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それぞれの過ごし方 モノクロ手焼きプリント#2

宮島という土地は不思議な場所だと思う。
厳島神社、大聖院、山岳信仰の対象とされる弥山など宗教的なもので溢れかえった島であり、世界遺産を目当てにした観光地でもあり、人々が普通に暮らす場所でもある。
そして私のように広島に在住していて、たまに訪れては少しの非日常を味わって帰る、という場所でもある。私は宮島が好きで1シーズンに一回ぐらいのペースで訪れている。アクセスもしやすくその上いろいろな過ごし方が出来る為、実は「ちょうど良い」場所なのだ。

コロナ禍の時も訪れていたが、その時は本当に人が全然いなかった。
平日に訪れていたのもあったが、賑わっていたこの場所がこんなに寂しくなるのか…と愕然とした記憶がある。だが、その分静かな宮島を堪能出来たのでその点においては良かった。島の歴史をじっくり感じたり神社仏閣で誰にも邪魔されずに物思いに耽る事が出来るのはとても素晴らしい事だ。
そしてだからこそ島で働く人や暮らす人とゆっくり話す機会も得られた。みな暖かく良い人ばかりだった。

そしてコロナも落ち着き、海外の人も受け入れるようになってからは以前の姿を取り戻した。いや、体感的には以前よりも人が多いような気もする。それぐらい活気が取り戻された。
そうした中過ごしていて思ったのが、そこにいる人々がどんな過ごし方をしているかを見るのは、とても面白いという事だ。
一つ観光地と言っても訪れる目的も人それぞれだ。そこにある物を見たい、そこにあるお店に行きたい、とりあえず観光地に行きたい、誰かについて来ただけ、仕事の為、など人それぞれ目的があり、そしてその数だけ過ごし方がある。しかも同じ目的でもそこに対する過ごし方もまた人それぞれ違ったりする。楽しみ方は本当に千差万別だと感じる。


この写真に写っている方は海外の方なのだが「なんと絵になるんだろう!」と思って咄嗟に撮った。木にもたれかかってご飯を食べている。それだけなのに様になる。様になるかならないかの違いはおそらく「その行為に慣れているかどうか」と「他人の目を気にしているかどうか」の二つが大きいと思う。


この写真では浜でスマホを見ている人と本を読んでいる人、そして遠くに家族連れが写っている。手前の二人は「せっかく来たんだから!」と思わず言ってしまいそうになるが、でもそれでいいじゃないかとも思う。「この場所で何かを読みたい」と思ったのかもしれない。

ちなみにこの写真に写っているのも全員海外の方だった


と思えば昼寝をしている人もいる。この時は陽が強くて暖かい日だったから気持ちいいだろうと思う。しかも周りには人が沢山いるという安心感もある。それにしても、スーツを着ているがこの人は仕事の合間なのだろうか。それともいろいろ嫌になって逃避している最中なのだろうか。そういった想像も面白い。


最近は商店街の中におしゃれなお店もかなり増えていて、若い人が楽しめるようになっている。実際若いカップルや友達連れはかなり多く見かける。
日本の宗教色が強い島に来て、映えるのだろうか?などと思ってしまうのはおそらく野暮な事なのだろう。誰かと一緒にどこかに行く、それだけで人生は楽しいという事を忘れていた。


昔の私はそれこそ「せっかく歴史のある素晴らしい場所なのに散歩しているだけの人が多い!けしからん!」みたいに思っていたのだが、今は「まぁそれでいいじゃないか」と思うようになった。これも成長だろう。
人の迷惑にならなければ基本的に過ごし方は自由だ。それこそ海外の方は特に過ごし方が自由だと感じる。マナーを守らないとかそういった意味ではなく、自分がこう過ごしたいんだ!という気持ちを強く感じる。そういった姿に憧れる。
そしてそれらを記録として残すのが、写真を撮る人間の役割と言えるだろう。一歩引いた視点から人々を見るのは面白い。これからもモノクロのフィルムでそれらを残していけたらと思う。


camre : LEICA M2
lens : voigtlander NOKTON vintage line 50mm F1.5
film : Kentmere pan400
paper : Ilford MGRC


フィルム写真の文化の一助になるよう活動を続けたいと思います。フィルムや印画紙、薬品の購入などに使わせて頂きたいと思うので、応援の程よろしくお願い致します!