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【ほぼ全編収録!】都市toデザイン第2回トーク&ワークショップイベント

ダイジェストでお伝えした、2023年3月7日開催の都市toデザイン第2回イベント。齋藤精一さんほかゲストのトークを、ほぼ全編テキスト化しました!2時間半に及んだトーク・ディスカッションを追体験してみてください。

《開催概要》
日時:2023年3月7日午後6時から8時半
テーマ:「グローバル都市間競争における広島のシティデザイン」
メインスピーカー:
・齋藤精一氏/パノラマティクス主宰(*オンライン参加)
ゲストトーク:
・谷口千春氏/株式会社真屋 ミナガルテン代表
・岡本篤佳氏/NTT都市開発株式会社中国支店広島プロジェクト推進室部門長
・南知仁氏/NPO法人PCV 株式会社JTB 株式会社PLAY SPACE
司会・進行:
諏訪正浩/広島電鉄株式会社地域共創本部 地域交流事業課課長・広島都心会議 事務局次長

パノラマティクス主宰 齋藤精一氏

今日、僕は大阪にいます。本当は物理的にお伺いできればよかったのですが……。ここに万博のバッジをつけていますが、Co-Design Challengeというプロジェクトを大阪・関西万博の中で立ち上げています。大企業だけの万博じゃなくて、中小やベンチャー、もしくは熱意のある有志の方自治体の方々も参加できる枠組みです。

grafの服部滋樹さん、プロダクトデザインの倉本仁さん、柴田文江さんと僕の4人が伴走して、地域の方々、林業の方々、中小ベンチャーがアイデアを出し合って、博覧会に向けて会場実装をしていく。通常だと、一つの企業がベンチ2千個提供、みたいなところを10脚でも5脚でもいいので提供いただければ博覧会会場でプロモーションとして使ってのちのちにつながる、ということで今日ようやく発表したのでリモート参加になってしまいました。

「なにが起きてもぶれないもの」ってなんだ?

今日は、「絶対にぶれない北極星を作る」というお話をしたいと思います。
「絶対にぶれない北極星」とは何か。

僕は「Outcome(アウトカム)」と呼んでて、実は万博の取り組み自体でも、EODC(エキスポ・アウトカム・デザイン・コミティー)というデザイナー集団で「万博って北極星として例えると何なのか」を議論してきました。

広島と都市、デザインの話をするにあたり、プレイヤーも社会的状況も変わる中で「何が起きてもぶれないもの」をつくっていかなければと思い、僕の案を提示しながらお話ができたらと思います。

僕は広島に縁もゆかりもないんですけど、日本人としてはすごく縁がある。広島という都市が、僕みたいな外部の目にどのように見えているのか。これからの都市はどのように開発すべきなのか。デザインという力をどう活用していくのかというインプットを最初にして、その後ほかのスピーカーの登壇があって、ワークショップに向かうのかなと思います。

今、グッドデザイン賞の審査副委員長、あとは万博もミラノ、ドバイ、大阪・関西などの万博にも関わらさせていただき、国土交通省の3D都市データプラットフォーム「PLATEAU(プラトー)」をつくったり、森美術館の理事をやったり、奈良で「MIND TRAIL(奥大和 心のなかのびじゅつかん)」という世界遺産や大自然の中を歩く芸術祭のようなものをつくったりと、美術、デザイン、行政と、アウトプットとしてイベントになる場合、建物になる場合、制作になる場合、いろいろ関わってきております。

去年、わたしが関わった仕事は、全体の31%が万博、13%が国・行政の仕事になります。国土交通省や東京都、奈良県、渋谷区、横須賀市のような行政や自治体で9%、一般社団法人の活動や都市開発もご一緒しています。コンサルタントとして入る場合もありますし、民間として関わる場合もあります。

ギャップを埋める、それがデザインの役割

僕は、デザインは「思考」ではなくて「アクション」だと思っています。

デザイン思考にあまり興味がなく、デザインがどういう風に人をつなげてアクションを起こしていくかを考えています。各分野をつなげるのは誰ができるか。そこにある思考は何なのか。アートやデザインやクリエイティブに、ギャップを埋める役割があるかもしれないと。

今まで、モビリティだとモビリティの業界、法律だったら法律の業界、情報通信なら情報通信と、業界がバラバラで動いても大丈夫だった時代がありました。1950年あたりに、業界団体や政治団体がたくさんできて個々を強くしようという時代がありましたが、今の時代は全部が何かしらで関係している状態にあリます。

左側の堅い業種の方たち、例えばデベロッパーや行政、自治体の方と、右側のデザイナーなどクリエイティブな方など、もっとまちをこうするべきだとか、もっとこういうことに投資をすべきだというようなことを考えている方たち。どちらも正解ですが、これがかみ合わない状態になっています。

この中間に立って互いの想いを聞き、いいところをつないでいくのが僕の仕事です。簡単に言うと、コンテンツはあるけど場所がない人と、場所はあるけどコンテンツがない人を紹介し合って、関係をどんどんつくっていく。

都市開発の中でも今起こってると思うんですけど、同じ色、形のカードを集めてくるのではなくて、いろいろなカオスの中でお互いに違うスキルセットを持ってるからこそ競争が起こる。同じカードの人たちが集まってもディープな競争は起きないのです

広島の都市開発デザインに目を向けて考えたいと思います。僕の考えでは、都市開発の中で、経済と文化というのは今まで相対するものとして見られてきました。行政の方からすると、「文化は全然経済効果を起こさない」「文化は金食い虫で投資をしなくていい」みたいなことを言われてきました。

文化と経済が「両輪」になる時代がきた

例えば大阪の中之島美術館はつくるのに30年かかっています。大阪市が投資を止めてからほぼ5年間の空白期間があって、「行政は文化に投資しない」みたいなことがありましたが、だいぶ変わってきて、文化と経済の両輪を築く時代がようやく来ました。経済と文化がちゃんと結びついているのです。今日の話の重要なところで、経済と文化の間にソーシャルデザインとかローカルデザインとかを入れると、それがまちづくりってことで、例えば地域創生や課題解決、観光ビジネスにつながったり、その地域の経済活動に変わったりする。

もう一つ重要なのが、「まちは誰がつくるのか?」ということです。東京都心部みたいに、そこに住んでる方々、夜間人口や週末人口がいないと、企業が住民としてつくっていく。もしくはデベロッパーが計画をする。だけど、そもそも人がいなければまちは成り立たないと、みんなわかってきたのです。当たり前のことなのにみんな忘れてて、きれいな新しいビルを建てれば坪単価3万8000円でも入ると思った時代があったけど、そもそもそこで稼ぐのではなく、やっぱりちゃんとまちに人がいないとだめと、皆さんが思い始めました。

これは東京だけではなくて、いろんな地域で起こり始めています。それを考えるとき、Web3の話にも絡むけど、僕が思っている文化と経済圏の話だと、真ん中に何らかの文化があり、その周りに経済圏がある。それが連結して、どんどんまちづくりになるというイメージで都市開発しています。

まずはこのサークルの部分を見てください。経済圏というのは場所単位なので、部屋、エリア、市町村、自治体、何でもいい。大きなものから小さなものまでありますが、その経済圏を動かして、何らかしらのアトラクター、要はなにかしら中心にあるモノがあり、それが伝統、歴史、食、気候ってことかなと思っています。

ネットが可能にした、離れた地域の連携

物理的に隣接するこの真ん中のカルチャーと周りの経済圏があってそれが統合する場合もあります。ときにそれが分散する場合もあるけど、最近変わってきたのが、物理的に隣接してない地域とも連携できるようになったという点です。

