さん、知っていますか?

「BRT」

…BRTとは?
簡単に言えば、鉄道敷を再利用した専用道等をバスが走るシステム 5)です。一般道も当然ながら走れるので、高速かつ利便性の高い旅客輸送が可能です。名称はBus Rapid Transit(バス・ラピッド・トランジット)の略称 5)です(決して“ブラタモリ”でない)。
気仙沼には、気仙沼線BRT、大船渡線BRTが新設されました。

個人的にBRTは好きです。鉄道に代表されるような独立した交通空間が、手が届く場所に来てくれるというイメージ…この独特さがまず良き。そのシステムを効果的に機能させるための装置の類、ちょっとした工夫も印象的です。BRT用の遮断機やオレンジに塗られたコンクリート、コンパクトな駅などなど…。

BRTのイメージ
JR東日本「気仙沼線BRT・大船渡線BRT(バス高速輸送システム): BRTの仕組み」(https://www.jreast.co.jp/railway/train/brt/system.html)より抜粋

そして、鉄道の名残がひしひしと感じられるのがまた良き。鉄道敷特有の細さ、整ったカーブ、そして普通の道とは交わらずいつもガードレールに囲まれ、私たちとは別の空間を走る様…まさに高嶺の花。鉄道が廃れても、その矜持は捨てないどころか活かす、という姿勢が、とても情熱的で感動的で合理的です。

…そんなわけで、
気仙沼に行くときはぜひBRTに乗りましょう!

最後の最後で脱線しましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます!

文責: 石川琳久

参考文献
1.ジャパンナレッジ「気仙沼市」(気仙沼市|日本歴史地名大系・日本大百科全書・世界大百科事典|ジャパンナレッジ (japanknowledge.com))(閲覧2023/2/10)
2.ウィキペディア「気仙道」(気仙道 - Wikipedia)(閲覧2023/2/10)
3.ウィキペディア「国道45号」(国道45号 - Wikipedia)(閲覧2023/2/10)
4.岩手県教育委員会(1980)「気仙沼街道」『岩手県文化財調査報告書第40集』p. 7
5.JR東日本「気仙沼線BRT・大船渡線BRT (バス高速輸送システム): BRTの仕組み」(BRTの仕組み:JR東日本 (jreast.co.jp))(閲覧2023/2/11)

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