なぜ金沢に不動産を買っているか

東京にいながら金沢で不動産を買うなんて、投資以外のイメージを持たれないと思うけど、そうじゃない という話。

私は無駄が嫌いで。
もう少し具体的に言うと時間やお金の“掛け捨ての関係“が嫌いです。
わかりやすい例だと,非日常のリゾート地に行ってストレスを発散するような行動。
対してどういう行動を取るようにしているかというと,
自分の日常や身の丈に合った行動にお金や時間を使うようにしています。
または,日常や身の丈自体が拡張できるような方法でお金や時間を使っています。

東京で味わえる日常は最大化(例えば,渋谷に住むことで、公園=代々木公園、商業施設=100年に一度の再開発の渋谷駅周辺、街並み=代官山 など)しつつ,
「東京の日常で埋まらない部分」を叶えてくれる日常の構築のためにお金と時間を使う。(例えば のんびりとした雰囲気、川や山、世間の狭さ。抽象的だけど…)
それが金沢に日常の一部を持たせる事で,具体的には不動産を買い現地人として繋がりを構築する事でした。

「東京で叶えられる循環」「東京で叶えられない事(金沢で叶えられる事の循環)」二つの循環同士を更に循環させる事で,
「東京で稼いだお金・培った経験」と「金沢で実験した経験値・ビジネスではないコミュニティ」が活かし合う感覚があります。なので金沢では儲けを目的とせず
活動の持続性を担保する程度の対価で不動産が維持できれば良い という線引きで購入・改修することができる。(その分内容に拘る事ができる。) そうすると活動内容も他人の物件と“結果的に”差別化ができて,自分が何者かの答え合わせもできる。

最近は儲けが目的でなくても,承認欲求を目的としてやってる人もいるけど、その人は大変そう。かつ他人が基準になるから自分の生活との一貫性が無い。そういう人はすぐわかる。
「誰に認められなくても自分がやりたい事」を継続して、少し他人がたどり着き易い状態にして、関係性が心地良い範囲で膨らんでいけば良い。

,,、これは全然上手く文字で表現できていない気がする。
音声で記録するとサラサラ出てくるのが不思議。それだけ細かいニュアンスの集積という事なんだろう。

音声の記録

ここがまとめれたら,次は自分なりの金沢っぽさ、東京っぽさ についてもまとめたいなぁ。