一つのテーマにおいて、海外も含めて違う場所にある都市が連結しながら、都市開発や地域発展をしていくことが可能になりました。物理的隣接だけでなくて、やはりインターネット上でつなげられているところ、もしくは違う地域の連携、最近だと協定で連結するのも一つの方法かなと思います。

もう一つ、最近地域開発とか、地域課題解決、地域産業を考えるとき、ずっと違和感があったのですが、「GDPを上げよう」とみんな言うけど、実は地域発展って「GDPを下げる」ことだと思うのです。

GDPって結局、バージンプロダクトをつくって初めて換算される。リサイクルやリユースだったり、メルカリとかYahoo!で生まれてるモノは直接的にはGDPに換算されないのです。なぜ僕は「GDPを下げる」発想と言うか。地域にあるものをできるだけ再活用し、どんどんそれを利用して経済効果を上げていこうってことなので、地域での循環経済、循環効果を上げていく思想にシフトしていくべきだなと。都市開発も然りです。

で、広島という都市が僕の目にどう映っているのか。

 PEACEとは違う、HEIWAのまち

僕から見た広島は、世界が知っている「HEIWA」のまち。もちろん被爆という悲しい過去から次のフェーズに行こうってことはあるけど、色々とフィールドワークをしながら広島をみて、もう次に行っていると思っています。世界が知っているという認知度と、僕は平和ってあえて日本語と英語で書いてますけど、HEIWAってPEACEとはちょっと違う概念だなというのは、すごく広島をフィールドワークしても、長崎でも、もしくは違う文脈でいろんな人と話してても感じる。それが、広島の一つの強みになっているのです。

「北極星を見つけよう」というときに、とある提案で僕が広島のためにつくったコンセプトで「サーキュラー・カンバセーション つなぐ会話、つづく対話、つくる未来」みたいなことを言っていました。僕が尊敬してるティム・インゴルドという人類学者に、ちょうどロシアがウクライナに侵攻を始めた日にインタビューする機会があって、今世界で何が必要かをディスカッションしていたんです。そのときに、お互いに出た言葉が「カンバセーション」だったのです。

結局、平和というのは会話があるからこそ成り立っているのではないでしょうか

「サーキュラー・カンバセーション」、ずっと持続的に会話が続くということをやっていくのが、広島の一つのミッションではないかと。日本の中でもそうですし、海外も含めて、平和を起こすために会話を止めていかないというのは、世界的な役割でもあります

広島が目指すアウトカムとして、会話がもたらす輪をもって戦争の危機がない、穏やかな世の中をつくる、日本的な平和という言葉と概念が今後世界で使われることを目指していいと思います。それを続けるサスティナビリティみたいに、その世界の地域や人種、言語や文化を越えた持続的な会話が続くこと。平和で持続的な地球環境を実現する努力を継続することを目指すということです。

あとは「未来」。あまり未来って言葉好きじゃないんですが、あえてここで言ったのは、未だ来てない世界は変えることができると。未来を創造し持続的な会話をすることが課題に対して質の高いアクションを生み、国内外に広がると思います。

もう一つは「つながる」。平和という取り組みをもとに、人と人、国と国、特に地域と地域との関係、過去と未来がつながるきっかけをつくるのは、もしかしたら広島のミッションかなと思うのです。

広島に「対話」と「連携」はあるか

今の疑問は、広島で平和に対する取り組みが続いてるのか、民間・行政・団体の取り組みが連携してるか。熱量の高い人がちゃんと出会えて会話ができているかということ。それができてないとそもそも次に進めないので、今日ここで話をされることは非常に重要なことだと思います。

広島はすごく多様なまちで、1894年あたりから埋め立てがあってまちの輪郭が大幅に広がって1992年から2001年で埋め立て地が今の扇状地になっていきました。いろいろなところに戦争遺構や跡が残っています。原爆ドームも含め、広島の一つのシンボルでもある軸線が通った都市計画。平和記念公園があって、しっかりと軸線が通っているところも重要。あと、広島のお祭りを探ってみたらたくさんあったので驚きました。いろんなところで神楽、踊り、お祭りがあります。これだけ多様なものを受け入れてきたのです。

次に、これからの都市はどのように開発すべきなのか。いろいろなところで言ってるのは、東京も地方都市も、金太郎飴化しているということです。よくロードサイドの話をしますけど、どのエリアでも同じような施設があってまちのイメージが薄くなっています。これは東京都とか国土交通省の都市局にもお伝えしているのですが、ほとんど外のイメージがなくて、インテリアのイメージしかないのです。

以前にワークショップで、子どもたちに渋谷駅前を描いてもらったらビルしかありませんでした。なぜかというと、2003年に都市再生特別措置法が施行されてからマスタープラン型ではなくて企業は自由競争として自由につくってくださいという形になりました。自治体によりけりですけど、基本的にこれは大きな法律というか条例で、多分どこの都市も同じです。

ただ、今都市整備の潮流として行われているのが、ちょっと前まではハードウェア、建築物、建築設備、交通インフラ、パブリックスペースみたいな都市環境を何とかしようというものでした。そこで起こったのが、用途地域の問題と、そこでできた公開空地のようなお話です。最近ハードウェアだけではなくてソフトウェア、これはエリアマネジメントや、空き家問題は都心部でも起きていることなので、築古のビルをどう活用していくかとか、交通人流のデータをどうするかとか、コミュニティがどこにあってどうやって運用されてるのか、といったことを含めて、大きな議論になっています。つまり、ハードウェアだけでなくてソフトウェアを考えた都市計画をしていこうということです。

自分のまちを自分も参加してつくることは、今やらなければいけないことです。そういう意味ではDX化がいい方法ではないかと思っています。いろいろな人たちがデータを出すとか、いろいろな人たちが行動してそれがデータ化されて、何かしらの都市計画に反映される。簡単にDXの原型みたいなダイヤグラムで説明すると、大きいものが小さくなって、小さいもの同士が統合して、それがまた小さくなってまた統合するということです。

簡単に言うとスマートフォンも同様です。例えばお財布があって音楽プレーヤーやいろいろなものがくっついている状態です。こちらは、ムーアの法則と言われています。もう一方は、バラバラだったものを成立させてそれ自体をつないでいく。検索エンジンとかがそうです。

データベース化して体系化していくことです。右側はIoTみたいな、スマートグリッドとか言われるものです。でも現状、結局理想系では全部がつながれて調子いい状態。こうなるのがいいのかという話もあるけど、今日本はバラバラすぎる、誰がどこでどういうアクションを起こしているのかがわからないのです。

まちづくりとは、プラットフォームづくりだ

自分のまちを自分も参加してつくるって、結局プラットフォーム論だと思います。まちを活用するのは行政でもデベロッパーでもなくそこで様々な活動するすべての人。その人たちをユーザーとして扱うのか、一緒にまちづくりをするパートナーとして扱うのか、それが大きな分岐点となります。都市はプラットフォームにならなければいけないと思います。中央の人がつくるのではなく、そのまちを訪れる人が一緒につくる発想が必要。

これはよくWeb3とかメタバースで言われるプラットフォームの概念です。六つあって、これはメタバースの文脈だけどまちづくりでも言えるなと思っています。

経済的にプラットフォーム論とは何かというと、これ例えばビル・ゲイツとかティム・スウィーニーっていうEpic Gamesの社長も言っていますが、プラットフォームをつくった会社の経済効果よりも、プラットフォームの中で起きてる経済効果の方が大きいのが一つの大きな概念です。だから、プラットフォームをつくった人が儲かるのではなく、その中でみんながプレーヤーになってモノをつくっている状態が大事だと言われています。

