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共依存だったあの頃

先日母のところへ子供達を連れて泊まりに行った。以前は足がだいぶ遠のいてたのだが、最近割と会っている。自分の時間の自由度がきくようになったことが大きい。

双子が離乳していない頃は荷物がとにかく多く、泊まりに行くにも大変だった。今はだいぶマシになった方。(でもやっぱり幼児3人分の荷物は多い)

嬉しいことに皆、母に懐いており母もそれを喜んでいる。子供達皆と祖父母の仏壇の前で手を合わせる。祖父母に実母に私、子供達。4世代が同じ空間にいるのか、と思うと感慨深かった。祖母は私が21歳の頃他界しているので、ひ孫の顔は見たことがない。あの頃は私もこんなに男児に恵まれるなんて想像もできていなかった。本当、人生は何が起こるかわからない。


もうひとつ。なんとなく母から足が遠のいていた理由がある。
それは私と母が「共依存」関係だったと気づいたからだ。中学2年の頃、両親が離婚した。それから女で一つで働く母を長女として支えなければという思いと、同性である私に対しての母の思いが融合した。社会人になってからも、その関係は続いた。当事者だったので気づかなかった。

それに気づくきっかけとなったのは結婚当初、夫から私と母の関係性について指摘を受けたこと、そして鬱になったことである。(この当時の話は次の機会で)

時は流れ鬱を経て、私は年子双子の三人男児の母となり、結婚生活も7年目を迎えようとしている。
私の考え方もだいぶ成長したと思う。幸せな時間もあったがどこか歪曲していた子供時代の家族の形。それは、わたしの色眼鏡でみた世界であることも今はわかる。分かって上で今、自分の家族の形がある。母と素直に向き合えている自分がいる。


10代の私へ。
今、私は母に甘えられています。


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