マガジンのカバー画像

日活ニューアクションの魅力!

23
日本のアクション映画史上、最大のターニングポイントとなった1960年代末から70年代にかけての「日活ニューアクションの世界」をまとめました。
運営しているクリエイター

#娯楽映画

日活ニューアクションの時代〜『無頼』と渡哲也〜

日活ニューアクションの時代〜『無頼』と渡哲也〜

 1960(昭和35)年、日活は石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治の四人のトップスターを“ダイヤモンドライン”として命名、彼らの主演作をローテーションで公開する“ピストン作戦”を展開。アクション映画の黄金時代が到来した。ところが1961(昭和36)年には、裕次郎がスキー事故で骨折、赤木圭一郎が不慮の事故で亡くなるというアクシデントに見舞われ、その穴を埋めるために、ダイヤモンドラインに宍戸錠、

もっとみる
『野良猫ロック セックス・ハンター』(1970年・長谷部安春)

『野良猫ロック セックス・ハンター』(1970年・長谷部安春)

 「野良猫ロック」の最高傑作は何か? 意見が分かれるところであるが、長谷部安春監督による第三作『野良猫ロック セックス・ハンター』(9月1日)が、シリーズの中でも際立っていることは間違いない。梶芽衣子の名台詞「バッキャロー!」は本作で登場。冒頭、中年のオジさんをカツアゲる不良少女グループのリーダー、マコを演じた梶芽衣子のスタイル! つば広の帽子にマキシ、ファッショナブルな梶芽衣子の美しさが輝いてい

もっとみる
『女番長 野良猫ロック』(1970年・長谷部安春)

『女番長 野良猫ロック』(1970年・長谷部安春)

 日本万国博覧会に沸き立つ1970(昭和45)年は、様々な時代のひずみが噴出しつつあった年でもある。斜陽の映画界では、製作システムが激変。この『女番長 野良猫ロック』も、和田アキ子の所属しているホリプロの系列会社であるホリ企画が製作、日活が配給するというかたちで企画された。

 脚本の永原秀一は、1967年『拳銃は俺のパスポート』(野村孝)で、センセーショナルにデビュー、それまでのヒーローが悪玉を

もっとみる
長谷部安春の日活ニューアクション時代

長谷部安春の日活ニューアクション時代

 長谷部安春監督のデビュー作は、小林旭のスパイ活劇『俺にさわると危ないぜ』(1966年2月12日)。助監督時代、鈴木清順に師事しただけあって、ポップな感覚にあふれ、セット中心の展開は人工美の魅力に満ちている。同時に、本寸法の演出は、やはり師匠の野村孝譲りの判りやすさだろう。日活が驚いたというカット数の多さは、長谷部自身の粘りによるもの。しかし、興行的にふるわず、1年4ヶ月ほど干されてしまう。

 

もっとみる