僕はいろいろなモノを今までつくっていますが、プラットフォームをつくるときには、"場所をつくる"ことを実は大事にしています。例えば、横須賀の平和中央公園では平和のモニュメントづくりに関わりましたが、僕が全部設計するのではなく、市民の方に参加してもらいました。

例えば「歩く」芸術祭というものを、コロナ禍の観光復興のためにつくりました。僕みたいなよそ者が乗り込んでいますが、役場や観光協会の方と一緒につくっていくことを大切にしています。これは、中の人たちのGDPを下げていく作業です。

デザインの力は広がっている

これからの都市をどのように開発すべきなのかを考えるとき、やはりユーザー、中にいる人たちが「自分たちは何かモノをつくっていくってことをしなきゃいけない」と思うことが、僕の中の正解です。それをあぶり出すためにイベントを起こすとか、何かモノをつくっていく、場所や取り組みをつくってみることが大事だと思っています。

最後に、デザインの力をどう活用していくか。デザインの力はどんどん拡大・拡張しています。今、実は経済産業省の「これからのデザイン政策を考える研究会」で座長をしていますが、経済と文化を高次元に統合し具体化することができるのが実はデザインの概念なんじゃないかと思っています1993年のデザイン政策提言で出ていますが、経済的価値とそこの地場にある文化的価値がちゃんと連結するところが大事です。

デザインする意味というのは、モノのデザインから取り組みのデザイン、一つのモノに対してその後ろにどれだけの取り組みがソリッドで入ってるかがすごく重要ですし、そこまでクオリティを求められる時代にもなったと思うのです。

リテラシーよりコンピテンシー

要はちゃんと立体的にデザインを見るってところが大事なのではないかと思います。あとはデザインという言葉が内包する意味。美しさのほかに、最近では社会問題解決、社会課題解決、企業ブランディングなどと言われてきましたけど、要は地域が発展するのに、僕は「デザイン」という言葉が非常に重要だと思うのです。さっきの二つ目の、その都市にいろんな人が一緒になって入っていくという意味で、「リテラシー」ではなくて「コンピテンシー」という考え方が絶対的に必要だと思ってます。

コンピテンシーは「能力」と「適性」という意味だと、オードリー・タンが以前言っていました。「あなたがつくり手である」ということですね。日本の中だとCode For Japan、要はシビックテックというようなところも言われてきましたが、「自分たちがちゃんとつくり手になる」ということです。「住民」という言葉を因数分解していくと、そこにはゲームクリエイターの人、板金屋さん、市役所の方、いろいろな人がいるので、ちゃんとそれを見ていくことが必要です。なので、今日いろいろなプレーヤーの方々がいますが、デベロッパーとデザイナーの間を埋めていくことが大事です。

相手を信じる、そして作法を理解する

もう一つ大事なのが、両方とも「あいつわかんないから結局先に進まない」とか「あいつらがあれを取り壊すのはどうなんだ」と感じることがありますが、実はお互い事情がある、ということを忘れないようにしたいと思います。「より良いものをつくりたい」とか「積極的に社会貢献したい」というような矢印がすれ違ってる場合とか、行政の人たちがデザインの力を信じることとか、もしくはクリエイティブデザイナーの人は行政の行動作法をちゃんと理解することは大事です。

僕は、こういう取り組みはおそらくエンドレスゲームで、いつまででもできると感じています。都市開発の話は小さい話だと思うんですけど、せっかくの万博をいろいろな線がちゃんと2025年に集まってくる機会にしたいのです。広島の方々も、「万博は大阪のものだ」と思われるかもしれないですけど、日本全国がホストなので、僕はきちんと万博の時期に交流も含めて回れるような取り組みをつくって、広島にも見に来ていただきたい。2025年の4月13日から10月13日の間には、しっかりと日本の中を見ていただく。シンキングだけではなくてちゃんとアクションを起こし、まちをみんなでつくっていくということを実装できると思います。

司会:大変貴重なお話をいただきまして、デザインという言葉が持つ意味とか価値とか可能性みたいなものを改めて考えさせられる時間でした。会場からもぜひ感想や質疑を受けたいところですが、進行の都合上そのまま次へ進めさせていただければと思います。

株式会社真屋 ミナガルテン代表 谷口千春 氏

まずは私が普段何をやっているかを。ミナガルテンは一つの例ですが、いろんな人の多岐にわたる分野の知恵を集めて、集合知とともにつくり上げる。先ほど齋藤さんから、未来についてのお話もありましたけれども、まだ来てないものって想像する中で「いい未来」と「悪い未来」と「真ん中ぐらいの未来」があると思うんです。そうした中で、みんながなるべく「いい未来」を共通で思い描いて、そこに向けて力を合わせて走っていく。そうすれば、まだ来ていない未来を、より私たちが求める未来に手繰り寄せることができるんじゃないかと、そんな思いで様々な領域を横断して、企画を立てたり実行したり、伴走したりしています。

「AかBか」ではなく、その先のCを見つける

先ほどの「対話が大事」という話は私もまったく同感で、AかBかで争うのではなく、その先にあるCをどうやってともに創り出していくのかというマインドセットを大切にしていきたいと思っています。それが、広島が目指すべき平和のエネルギーではないかと思っています。

ここから平和、建築の話になっていきますが、広島出身の方はもう耳にタコができるぐらい聞かれていると思いますが、まずは1949年に制定された広島平和記念都市建設法について。焼け野原だったまちが立ち直るときに、広島の力だけでは到底無理だということで、当時の市議会議員たちが国に働きかけ、広島の復興は日本の復興だということで国家的事業として位置づけ、制定された。この法律は今も生きていて、広島のまちづくりの根幹を支えていくプロトコルだと思っています。

過去に先人たちがどのような建築を平和の器としてつくってきたのか振り返っていきたい。言わずもがな、丹下健三の広島平和記念資料館です。

平和は勝手に向こうから来るというものではなくて戦い取らなければならない。そのためには互いに対話をしていくことが必要」というようなことを当時丹下さんはおっしゃっている。このピロティの下には陰が落ちます。公園オープン当初はまだ大きな木々がほとんどない環境下で、真夏の暑い日でもこの下で涼をとりながら平和について対話をと、ピロティをつくったそうです。

文脈とストーリーをデザインに生かす

まさに「平和の軸線」という意味でも、原爆ドームとオブジェとつなぐ軸線という形でも、デザインをされています。イサム・ノグチの平和大橋の欄干。これは「つくる」という名前が付けられています。

もともとあるものをどうやって生かしていくかという話がありましたが、まちだけではなく、多分人の中にもそういった文脈がある。日本とアメリカという二つの祖国を持つイサム・ノグチさんがこのオブジェをつくることにも非常に意味があったのかなと思います。

そういった「見えないもの」をどうデザインに生かしていくか。村野藤吾の世界平和記念聖堂を例にお話しします。カトリックの教会ですが、戦後立て直すときに非常に高いビジョン設定をされました。

それは、世界の平和を祈念する聖堂、ということで、国や宗教、文化といったものが領域を超えてつながりをつくっていくやり方をされています。例えば、このステンドグラスは松竹梅の形になっていたり、ハスの花を形取られてた天井から吊られてる照明。これは浄土真宗安芸門徒が多額の寄付をしたということでこういったデザインになっています。また、キリスト像のモザイク画はノルウェーやアフリカなど、世界中の石が集められてつくられています。

