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A but B (宇多田ヒカル新作「初恋」について)

宇多田ヒカルの新作が素晴らしい。私は30歳なので宇多田ヒカルのデビューが騒がれている状態もリアルタイムで体験できているし、彼女が恋について歌えば比較的近い内容として聴く事もできる幸運な世代。

個人的な音楽体験履歴からみると、
デビューの頃は超一般的な大衆の一員として聞けたし、復帰後のfantomeからは多少音楽経験を積んで大衆からは少し外れた立場から聴けているという幸運もある。(“宇多田ヒカルがデビュー時にFirstLoveと軽やかに言えた状態と、初恋と意味深に言うテンションの違い”に近いかもしれない。)

本作の魅力はあらゆる切り口での矛盾が、ポップスのフォームをギリギリ借りて共存しているところだと思う。例えば、
・4拍子 but 6拍子
・ポップス but ブラックミュージック
・歌 but ラップ
・日本語 but 英語符割

最もわかりやすいのは、「4拍子 but 6拍子」かもしれない。これは「誓い」で聴ける。

4拍子を目一杯スイングさせて拍子の感じ方を揺らす(究極だと拍子を変えて聴かせる)ことは最近のジャズで頻発するアプローチだけれども、こんな音が日本のチャートトップの楽曲で採用されることになるなんて、業界の大事件だと思う。
これをさりげなくやると言うよりも、ブリッジ部ではビートを消してボーカルだけの4拍の3連符で取ったり、サビのビートは限りなく6拍子の聞こえに寄せられていたり、かなり積極的に拍子の感じ方を曖昧にしている。そのうえで歌によってサラリとしたポップスらしい美しさを保っている。

アルバム発売前に、「誓い」はゲームの主題歌になったため上に貼ったトレーラーが公開されていて、こんな挑発的なリズムになぜ???とテンション高く思っていたら、
本作全般のドラムはブラックミュージック(R&B〜ヒップホップ〜Jazz横断)で人気のドラマーChrisDave氏採用とのこと。この出来事もすごい。

「大空で抱きしめて」サビでは気持ち良いハイハットでありながらさりげなく3拍子で取ってくる(4拍子を3連符で割って、3連符4つ束=3拍で取ってる)し、「嫉妬されるべき人生」ではアルバム最後だからヤケなのかバスドラで完全にブラックミュージックのそれだし。。

上記リズムの複雑性が独立しているのではなく、宇多田ヒカルの歌い方の面でも好き勝手やっている。
歌詞の単語が拍子をまたぐ。これは漫画の"めくり"のように聴き手の耳を離さない。(これは昔からやってる。)
最近のヒップホップの中で展開をつける方法(三連で細かくリズムを取ったり、ラップなのに言葉を伸ばす事)も出てきたが、そういったラップの中のリズムアプローチを歌の側から取り込んでいるとも思う。(Too Proudとか。)
そういったラッパー達がやってる事もやりつつ、音階完璧人間ならでは、一語で複数音階を行き来したりしたりする事(Forevermoreとか)の邦楽でなかなか聴けない“歌感”も共存させている。

つまりリズムとメロディに関する選択を、音楽ジャンルや言語特性に縛られずに行き来している。その態度は“分野の良さを極める”と言うよりも“やりたい事をやる”というスタンスに見える。
連想するのはビートルズがホワイトアルバムで変な事をやってるけどビートルズとして成立している感覚に近い。作品としての完成度が、製作者の自由(お客にとっての初体験)による違和感を超えている。

そして、これらの自由が大衆が受け取るポップスのフォーム上で存在している価値は高い。
この自由奔放な音楽が、老若男女問わず多くの人の耳に入ること。共感やニーズを前提に組み立てられるポップスとは真逆の製作物を大衆に晒してこそプロ。内容の純粋な素晴らしさと、このアーティストの態度に感激が止まらない。