2010年 NZホームステイ、大学卒業、大学院入学 2011年 国際WS、就活、旅行(アメリカ,ポルトガル,スペイン,中国) 2012年 大学院卒業、就職で上京 2013年 金沢で雑居ビル共同賃貸&DIYプロジェクト始動 2014年 DIY完成 2015年 金沢で戸建購入① 2016年 金沢で戸建購入② 2017年 バンド始動(iTunes発売、毎週スタジオ、月1ライブ) 2018年 入籍 2019年 挙式、金沢にマンション購入、渋谷にマンション購入 2020年 金沢マン
自分の活動を記録するということは、自分目線では「名刺代わりになる」ということ、社会からの目線としては「単純化する物差しからの脱却」となる。 単純化する物差しの最たる例が貨幣であり、そのカウンターになる。
金沢市本多町(金沢21世紀美術館徒歩3分)に 30平米ちょっと(何人かで集まるにも 一人で使うにも丁度良い規模)の古いマンションを買った。 一人にお貸しする(一般的な賃貸)は勿論考えてるけど 東京在住の私含め、5人くらいでシェアする場所にしても良いかなーと 思い始めた。 金沢市、または石川県のちょっと遠くに住んでる人も、ここに出入りできる口実が出来たら 「金沢の見え方」が変わるんじゃないかなと。 あと、書斎・制作場みたいな所が家以外に持てたら 「家の在り方」も変えれるかもし
少し先の展望を書く。 今、金沢市内に比較的小さめの物件を、まちなかに分散して持っている状態。 これを今までみたいに一戸毎に一人に借りてもらうかたちだけでなく 複数住戸・複数人に借りてもらう状態をつくりたいと思ってる。 そのための仕組みやルールをつくる。 (段階的には、それぞれの住戸を通常の賃貸の1〜2割の家賃?で借りてもらう形。 それが物件毎に掛け合わせて発生し、増えていくごとに乗り換えてもらっても良いし、複数を借りてもらっても良い。 宿泊のルール、来客のルール、監視やセキュ
去年、予想に反して 金沢のまちなか居住だと売買よりも賃貸なんだなーって実感した時、 じゃあ私が上手に買ったり改修した物件を 身近な仲間に安く住んでもらおう って思った。 住み方として賃貸が最適解の人も間違いなくいる訳で。 そういう人が、微妙な大家の 微妙な物件に 相場で住むのはなんか腑に落ちない。 大きな方針をちゃんと持って、この払った家賃はきっと金沢のまちなかに有意義に還元されていくんだろうなっていう 納得感の有る循環を生む大家になりたいと思ってる。 勿論、そこから引越
都市→建物→内装→インスタレーション これは時間軸の順番。 都市を考えるには100年単位での思考が必要になるし、 インスタレーションを考えるには、今そこで生まれることについての思考。 建物単体はその両方の側面で間くらいの時間軸。 これは思考するハードの対象によって、思考する出来事の時間軸が決まるという気づきだけど、 これを逆に捉えて、考えたい時間軸によって相手取るハードを変化させる事が可能なのではないか。 相手取るハードを切り替えていくことで、活動の向き先の時間軸を伸縮
リアル 性格上ついやってしまうこと、環境や立場上やらざるを得ないこと、の積み上げ。 つまりそれを通して人間性や生き様を感じ取れること。
世の中カネだ というのは半分真理なのかもしれないけれど、 残り半分の真理について考えたいと思う。 お金を稼がないと家が無い、飯も食えない、友達からの遊びの誘いにこたえられない というなら そこまでは稼がないといけない。もしくは支出を削らなければならない。 裏を返すと、自分が最低限満足に生活できる程度は稼いだ以上も、お金は稼ぐ必要があるのか?それは無いだろう という話。 (未来を不安がって蓄えておきたいという人は好きにすれば良いと思う。それも同じように、「どこまで貯めたら気が