ナチスドイツの大砲が溶かされてつくられた鐘の贈呈式には2万人が参列されました。ステンドグラスの柄はウィーンでコンペが開かれ、その中で選ばれたウィーンのデザイナーが提供したと聞きました。そういったプロセスを共有しながら、みんなで一つの「祈り」に向かってモノをつくり上げていくやり方って、多様性と包括性(Diversity & Inclusion)が言われるようになった現代っぽいなというか、あの時代にこういったことがよくできたなって思う。そういったつながりから場を一緒につくり上げていくやり方を、ミナガルテンでもやってきていて、世界のどこで聞かれても、私も一番好きな建築としてここを挙げています。

消費社会の行く末も「平和の軸線」上にある

一方、これは1995年にできた建築ですが、広島市環境局中工場。ここで撮影された映画「ドライブ・マイ・カー」がアカデミー賞をとって一躍注目を集めていますが、これも非常に透明性の高い建築で、そして原爆ドーム、平和の軸線を意識したレイアウトになっている。

例えば、おいしいものを食べるとか、新しいものを買うとか、そういう入り口の部分は華やかにプロモーションされているけど、全部消費して残ったものを最後に処理していく場所が文字通り「臭いものには蓋」のようにブラックボックス化されているということは、実は非常に危ういことなんじゃないかという提言や、平和への循環をつくっていくという意味合いも込め、こういった軸線や透明性が意識された建築がつくられています。

これは、1995年から10年間、広島市が優れたデザインをとり入れた社会資本整備事業を行ってきて、建築が11ぐらいできた。平和と創造のまちということで、2045年に向けて1年に一つずつつくれば50の名建築がまちを彩るというビジョンに基づいてつくられた。10年ぐらいで終わってしまったが、20年以上経ってもこうやって映画なり文化なり、別の文脈に紐づけられ、再び脚光を浴びることがある。建築というものは、非常に長い期間にわたってまちに影響を与える力がある。目先の経済性が大事なときもあることはよく分かりますが、さまざまな文脈を紡いだり、後々に生み出していく経済的価値、そういったことも見据え、長期的な目線で計画していくべきじゃないかと思います。

最後に、海外の事例ということで、エストニア国立博物館。これは2005年当時、弱冠26歳だった日本人建築家・田根剛が海外の方2名と一緒に3人チームで、国際コンペに勝ち、紆余曲折の末、2016年にようやく完成した大事業です。

実際の建設地は、もともと旧ソ連の軍用滑走路でコンペのときには敷地外だった場所でした。ですが、国の歴史を調べていくと、ソ連の前もポルトガルだったり過去にいろんな国の支配を受けていて、それらすべての支配の歴史を悲しいものとして蓋をしてしまったら、今の私たちに何が残るんだろう、もはや自分たちの一部になっているそういった歴史を否定せず、丸ごと受け入れていこう、という提案をし、規定の敷地外への提案だったにもかかわらず受賞した。実績のない外国人3人に賞を取らせた、本質的な判断ができたエストニアという国にも頭が下がります。今では世界中の人が集まる一大観光地になっています。メタリカのコンサートでも使われ、国民にも愛されて大小のイベントが日々開催されています。

未来にどんなまちをつないでいくか

田根さんのインタビュー記事は、中国新聞にも掲載されましたが、経済と新しさ優先でまちづくりをする時代は終わって、この場所にしかない記憶と場所と担い手となる人々の誇りにこそ価値があるというお話をされていました。

また、昨年私が一番感銘を受けた本のご紹介を。「Good Ancestor(グッド・アンセスター) わたしたちは「よき祖先」になれるか」という問いを投げかけた名著で、オードリー・タンが帯を書いてたりするんですけれども、私たちが今住んでるまちとか時代は先祖から受け継いだものというだけではなくて、未来の子孫たちから借りてるものだと提言している。受け継いだものだと自分の手の中に自由にできる権利や権力がある気がしてしまうけど、過去も未来も、たくさんの命のつながりの中で、今生きている私たちがすべきことは何かと。そんな提言をして、ベストセラーになっています。

このあたりを含め、これからのまちづくりにいろいろ生かしていけることとして何が考えられるか。最近では、広島市立中央図書館の移転について賛否両論揺れた広島ですが、直近では旧広島陸軍被服支廠の方の活用検討がいよいよ本格化してきています。

この場所は、宇品方面への結節点にもなりますし、今後、全国や世界から人を呼んで、どのように瀬戸内を周遊させていくかというような、前回の話題にも通じるものがあります。何よりも今回のテーマにそぐう広島の重要物件なのかなと思っておりますので、この先どんなプロセスで、誰と、何をやっていくのか。このチャンスが国際的な文脈の中で最大限に生かされるように、高い目線での活用案が組み立てられていくことを望んでいます。

私からは過去の建築デザインの紹介を中心にさせて頂きましたが、ここからは「未来のための平和の器」となるような都市と建築を、ぜひ皆さんと一緒に考えてつくっていければと思います。

齋藤精一さんコメント:
僕、谷口さんと申し合わせたように哲学合うなって思っています。前に「メタバースえとせとら」というポッドキャストに出ていただいたときも思ったんですが、建築やデザインに対する取り組みに感銘を受けるところが多い。
デザイン政策のところを少し補足します。もしかしたら広島のまちのつくり方とか、法律が制定されたところと関係があると思うんですが、要はデザインでものを残すことについて、「工芸もデザインに入るんですか」という議論を、「これからのデザイン政策を考える研究会」という、クールジャパンやファッションをやっている経済産業省のデザイン政策室でずっとやってきました。パリ万博のときに出てからずっと同じことやってきた議論にピリオドを打とうというのが僕はミッションだと思っています。経済産業省の中でも、いわゆるデザイン経営みたいなことだけではなくて、各地に眠るデザインというのをどうやって有効活用できるかという議論をしています。
もう一つは、最近僕はデザインというのは、有形物だけじゃなくて無形物もそうだと言っています。要は人が集まって同じ哲学を持つことにもつながります。さきほどのエストニアの美術館もコミュニティとして動いたから実現したと聞いて素晴らしいことだと思いました。デザインで人の哲学をつなげていくことがようやく、国でも議論されています。
三宅一生さんから、国立デザインミュージアムを何とかして成立させるということをミッションとして引き継いでいるんですが、最終的にミュージアムをつくることが大事なのではなく、それが例えば広島に眠るものなら、それを広島の人がちゃんと守っている、人がネットワークされてるって状態にあるといいなと僕は思っている。
もしかしたらここで起きたものが違う地域でも、同じ試みのある方がいたら、それをつないでいく。僕は先ほど「サーキュラー・カンバセーション」と言いましたが、その中心に広島の方々がいる。それをちゃんと平和として紡ぐのが、広島の試みとしてできることなのではと思いました。

NTT都市開発株式会社中国支店広島プロジェクト推進室部門長 岡本篤佳さん

NTTグループの中で唯一不動産事業やっている、NTT都市開発並びにNTTアーバンソリューションズという会社におります。兵庫で生まれて千葉で育って、福岡で仕事して今広島に家族で住んでいる状況で、仕事としては福岡のレソラ天神、東京都港区の品川シーズンテラス、原宿駅前の「WITH HARAJUKU」のコンセプト名から建築計画、直近は福岡でホテルをつくってました。

外を楽しむ文化の入り口に

いよいよ、我々と大成建設、広島電鉄、中国新聞社、広島バスセンター、NTTアーバンバリューサポート、NTTファシリティーズ、NSP設計、シーケィ・テックでやっている「シミントひろしま」が2023年3月31日にオープンします。ぜひ皆さんに来ていただけたらなと思ってるんですけども、公園全体は「ひろしまゲートパーク」と愛称で呼んでいます。42ヘクタールを誇る広島中央公園の回遊性を高める入り口に、というのと、広島の温暖な気候を使って外をいろいろ楽しむ文化をやる入り口にしたい。

