内省が必要:「暮らし」を「実験」に変える

自分の内面を記録することが必要だと強く感じた。
最近もっぱら自分が個人でやってる活動(金沢での物件購入&改修&利用)をどうやって整理していこうか考えているんだけど、
外的要因に注目してまとめていったところであまり納得感が得られない。
もちろん、それらしくまとまったりもするんだけど、もっと深い感情や考察が伴った活動のはずなのにそれが表現できないもどかしさが強い。

そんな中、ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟に触れる機会があり、直感的に惹かれた。
内省と社会批評が絡まった表現として、自分が作りたかった"整理"として一つの到達点に感じた。
ドストエフスキーは、制作時から内省と自己投影を意図しているだろうから、その点は私の金沢でのプロジェクトとは異なると思うけれど、
自分を絞り出してやっている活動ではあるので、「結果的に自分の要素が色濃く投影されているのではいか」という仮説のもと、それを丁寧に汲み取る活動を行おうと思った。
(無意識の自分を、活動結果を通して発見する方が意義深いとも思う。)

それが自分のこれまでの活動をまとめることにもなると思うし、今後の活動を考える助けにもなると思う。
過去と未来が連続したものであるという感覚があるが、それの拠り所となるのは外的要因ではなく常に自分から離れず存在している自分のはずだから。

で、まとめる方法としては、一人で音声でバーっと話したことを録音して、それを文字化する方法を取ろうとしている。
自分のことは頭の中だけで向き合ってきたので、手法もセットで作っていく必要があったと思うけど、この方法によって新しい自分との向き合い方がスタートできるかもしれないと期待してる。

音声での記録