気付けば34歳で、 その年齢を正しく認識していたいなと思ってる。 例えば自分がハタチの頃ってある程度情熱と目標(もちろんわからない事だらけなんだけど"この矛盾に挑む"程度の抽象度)を持って生きていた記憶がある。 ハタチの人達はもう同年代じゃない。ひとまわり前の世代をしっかり知って具体的な敬意を持って生きていきたいと思ってる。 急に俗っぽい話になるけど、 AbemaTVでラップスタア誕生っていう番組があって、 3年前くらいからの企画みたいなんだけど今年初めて見てやたらとハマっ
東京在住で金沢にリノベマンションをつくってインスタグラム経由で売ったり貸したりしてるけど、 そのやり方がz世代向けだったりD2C的だったり、 非常に今っぽい方法を意識してやってる面があります。 でもコレって地方都市でz世代が触れても、案外言われてるようなz世代的な人ではないんじゃないかなと感じている。 つまりz世代ではあっても、親や環境の影響を大いに受けて、自分と同等(またはそれより古風な)価値観にあってあんま私の活動って響かないんじゃないかなと。 でも全然それで良いと思っ
他人のしょうもないアウトプットを浴びることに疲れてきた。 自分自身がSNSで発信するようになっておきながら、そんな事を言うのは矛盾しているようなんだけど、とにかくそう感じる。 無意識にケータイを触ってしょーもない情報を浴びるというのは健康的ではない。何か変えないといけない。 (自分がSNSで発信してるのは、そういう無意識にマイノリティかつ社会的な意思を紛れ込ませようという意図なので、そこは切り替えて頑張りたいところだが・・・) ①自分の内側を見つめる純度を高めたい ②ノイズ
東京にいながら金沢で不動産を買うなんて、投資以外のイメージを持たれないと思うけど、そうじゃない という話。 私は無駄が嫌いで。 もう少し具体的に言うと時間やお金の“掛け捨ての関係“が嫌いです。 わかりやすい例だと,非日常のリゾート地に行ってストレスを発散するような行動。 対してどういう行動を取るようにしているかというと, 自分の日常や身の丈に合った行動にお金や時間を使うようにしています。 または,日常や身の丈自体が拡張できるような方法でお金や時間を使っています。 東京で味
自分が楽しいと感じることを、自分が楽しむためだけにひっそり行う事が自分の性格だと思っている。 けれども2年前からは、不動産を購入・改修・販売することを通して 友人だけでもなく、面識の無い他人にも 不動産ポータルサイトやSNSを介して発信してみることにした。 この発想に至った決定的な出来事の1つは間違いなく結婚式だった。 自分にとって「不動産を購入し、改修し、販売する」というのは結婚式と同じ。 どういう点でそうなのかというと、 「自分の過去を引っ張り出してきて、現在に掲げ、未
自分の内面を記録することが必要だと強く感じた。 最近もっぱら自分が個人でやってる活動(金沢での物件購入&改修&利用)をどうやって整理していこうか考えているんだけど、 外的要因に注目してまとめていったところであまり納得感が得られない。 もちろん、それらしくまとまったりもするんだけど、もっと深い感情や考察が伴った活動のはずなのにそれが表現できないもどかしさが強い。 そんな中、ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟に触れる機会があり、直感的に惹かれた。 内省と社会批評が絡まった表現
経済思想家の人新生の資本論だとか、首相が言う新しい資本主義だとか、 最近資本主義自体をどうにかしようとするトピックが流行している。 私も10年程前から資本主義自体を疑いたくなって勉強してきた1人だが、 自分の役割としてはそこにメスを入れるというよりかは 資本主義の仕組みの中で弱い点を意識して、何を見せるのか・何を起こすのか を考えていくのが丁度良いんだろうなと思ってきた。(今更ですけどね) とはいえ、一度10年近くかけて資本主義を勉強して見て得た事は多く、その中でいかに動くか
儲けるために どんな人にも通じるように簡略化して宣伝する事で、社会全体が劣化してくように感じる。 社会インフラとして一定数仕方がないと思うけど、 儲けに寄らない活動を設計しないと、自分の周囲が貧しくなって、結局自分に影響が出てくる気がする。