平和の軸線の流れをくんだ都市開発

中央に6500平米のイベント広場があって、ゲートパークプラザといいます。 8棟の商業棟があります。昔からの丹下健三の平和の軸線の流れをくんで、原爆ドームからのアプローチに「ピースプロムナード」という桜並木を置いた。この軸を継承し、広場から原爆ドームを別の形で眺められるような開発をしています。

2025年に向けて、広島のまちなかが大きく変わっていきます。

今回のひろしまゲートパークから始まり、サッカースタジアムを含めた公園体を「スタジアムパーク」と呼んでいます。今後は、広島城三の丸、そごうの新館は改修されるし、広島駅ビルも変わっていく。これが今広島の現状、ちょっと先の未来ですね。スタジアムは広島市がつくるんですが、当社を道標法人とした企業体が商業施設の計画を遂行しているのと、広島城が見えるところにも広場ができたり、カフェができたり、広島城の歴史館ができたりという風に変わっていきます。

床だけつくっていてもしょうがない時代

ちょっと視点を上げて、都市間競争やシティデザインの話。都市間競争、エリア間競争と呼ばれるものは、不動産会社目線で言うと企業の誘致競争なんです。ただし、もう床だけつくっていてもしょうがない時代で、どんな時間を過ごせるまちかが、選ばれる理由になってます。

私自身、エリアマネジメントやオフィスリーシングをやっていたんですけど、これはロンドンのキングスクロス駅というところが参考になるかなと思って。以前操車場だった場所で、ロンドンオリンピックを契機に再開発が加速していて27ヘクタールぐらいのエリアにオフィスや店舗、文化施設、教育施設、住宅などがあります。近接する運河やオープンスペースを使っていろんなイベントをデベロッパーが仕掛けています。

中心地から3キロぐらい離れたところにある場所なんですけど、数年前にGoogleが、複数の拠点を全部このキングスクロスに集約すると話題になりました。今つくっている200メートルぐらいのとても長い建物にGoogleが丸々入るという話になってます。

2015年にここのデベロッパーに直接話を聞きに行ったことがありました。建築家の方なんですけど、オフィスの誘致も担当していて、オフィス入居希望者に1時間程度話をしてGoogleを呼んできたと言うんですが、彼は、この場所に従業員がきたらどう感じるかを話すんだと言いました。オフィス移転の決定権を持つ社長たちに対しては、従業員がここに来るように説得するのは簡単ですよ、この場所が好きになるからです。彼らはこの場所にとても誇りを持って愛着を感じて、きっと家族や友人を招きたくなるでしょう、と語ってリーシングしたらしいんです。私もリーシングをやっていた身からいくとオフィス移転って、何ヶ所かあったところが集約されて面積が小さくなってコスト効率化が諮られて、耐震性が上がる免震のビルで事業継続できて安全です、みたいなことを喋っていたんですが、そんなんじゃないんだと思い知らされました。

じゃあ、広島は都市間競争でどんな価値を提供できるのでしょうか。福岡のまちづくりメソッドは参考になると思っています。

「第三極都市」をめざして成功した福岡

福岡地域戦略推進協議会(FDC)というところが、「Think&Doタンク」と標榜していて、正会員が154社ほどいます。FDCが出しているたくさんある文献を読み解いていくと、私なりの解釈では、ポイントは三つ。持続可能な都市であり続けるために福岡は「アジアの中心地」になると、これは支店経済の脱却を言ってます。そして、目指すは「第三極都市」。もう一つは、「グローバル創業都市・福岡」。

昔、2013年ぐらいの資料で、そんなスローガンを掲げた中で、意図的にクリエイティビティとか、ゲートウェイとか、MICEっていうキーワードで開発を進めることを決めています。

具体的なエリアとして、福岡のまちづくりの力点は三つで、天神ビッグバンと呼んでいるエリア、博多コネクティッドと呼んでるエリア、ウオーターフロントネクストというエリアですね。私たちも、この博多コネクティッド、天神ビッグバンのすぐそばで開発をやりました。

グローバル創業都市・福岡ビジョンというのは、2015年にできていて。その都市像に向かって戦略を七つ掲げ、メッセージとして出して、民間開発を誘引した。我々もこの戦略に基づいて、今泉というエリアで、この戦略実現のために開発しようと、スタートアップ、イノベーション、コミュニティづくり、住みやすいまちの実現、のようにいくつかのキーワードを導出して、ホテルと商業の複合施設をつくりました。アジアに関係するホテルを、と思っていたので、シンガポールのアスコット社をパートナーに迎えました。日本に初進出するコリビング型ホテル「lyf Tenjin Fukuoka (ライフ天神福岡)」で、コワーキングスペースがあり、部屋は小さいけどラウンジに出てきてみんなと喋りながら仕事し、住みながら働くスタイルです。

次に、第三極都市とは何を言っているか。東京と大阪には、都市規模的にはなれないよな、と福岡の人たちは思ってるんです。でも、世界の企業に3番目に選ばれる、どこか"とがった"まちになるにはどうしたらいいかという戦略で、政策をつくっていきました。アメリカで言えばシアトルだし、カナダではバンクーバー。

そんなこんなをしてると、札仙広福でいうと福岡が一番になっていて、若者の居住者がどんどん増えている。いま広島にいる身としては、少し悔しい気持ちも、ありますかね。

広島のみんなで掲げるスローガンは何か

持続可能であり続けるためにどんな時間が過ごせるかというので、さっき言った三つは分かりやすかったんですけど、言い換えると、潜在的にどうありたいか。都市像としてのスローガンは何か。斎藤さんの話を借りると「北極星」というのは分解するとこの三つをいうのかなと。皆さんが同じことを言ったら、多分望ましい開発が連続していくし、結果としていいまちになる。

最後に提案的なことを。NTT都市開発は、基町クレド、パセーラ、さっき言った中央公園の開発にいくつか携わらせていただいていて、基町エリア全体で新しいイメージを形成していきたい。「アーバンパークライフ」と呼ばせていただき、広めていこうかなと。基町エリアにはいろんな規模の公園、芝生、広場があって、公園の中に文化施設商業施設が内包された都市である強みを生かして、ワークもライフも多世代が多様なスタイルで混在・共存してることを目指したい

それを基町エリアのビジョンにすると、広島の都心である本通りや、紙屋町〜八丁堀、そこに基町も含んだときに、エリア特性の違いがあぶり出されてくる。サッカースタジアムもできるし、広島城もあるし、我々のパセーラもちょっと含めていただいて、ICTで体験価値をもう少し高めてなど、いろいろコンテンツを持ってきて、こういうことが過ごせるのが広島の紙屋町交差点から連なる基町なんだと。エリアごとの特徴をつけていき、それぞれのエリアをめぐりたい、回遊したいというモチベーションをつくっていくことが大事だと考えています。広島駅もどうなっていきたいかを発信するべきだと思いますし、それが他のエリア、札幌、仙台、福岡とも違うということで、企業が来てくれるような動きをやっていくと、広島も良くなると思います。誤解を招きそうなので一言付け加えると、今が悪いのではなく、もっと良くなると思っているということです。

