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大映映画の世界

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大映京都撮影所、大映東京撮影所で作られた作品や、スターについての記事をまとめました。
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#悪名シリーズ

勝新太郎と田宮二郎『悪名』大全

勝新太郎と田宮二郎『悪名』大全

朝吉(勝新太郎)と清次(田宮二郎)コンビのパワフルで豪快な痛快シリーズ! 佐藤利明の娯楽映画研究所でアップした「悪名」シリーズのレビューのリンクを一覧にしました。こちらから各作品にアクセスできます。

『新・悪名』(1962年6月3日・大映京都・森一生)『続・新悪名』(1962年11月3日・大映京都・田中徳三)『第三の悪名』(1963年1月3日・大映京都・田中徳三)『悪名市場』(1963年4月8日

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『悪名 縄張荒らし』(1974年4月24日・勝プロ=東宝・増村保造)

『悪名 縄張荒らし』(1974年4月24日・勝プロ=東宝・増村保造)



 昭和46(1971)年12月8日、大映が倒産した。昭和29(1954)年、同じ昭和6(1931)年生まれの市川雷蔵と共に大映に入社。昭和30年代後半から「悪名」「座頭市」「兵隊やくざ」と斜陽の映画界で、ヒットシリーズに主演、大映を牽引してきた勝新太郎にとっても長年のホームグラウンドを失うこととなった。「眠狂四郎」「忍びの者」「陸軍中野学校」などで、勝新と共に「カツライス」時代を気づいた市川雷

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『悪名一番勝負』(1969年12月27日・大映京都・マキノ雅弘)

『悪名一番勝負』(1969年12月27日・大映京都・マキノ雅弘)

 大映でのシリーズ最終第15作、勝新太郎の『悪名一番勝負』(1969年・マキノ雅弘)。前作から2年弱、田宮二郎の退社により、勝新の朝吉のみとなった弱さをリカバリーする意味もあって、脚本・監督にはベテラン・マキノ雅弘監督を起用。任侠映画ブームを牽引したマキノ雅弘監督は、この年だけでも、高倉健『昭和残侠伝 唐獅子仁義』(3月6日・東映東京)、高倉健『日本侠客伝 花と龍』(5月31日・東映東京)、高橋英

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『悪名十八番』(1968年1月13日・大映京都・森一生)

『悪名十八番』(1968年1月13日・大映京都・森一生)

 前作『悪名一代』(1967年6月17日・安田公義)から半年ぶりのシリーズ第14作『悪名十八番』(1968年1月13日・大映京都・森一生)は、清次=田宮二郎の最後の作品となった。前作で「任侠映画」に大きくシフトしてしまったシリーズを、本来の「悪名」シリーズの味わいに戻した明朗な痛快篇。「悪名」はこれでなくっちゃ、の名場面が随所にあって、楽しい仕上がりとなっている。

 この映画の封切り同日、日活で

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『悪名一代』(1967年6月17日・大映京都・安田公義)

『悪名一代』(1967年6月17日・大映京都・安田公義)

 昭和36年にスタートした「悪名」シリーズも6年、第13作目となる。前作『悪名桜』では堅気となり「焼き鳥屋」を開業した、朝吉(勝新太郎)と清次(田宮二郎)だったが、一年3ヶ月後の『悪名一代』(1967年6月17日・大映京都・安田公義)では、再び「悪名」を晒しながら生きるアウトローに戻っている。しかも、今回は、それまでのシリーズでは踏み越えてはないかった「一線」を超えて、清次も朝吉も「やくざ映画」の

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『悪名桜』(1966年3月12日・大映京都・田中徳三)

『悪名桜』(1966年3月12日・大映京都・田中徳三)

 なんと朝吉と清次が堅気になり、焼き鳥屋の親父に! というアッと驚く状況から始まるシリーズ第12作『悪名桜』(1966年3月12日・大映京都・田中徳三)を久しぶりに堪能。昭和36(1961)年にスタートしたこのシリーズ。邦画の現代劇では、東宝の「社長シリーズ」が『続・社長行状記』(1966年2月25日)で25作、「駅前シリーズ」が『喜劇 駅前弁天』(1月15日)で14作、に続いての多作だった。こう

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『悪名無敵』(1965年10月25日・大映京都・田中徳三)

『悪名無敵』(1965年10月25日・大映京都・田中徳三)

 「梅に鶯、松に鶴、牡丹に唐獅子」とは清次(田宮二郎)の口癖、「朝吉親分に清次」と続く。昭和36(1961)年にスタートした勝新太郎と田宮二郎の当たり役「悪名」コンビも年を重ねて4年。脚本・依田義賢、撮影・宮川一夫、音楽・鏑木創、監督・田中徳三のベストメンバーが揃っての第11作は、東宝のトップスターだった八千草薫がゲスト出演。メインのヒロインは藤村志保だが、この2人はのちに「男はつらいよ」シリーズ

