見出し画像

【69】心の平和を求めて:「善」と「悪」の間で揺れるストレス

私たちの日々は、大小さまざまな挑戦に満ちています。その中で、「善」と「悪」という二つの力が常に働いていると感じたことはありませんか?
これらの定義は難しく、はっきり言って「永遠のテーマ」です。

例えば、A国とB国が戦争をしている場合、A国にとっての善悪と、B国にとっての善悪は、全く逆になりますよね。だから、何が「善」で、何が「悪」なのかは、誰も決めることができません。

ただ、このテーマついて考える時、私たちは自分自身を見つめ直す機会を得ます。特に、自分が何を大切にしているか、どのように生きるべきかについて深く考えることになります。これがとても大事なことなのです。

例えば、自分が「善」の側に立つ人だと考えるとき、私たちはよく「悪」に対して「怒り」を感じ、それを許さないと決心します。でも、その怒りが時には大きな重荷となって、ストレスを抱えることになってしまうこともあります。

一方で、「悪」とされる側に立つ人はどうでしょう。時には自分たちの行動を「楽しんでいる」かのように見え、ストレスを感じていないようにさえ思える時があります。

これには賛否両論はあると思いますが、テレビで時代劇をみていると、善人は「この悪人め、許さないぞ!」といつも怒っていますし、悪人は「お主も悪よのお(笑)」と悪事を楽しんでいるかのように見えます。「どちらが人生を楽しんでいるのか?」という視点で考えると、おそらく人それぞれではないかと思います。だから、これは「永遠のテーマ」になってしまうのです。

このような視点で物事を見てみると、私たちは「善」を追求するあまり、じつはより多くの「ストレス」を抱え込んでいるのではないかとも思うのです。
私自身も「完璧」を求める性格からくるストレスに長年苦しんできました。社会の決まりやルールを守らない人を、どうしても許すことができず、その結果、精神的な疾患を抱えることになってしまったのです。これは、今後の私にとって、決して望ましい状態ではありません。そのため、私はもう少し「楽天的」に、そして「柔軟」に物事を考えるようになりたいと思っています。

ここで大切なのは、自分自身を許し、優しさを持って接することです。誰もが完璧ではありませんし、善悪の間で常に揺れ動く心を持っています。しかし、その心の動きを理解し、受け入れることで、私たちはもっと自分自身と平和に過ごせるようになります。それは、他人を許し、理解する力にもつながります。

「善」と「悪」の間で揺れ動く心は、私たちを成長させ、より豊かな人生を送るための鍵となります。それは、自分だけでなく、周りの人々にも平和をもたらすことができるのです。

★ワンポイント

「善」と「悪」の間で揺れる心は、私たち自身を深く理解する機会を与えてくれます。自分を許し、楽天的に物事を捉えることで、心の平和を見つけることができるでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?