齋藤精一さんコメント:
福岡の開発は僕もずっとウォッチしてて、上手にやっているなと思います。いろいろな「よそ者」たちがいろいろアイディアを出し合って、最終的にそれが地元に着地した実例。僕が好きな都市開発は、ロンドンとブリストルの関係をよく言うんですけど、ロンドンは多分1位をずっと取ってないといけない場所ですが、ブリストルは実はBBCの放送ステーションなどがあり、だからこそ自由にできています。これと同じことを僕、横浜に思いまして、広島もまた然りだと思う。
いろいろなことを実験して、よそ者も入ってそれがちゃんと地元に定着する。だから多分、今岡本さんもそうだと思いますが、よそ者が入っていくって大事だなと思います。広島の方にぜひそういう視点をしっかりと受け止めていただいて、無理せず意見交換が続くと、サーキュラー・カンバセーションで、いいんじゃないかなと思うのです

NPO法人PCV/株式会社JTB/株式会社PLAY SPACE 南知仁さん

NPO法人PCVという組織、皆さん聞かれたことありますか。今日は、皆さんに知っていただくところを目標にお話したい。

私はPCVに所属し、会社はJTBという旅行会社で25年働いています。大分県出身で、私もよそ者です。ただ、高校を卒業して広島に来たので広島の方が実は長い。JTBで修学旅行の企画、セールス、営業マンをずっとやっています。JTBで10年ぐらい同じ場所にいるのは珍しいんですけど、もう25年ぐらい広島におりますので広島大好きで、今も働いております。もう一つPLAY SPACEという会社を最近立ち上げて、今三つの組織で働いております。

広島の修学旅行に何かが足りない

修学旅行をずっとやっていて、私も小学校のときの修学旅行先が広島でしたが、実は、まったく記憶ってない。それが多分私の原体験で、修学旅行って皆さんも行かれたと思うけど、覚えてますか。強烈な記憶をお持ちの方もいるかもしれませんが、私実は25年間修学旅行の企画をして、年間2千人ぐらいの中高校生を修学旅行に連れていってるけど、正直もっとできるなって思っていました。

そんなとき、2年前ぐらいにPCVというNPOに出会い、修学旅行を企画する考えに変化がありました。PCVの価値を皆さんにお伝えし、知っていただいた上で、この広島で今日は都市づくりというところなので、気付きを得ていただくといいかなと思います。

早速PCVの説明をさせていただきます。こちら、スティーブン・リーパーさんです。元々広島平和文化センターの理事長で、平和文化センターというのは平和記念資料館を運営している組織ですが、この方はアメリカ人です。アメリカ人が責任者をしていたってだけでも話題になる。

世界中から広島に要人が来るたびにガイドをして、気付いたことがあって。意外と広島に来られた方って、戦争のことは具体的に語れるけど、平和についてはすごく曖昧な考えしかない。「私の平和」は何か考え、語れる方が少ないと。広島はやっぱりもっと平和を考える場所であるべきで、平和を考える機会をもっとつくらないと、ということでPCVを立ち上げました。PCVというのは、ピースカルチャーヴィレッジの頭文字で、それを広島につくりました。平和文化と戦争文化。平和とか戦争という言葉を使わずにこの文化をつけて表現しますが、文化ってすごく大事だと考えています。

平和を「仕事」にできるまちに

平和を考える機会を提供するのがPCVのミッションですが、皆さんご存知の通り、広島には二つのメッセージがあると言われています。一つは原爆が落とされた広島。もう一つが国際平和文化都市広島です。78年前のその日から今に至るまでの復興のストーリーを、広島はメッセージとして持っている。そんな広島が今抱える社会課題ですが、被爆者団体の37%が活動困難になると言われています。その原因は、1位が継承者不足、2位が資金不足。被爆者が高齢化し、今平均年齢が84歳と言われていますが、これまで広島のメッセージを発信してくださってきた被爆者がいなくなる未来が迫っている。

そんな中でPCVが掲げるのが、平和をつくる仕事をつくる、というミッションです。平和を考える機会を提供するのがPCVの設立動機だったけど、今の社会課題に対し、どうやったら平和を継承していけるかを考えたとき、平和をつくる仕事をつくるということを掲げております

平和記念公園に修学旅行生がたくさん来て、いわゆるボランティアガイドさんが碑めぐりをされてたりいろんな活動をしているけど、いわゆる有料のガイドというのはなかったらしいです。私もそれは、こちらにきて知ったんですけど、「平和を仕事にするとは何事だ」ぐらいの雰囲気があるとも思うんですが、PCVは、いわゆるソーシャルビジネスの観点で平和を仕事にする。資金を回していったり、高齢化が継承課題の原因の大きな一つですから、そこに若い人たちが入っていく仕組みをつくる必要がある。つまり平和をつくる仕事をつくっていくのがPCVがやるべきことだということで活動しています。そんなPCVが大切にしてる価値観・テーマがこの「平和×◯◯」です。

この後のワークショップでもぜひ皆さんこの「平和×◯◯」を念頭に置いていただくといいと思います。◯◯には、自分の価値観とか大切にしてること、得意なこと、できること、何でもいいとですが、そういうものが入る。

例えば私は、平和×修学旅行ということで、私ができること、好きなことで平和をつくっていく、それが◯◯です。PCVの活動を紹介すると、平和×テクノロジーということで、プログラムをつくりまして、どこでもいつでも被爆者の話を聞ける仕組みをつくったり、いつでもどこでも資料館や碑をめぐることができるアプリを開発したり。

それぞれの「平和×◯◯」を

平和×学びということで私が担当していますが、広島に年間33万人来ている修学旅行生の目的は平和学習です。今まではいわゆる歴史学習ということで広島で学んでいましたが、PCVでは平和学習プログラムをつくって2年前から提供を始めています。JTBと書いてありますが、私が窓口となっています。

「ピースダイアログ」という商品ですが、特徴としては若者がガイドしています。「ピースバディ」って呼んでますが、平和に興味ある広島の若者です。29歳以下で、一番下の子は今高校1年生が活動してくれてます。ガイドというと教えるようなイメージがありますが、我々はバディと呼んでいるので、学び合いの場をつくるようなそんな人たち。100名ほど登録があり、育成している。あと有償ガイドの仕組み。今有料でコンテンツ提供してますが、お金が回る仕組みを私どもJTBと一緒に開発しているところです。

ガイドするバディたちですが、知識が必要です。被爆者の方からもいろんな話を聞いて学びます。それをどういう風にガイドするかをトレーニングして、最後は実践する。ここを回しながら、広島の若者たちが運営をしています。コロナ禍ということでオンラインでいろんなプログラムをやってきたこともあり、2022年で70カ国1万7000人の中高生に届けることができました。

2019年から活動し、約2、3年でこれぐらいの方に届けることができた。これからももっと多くの中高生に届けられる仕組みづくりが課題ですが、ピースバディを増やしてもっとたくさんの修学旅行生を受け入れる体制づくりをしていきたい。その一環としてオンラインスクールをやっています。無料で半年間やっていますが、ピースカルチャーアカデミー。ここで中学生から大学生まで、平和を学ぶオンラインスクールを運営しています。

すべては次世代の子どもたちのためにということで、ご覧のような仕組みで、被爆者の方から学び、継承者として実践していくことが仕事になっている。それを仕組み化することが、広島から世界へ平和を発信し続ける国際平和文化都市のあり方かなと考えています。おかげさまでいろんなところからも評価をいただき、8月6日にはPCVのメンバーがテレビ出演もさせていただいてますし、グッドデザイン賞をはじめいろんな賞もいただきました。社会から評価をされている組織かと思いますので、皆さんお知りおきください。