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『悪名太鼓』(1964年8月8日・大映京都・森一生)

『悪名太鼓』(1964年8月8日・大映京都・森一生)

 シリーズ第九作は、九州篇。今回のシナリオは、第八作まで手がけてきた依田義賢に変わって、若手の藤本義一にバトンタッチ。藤本は大阪府立大学経済学部在学中から、ラジオドラマや戯曲を執筆、昭和32(1957)年、ラジオドラマ「つばくろの歌」で芸術祭文部大臣賞・戯曲賞を受賞。卒業後は、東宝傍系の宝塚映画撮影所に入社、川島雄三監督に師事して『貸間あり』(1959年・宝塚)や『丼池』(1963年・宝塚・久松静

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『悪名一番』(1963年12月28日・大映京都・田中徳三)

『悪名一番』(1963年12月28日・大映京都・田中徳三)

 今回のカツライスは、勝新太郎&田宮二郎のシリーズ第8作にして、初の東京篇。『悪名一番』(1963年12月28日・大映京都・田中徳三)を娯楽映画研究所シアターでプロジェクター投影。前作『悪名波止場』(1963年・9月7日・森一生)で広島・宇品港の鬼瓦組を一網打尽にした悪名コンビ。今回は悪徳金融会社から出資金が回収できずに、年の瀬を迎えられなくなった善良な大阪の人たちのために、朝吉がひと肌脱いで、清

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『悪名波止場』(1963年9月7日・大映京都・森一生)

『悪名波止場』(1963年9月7日・大映京都・森一生)

 今回のカツライス二皿目は、勝新太郎&田宮二郎のシリーズ第7作『悪名波止場』(1963年9月7日・大映京都・森一生)。前作『悪名市場』(森一生)は、四国を舞台にニセ朝吉(芦屋雁之助)とニセ清次(芦屋小雁)が巻き起こす大騒動の喜劇篇だったが、今回は、その帰り道に遭遇したトラブルのお話。これまでは、やんちゃな男たちの「喧嘩」「騒動」が主体で、第二作『続・悪名』(1961年・田中徳三)のラストで“モート

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『悪名市場』(1963年4月8日・大映京都・森一生)

『悪名市場』(1963年4月8日・大映京都・森一生)

 今回の「カツライス」二枚目は、脂の乗り切ったロースカツのような、シリーズ第六作『悪名市場』(1963年4月8日・大映京都・森一生)。朝吉=勝新太郎と、清次=田宮二郎の“悪名コンビ”についにニセモノが登場する。シリーズものが定着して“みなさまご存知”となってくると、本家の評判にあやかろうと“ニセモノ”が登場する。その最初が「水戸黄門漫遊記」だろう。戦前から、水戸黄門映画にはニセモノの黄門様、助さん

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『第三の悪名』(1963年1月3日・大映京都・田中徳三)

『第三の悪名』(1963年1月3日・大映京都・田中徳三)

 今回の「カツライス」は、カツ単品で、勝新太郎&田宮二郎主演、シリーズ第五作『第三の悪名』(1963年1月3日・大映京都・田中徳三)をスクリーン投影。今東光原作から設定だけというか、映画版独自のクロニクルとして、依田義賢がシナリオを執筆。タイトルの「第三の悪名」は、日活からフリーになったばかりの長門裕之のこと。

 キャメラは、第二作『続・悪名』(1961年)以来となる名手・宮川一夫。『続〜』のラ

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『続・新悪名』(1962年11月3日・大映京都・田中徳三)

『続・新悪名』(1962年11月3日・大映京都・田中徳三)

 今東光原作、勝新太郎&田宮二郎主演のシリーズ第四作『続・新悪名』(1962年11月3日・大映京都・田中徳三)を久しぶりに娯楽映画研究所のスクリーンで投影。タイトルがややこしいが、前作『新・悪名』の続篇という意味である。脚本は、ベテランの依田義賢。第二作で原作のエピソードを描いてしまったので、完全オリジナル。このシリーズを立ち上げた田中徳三が監督に復帰している。

 今回は、再婚してしまった元女房

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『新・悪名』(1962年6月3日・大映京都・森一生)

『新・悪名』(1962年6月3日・大映京都・森一生)

 シリーズ第三作『新・悪名』(1962年6月3日・森一生)は、戦後篇。復員してきた朝吉(勝新太郎)は「生きていた英霊」で、戦死公報により墓まで建っていて、女房・お絹(中村玉緒)は再婚していた。それでも朝吉は堅気になる決意をして、前作のラストで死んだ弟分・貞(田宮二郎)の故郷・徳島へ。貞の母(武智豊子)の面倒を見て、貞の女房・お照(藤原礼子)と共に、大阪の闇市で「びっくり雑炊」を始める。

依田義賢

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