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「衣張山からの眺め」【鎌倉ぐらし/日々雑感】

きっかけは 「コロナ断捨離」中に出てきた1冊のノート。
上京前、21歳のときに書いた人生の設計図。

その日は苦笑いしながら「捨てるモノ」箱に放り投げたけれど、ずっと心に引っかかっていた。

“40代で鎌倉ぐらし”

あれから4年。
全然、20代の頃に思い描いた自分ではなかったけれど、ある日、ふと思いついた。
(今じゃないか?)

これまで、どうしても迷ったときは「やらぬ後悔より、やって後悔」で「やる」ことを心がけてきた。
(迷ったときは一歩前へ)

“思いつきと思いきり”

令和6年(2024)7月、諸々の態勢を立て直すべく、東京から鎌倉へ引っ越した。

“鎌倉ぐらし”の記録として、SNSに投稿した【日々の雑感】や【神社仏閣巡り】などをnoteに残していく。

鎌倉ぐらし/日々雑感

「衣張山からの眺め」

頭を整理したいとき、仕事の企画や構成を考えるときは、鎌倉の低山や丘陵をゆっくり歩く。

自宅を起点と終点に、杉本寺方面から「衣張山(絹張山・衣掛山とも)」 「パノラマ台」などを経て約3時間。

「衣張山」山頂は、 吉田秋生先生原作、是枝裕和監督の映画『海街diary』のロケ地としても知られている。

ちなみに「衣張山」の山名ついて、江戸時代前期、貞享2年(1685)に成立の『新編鎌倉志』に「ある夏の日、この山に源頼朝が白い絹布を張りめぐらせて雪景色に見立てて楽しんだことによる」、あるいは「近く(犬懸ヶ谷)の尼寺の尼僧がこの山の松の枝に衣を掛けたことによる」とあり、江戸時代後期、文政12年(1829)に成立の『鎌倉攬勝考』には『新編鎌倉志』と同じ尼僧の逸話とともに「北条政子がこの山に絹布を張りめぐらせて雪景色に見立てたことによる」とあるというものの、その由来は定かではない。

ただ、尼僧の逸話はともかく、源頼朝と北条政子の逸話に関しては、平安時代前期、寛平法皇(宇多天皇・第59代)が夏に雪景色を所望して「衣笠山」に白い絹布かけさせたという、京の伝説を鎌倉(源頼朝、あるいは北条政子)にあてはめたものだろう、といわれている。

令和6年(2024)8月28日のFacebookより


【撮影日】
令和6年(2024)8月25日

以上


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