最後になりますが、PLAY SPACEの事業を紹介します。「平和×◯◯」ってすごくいいテーマ。この◯◯に自分の価値観とかいろんなものを入れることで、平和文化ができていく

PCVは、いわゆる修学旅行生に平和学習のプログラムを提供していますが、同じメンバーが運営してますけれども、広島だけではない、世界になるかもしれませんね。未来の平和をデザインする活動をしていきたいということで会社を立ち上げ、「観光人プロジェクト」を今やっています。

みんなが平和に向けた行動をするまち

観光人というのが、平和とかSDGs、ウェルビーイングといったことを地域で実践し、本質に光を当てる。「観光」ってサイトシーイングの観光かもしれませんが、光を見るって書くんですよね。光を見るってなんだろうって考えたときに、光って仏教用語で本質とか信義とかそういった意味があります。こういった本質に光を当てながら自分らしく生きてる人たちが広島にはいる。広島に88人の観光人コミュニティをつくって、ここに修学旅行生を連れて行くプログラムを今つくっています。

「ピースクエスト」と呼んでるんですが、私も「平和×修学旅行」で、修学旅行をピースクエスト化していきたい。彼らが、ピースクエストでそれぞれの平和×◯◯を考える。自分自身がどう生きていくのか、どうあるべきなのかと。そして自分が平和をつくるためにどういう貢献ができるか、そういうことを考えて気付けるような修学旅行をつくっていきたい。

広島に来たらそういったことが考えられる場があると思いますし、今日の話の流れで言うと、広島に住んでる人たちや企業、すべての人たちが「平和×◯◯」というものを持っていて、広島人たちみんなが、平和をつくるためにどうあるべきかを考えて行動している、そんな都市であると広島が非常に魅力的になって、広島のメッセージが世界にもっともっと発信できるんじゃないかと考えて活動しています。皆さんとは、この広島の地で、平和文化の仕事をしながら社会構築に向けて一緒にやっていきたいと思っています。

齋藤精一さんコメント:
僕はさきほど「コンピテンシー」つまり、自分たちのやる気スイッチを入れるという話をしましたけど、まさにPCVの活動も、PLAY SPACEも、多分皆さん、自分たちのまちを自分たちがプレゼンテーションするっていうことが大きなエンジンなってるのかなと思います。もう一つ、今の南さんのメッセージに隠れているのが、ボランティアという概念を変えていかなきゃいけないということかと思います。要は自分たちが何かアクションを起こしてそれに対してきちんと経済的対価があるというところです僕も海外に長いこといたので、日本で「ボランティアって何でもただで提供してくれる」って印象があることを少しずつ変えていかなきゃいけないと思っています。ちゃんとコンピテンシーとして、自分のまちのために。
修学旅行は僕も広島だったけど、宮島で先生に怒られたぐらいしか覚えてなくて、多分同年代の人たちから聞いたら絶対違う記憶になったと思います。何かそこをちゃんと持続的に回していくのが大事だと思っていますが、(南さんは)まさに取り組んでらっしゃる。5月にG7サミットもあって広島にたくさんのお客さんたちが来るので、もっと大きな活動にしていくのではと思います。

全員参加ワークショップ

広島が「被爆都市」から「平和文化都市」「平和創造都市」へアップデートするためにどんな「視点」が必要か?何が実現のハードルになっているか?そんな問題設定で、小グループに分かれて参加者全員で議論し、最後に代表者が各チームの議論を報告しました。

広島だから平和っていうフレーズがたくさん出てくるよねとか、平和ってどういうとき感じますかって言ったときに五感で感じるっていう意見や、平和が当たり前になってくれば感じなくなるかもっていう意見。平和の定義がみんな違って、そのギャップを埋めるのがデザインじゃないのって。

国際平和文化都市が何かと一言で言えたり、皆さんの考えを言い合う場が大事なんじゃないか。それぞれに答えを持ったり、あるいはそれを広島の中の人で語る場もあったらいいし、外から来た観光の人たちもそういう場を語れることがあると、それが平和を感じる、平和文化を感じられるまちになって、どんどんそれが広がっていくんじゃないか。平和を考える場所・時間が今の生活リズムの中にないって平和文化を体現できていない状態では

平和ってなったときに「何かがない」って話をするけど「何かがある」っていう話をしたい。やっぱり当たり前の日常があるとか、いろんな選択の自由があるとか。ここが多分これからの広島のポイントなんだろうなって。

平和ってすごく当たり前すぎて、そこに対して何が×か出てこない。平和を感じながら暮らしてる生活の部分を見てもらうみたいなことが大事では。

リソースとしてはいいものがあるのにうまくいかせていないところが、被爆都市から平和都市になるハードルではないか。例えば平和について会話をする機会が少ない。人とつながる機会が少ない、乗り越えたらどうしたらいいのかというところで話をした。市民が積極的に関わるような形で更新したい。

被爆から平和に、というメッセージを考えるとき、何が大事なのか。平和学習って今歴史の勉強みたいになってるけど現代にアップデートしないといけないね、というところや、やっぱりネガティブなメッセージをポジティブに変えていく必要があるといったところがありました。そのためにはやっぱりそこの経済性にも成長は絶対に必要なので、その辺の確保から改善していく。

今日印象的だったのは平和については今まで話そうとしなかったという方がいて、まさにその状態が今の状態なのかなと。平和っていうものがバラバラだし、あとそれぞれモヤモヤを抱えているポイントが違う。その辺の会話をして、つくられた平和のイメージじゃなくて、新しいところをつくっていけるかみたいな。広い心を持ちながら高度なことをやらないといけないけど、そういうことが行われるんじゃないかと。

平和の対義語って何でしょうか。平和と戦争で対になってよく現れるけど、別に平和の反対は戦争ではないような気もします。平和って何みたいなところの対話がこれから必要。僕は大阪生まれですけど、県外の私から、悲しい話とかアンタッチャブルな領域な気がして、あまり言えない。で、誰も触らない、みたいなことが起こってるんじゃないか。やっぱりみんながぶっちゃけて平和って何?みたいな話し合いができたらいいんじゃないかな。あと海外(香港)に住んでた方が今日チームの中にいたんですけど、やっぱり自分のこと大好き、日本食だったり文化でもっとアピールしたらいいのになんで自分たちの良さをダイレクトに訴求しないんだっていう意見がありました。

ワークショップで出てきた意見まとめ

【悲しい過去をポジティブな未来へ】
・悲しすぎる歴史、笑ってはいけない雰囲気
・平和に対するポジティブなイメージ形成
・被爆=マイナス 「平和文化」=プラス

【平和文化】
・平和”文化“が大事だと思う
・日本全体、平和が大事なのは当たり前、では文化がつく都市は何が違う?
・”文化”... 生活リズムの中に平和を考える時間が “多い”ということでは?
・平和文化=「対話」の姿勢
・「被ばくで焼け野原になった」→残っている文化は?拾い出したい

【寛容性・多様性】
・違いをそのまま認め合うこと
・多様な平和への許容性
・対話、会話自分の考えを押し付けない
・警戒を感じないこと、心理的安全性
・島・里山・都市 スピード感と暮らしの違い
・平和×違い 立場による考え方の違いを知る
・選択肢×多さ×自由
・平和とは、皆が自分の理想の未来を思い描く自由を持つこと

【創造性】
・平和の消費ではなく創造
・つくられた場から作り出す場へ
・広島人こころえ・こころがまえ10条
・被爆建物の活用、平和を体現する都市・建築・デザインとは?手法を知りたい
・「平和学習=歴史学習」からの脱却(教科教育の弊害か?)

【行動・アクションの大事さ】
・へいわとは?に対するアンサーを出しまくる(アウトプット)→みんなで紡ぐ「ナラティブ」→シティビジョンの共創へ

【各分野が平和のためにできることを考える】
・デザイン、アート、建築でできることは?
・デザイン=ギャップを埋めること
・境界線を越える計画とデザイン
・エンタメ(アート、ゲーム、スポーツ)や旅行、観光、学びでできることは?

【日常の中の平和】
・平和の対義語はなんでしょう?→ 無関心
・他人に干渉すべき? 寛容と無関心
・当たり前になりすぎている(形骸化)
・「美しい」と思うことの大切さ
・みんなのWell-Beingについて対話する
・個人の幸せとは
・「平和」を自分ごとに
・今まで平和について考える場にいたことはありますか?
・平和を考える場面が今の生活リズムにはない
・平和×生活 暮らしこそが文化に
・平和×会話

【外からの目線】
・平和×〇〇 広島だからできること
・外から来る人が平和を語る場、よそ者視点の大事さ

【批判的な目線】
・広島=平和なのか?それでいいのか?
・平和とは?共通認識いる?

【経済性】
・「平和」でビジネスが成り立つか?
・平和×黒字とは...?ロンドンオリンピックにならう?
・老若男女みんなが個性・才能を生かした仕事ができる街になるには?
・鎮魂と賑わいの両立、バランス
・平和大通り 過去の鎮魂の場というイメージ→賑わいの場へ
・財源、予算の振り方が大事 全てが決まる

【つながり】
・つながりを生かして活動する人が少ない
・「対話」の場が少ない
・スモールコミュニティに安住or そもそもコミュニティに所属していない
・個人は良い人が多いが、団体としての推進力が弱い
・能力がない状況、学びと成長が必要
・共育・学育 
・立場を超えたおしゃべりの場

第1回ゲストの渡邊雄介さん「参加して初めて考えることがある」

平和とかまちづくりとかって大きすぎて何か自分に参加できるもんなんだろうかとか、結構最初思ってた。けど、ワークショップの中にもあったけど、自分の中の定義とか、自分だったら参加したいなったりとか、自分が参加者になって初めて考えることだったりすると思っていて。これって多分皆さんが持っているものに、すごい個人差あるというか、めちゃめちゃギャップがあるのだろうなと思ってるんですよね。

デザイナー的に何かここだけに入ってみると、同じようなこと結構おこってて、Aさんはこういう定義で物事を考えてるけど、Bさんは全然違う。でも、それって正義の反対は誰かの正義みたいな状態で、別に悪いことも間違ったことをお互い言っていないんだけど、何かギャップが埋まらないっていうことが結構あると思う。これを埋める技術がデザインだと僕は思っている。こういう考え方をちゃんとプロジェクトの中だったり、大きな物事の中でちゃんと提案していければ何か開ける、生まれてくるんじゃないかな。なので、こういった機会を用いて何か皆さんこういうふうに議論ができる場所がもっと増えていけばいいし、その中で自分の中のそういう定義とか、そういったものを発信できる場所、受け止めてくれる人の存在が、そういったコミュニケーションの中で生まれてくるのがコミュニティなのかなと思う。なんか僕も広島に何回かこさせていただいてるんですけど、参加する前って結構怖かったりする。けど、来ていいよとか、自分の意見を受け止めてくれることがあったりするので、こういった機会をもっと増やしていくところに自分も参加していければいいなと思う。

南さん「場の力、もっとつくろう」

碑めぐりだけじゃなくて一番大切にしているのは対話なんですね。ピロティの下で対話する。場の力を思います。こんな感じで皆さん平和について対話ができるってすごいと思った。そういう場をこれからもっとつくって、皆さんで平和について対話をしていきましょう。

岡本さん「『平和に通じる何かの活動をしている人たちのまち』へ」

広島に引っ越してきて平和に触れたと思ったのは、通常は夏休みの8月6日に娘が小学校に登校する、折り鶴にまつわるものをまちなかで見かける。平和っていう文字をまちなかで見る。それが私なりの平和文化体験です。先ほど皆さんが「平和とは」を日常から対話しようとおっしゃったんですが、じゃあ俺の平和ってこうだ、って飲み会で言い合いたいか、というとそうではないかなと思うんです。そうじゃなくて、自分たちの生活、仕事の5%とか10%ぐらいを平和に通じる何かの活動をやっている人たちが多いみたいなことをやってると広島が平和都市になるんじゃないかなと思って聞いてました。

谷口さん「対話力が試されている」

第1回は、瀬戸内の点在するウェルビーイングなコミュニティをどうネットワーク化して、都心をエンパワーするかという話をしてきました。今回はいかに「平和」を再定義して、広島を世界から選ばれるまちにアップデートしていくかという話。次回、最終回。リリース時の募集要項を見ていただいたら具体的な内容が真っ白だったと思います。なぜかというと、1回目と2回目で出てきた皆さんのアイデアをもとに、3回目は皆さんとの対話をベースに一つのビジョンをつくっていきたかったから。仮説は必要だけれども、結論ありきの企画をしても意味がない。広島のプリンシプル、齋藤さんの言葉を借りれば、絶対ぶれない北極星は何か、ということ。岡本さんの話の中にも福岡の三つのビジョンを参照しつつ、広島のビジョンをつくろう、という話もあった。次回こそ、いよいよ本当に対話力みたいなものが試される気がする。

齋藤さん「少しずれても同じ哲学で会話を続けるって大事」

今八つのチームから共有いただいたことから、いろいろな気づきがあるけど、皆さん共通して思っていることはやはり対話・会話のところをずっと持続的につなげていくことが大事なのかなということです。あとはインクルーシブというお話もありましたけど、例えば修学旅行とか出張で伺うときに、モノは見るその平和もしくはその平和の対義語って何かという話はありましたが、やっぱ戦争ということになってしまっている。

その状態を知ることで何か刻んで帰ろうっていう。広島のまちじゅうで対話や会話が起きてそれはそれですごく素晴らしいことですが、いろいろな人がいて、いろいろな平和の概念とかまちづくりとか、大きなものに対しての考え方があるので、そこの中間のギャップを埋めていくっていうのがまさにデザイントレーニングを受けてないとデザイナーになれないのではなくて、取り組みのデザインについては、熱意さえ持ってればデザイナーになれると僕は思います。うちの妻もPTAの役員をやっているんですけど、PTAというのは、地域デザインしてる人だと思います。

「平和」の対義語というのはもしかしたら「無関心」なんじゃないかと思います。「復興」の対義語も「無関心」という議論をしてたいたのですが、何も起こさないってこと自体平和でない状態ではないかと思うのです。今日のディスカッション、ワークショップの中で多くの方々が語ったことは多分非常に大事なこと。「平和を世界にどう発信していくか」もそうですし、世界的に受け止められる基盤をどのように、都市開発の役割もしくは都市機能としてインストールしていくかも非常に大事。

少しずれてもいいけど同じ哲学を持って会話を続けるって一番大事かな。今日は物理的に伺えなかったけど、ぜひ僕もこのディスカッションに物理的に参加させていただきたい。今日こういう機会を与えていただいて本当にうれしいし、僕自身も今政府で復興に関する仕事をやっているので、今日のお話は非常に参考になった。復興というのはどうしても、「可哀想だから何か補助しよう」という姿勢になります。もう東北の震災から12年。これから復興という概念を変えていかなければならない、という話をしてるけど、平和も一緒に考えていける。

ワークショップで出た意見の詳細はこちら↓

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