見出し画像

#069|「アドバイスしやすい人」でありたい

ブログ更新の連続日数が、「毎日過ごしているだけで数字が勝手に積まれていく」という感覚になってきた。習慣化には60日前後が必要というが(一番よく聞く「3週間」というのは体感的にも誤りだ)、本当に人は60日くらいで慣れる。note365日連続投稿チャレンジ69日目。

注意されなくなるよね

年齢を重ねていくほど、勝手にアドバイスや注意をしてきてくれる人は減る一方だ。実際に、様々な理由からそんなことはやりにくい。歳を重ねた方に、なんらかの注意やアドバイスが思い浮かんだとしても、色々なことが頭をめぐる。

「逆に自分が間違っているのでは?」とか「間違いと知っているけどあえてやってるのかな?」とか「この年でそれをやってないということはもはや伝えても無理か」とか「逆に怒られたら嫌だな」とか「関係を悪くしたくないし」とか「これは私だけの意見ではないか」とか「どうやって伝えるか難しすぎる」とかとか。

「歳を重ねた方」といっても、20代も後半に入ればその域(アドバイスを受けにくくなる領域)と感じる。そのくらいの年になれば、もう自分の人生を生きていることだろうから。

また、やりにくさには時代背景的な面もある。昔は他人の子供でもマズイことをしていたら叱っていたけど、昨今では「おはよう」と挨拶をしたって通報されるといった有様だ。「触らぬ神に祟りなし」的な空気だ。これは相対主義が蔓延しているとも言える。「私は私で好きにさせて。あなたはあなたで好きにして」というヤツだ。これは他者に寛容に見えるが、ただの無関心であるケースも多く、コミュニケーションを放棄して自分だけの世界に閉じこもっていると言える。(それを脱したいということを以前に記事に書いたことがある。参考:相対主義を超克し共通の地平を築く)

これらのため、何か間違いやおかしなことを自分がしていても、それに気付ける機会はほぼない。だからこそ、注意やアドバイスをしてくれる人、というのはもう、大変に有り難い存在だ。


※ただし、いただくアドバイスが妥当ではないケースはある。自分にはわからない・耳が痛いアドバイスや注意こそが「金言」ではあるが、妥当でないことを言ってくる人というのは、言葉を発する態度を見たりその内容を聞けばだいたいわかる。

私は「自分の意見を(しかも偏った意見を)強制しようとする」アドバイスは聞かないことにしている。それはこちらを思ってのことでなく、コントロールしたいだけだからだ。

また、こちらのことを思っていってくれていても的はずれであるケースもある。この辺りは、真摯に言葉を聞いて、吟味して取り入れる姿勢が大事だ。


人から注意してもらえる自分でありつづけたい

アドバイスや注意を、人にするためにも・受けるためにも、必要なのは真心と勇気だと思っているが、特に「受けるための在り方」についてをよく考える。

耳の痛い意見に対して、攻撃する人、言い訳する人、自分を責める人、などがいらっしゃるが、いずれにせよそういった人は人からアドバイスはもらえなくなるだろう。

しかし、痛い意見でもまっすぐに聞くということは本当に難しく、訓練なしでできるものではない。そしてそれができる上で、その「聴き方の態度」まで整えなければ、やはりアドバイスはもらいづらくなっていく。


アドバイスをもらえる自分であるために心がけていたいこと
①「脳の動き」として:口を挟まず耳をふさがず、何を言ってくれているのか?をオープンマインドで100%まっすぐに聞く。
②「態度」として:アドバイスをもらって、凹んだり不満を感じているように相手に見せないこと(仮に凹んでいても外には出さない)。特に表情と声色に気をつける。
③「言葉」として:言ってくれた人が「言ってよかった」と思えるような返しをする。言い訳とか反論とか自責とか改善案をすぐ出す、とかは、動揺や不満の表れだ。まずはちゃんと受け取ったことと御礼をポジティブに伝えること。相手からすると、自分が言ったことですげえ凹まれたり自責されたりしても申し訳なくなるので、特に自分を責めるとか拗ねるとかは本当に気をつけたい。
④「結果」として:言ってくれたアドバイスに報いること。行動に反映させて伝えるとか、実行した結果を見せるとか、あらためて後日御礼を言うとか、さらに質問するなど。※ただし相手の方が見誤っているアドバイスなどの場合はこの④はやらない


これらを実行するために必要なこと

これらを実行するための土台には、自己肯定感や自己効力感が必要になる。それらが弱いと、他者からの注意に対して自分を守りたくなる。守りに入ると、もう相手の言葉を素直には聞けない。本当はそういう人にこそ他者のアドバイス(他者視点)が必要なのだが、ゆえに届き難い。

自己肯定感が低い人と高い人で生きやすさが違うのは、こういう面からも言えそうだ。前者は他者のアドバイスを攻撃と捉えてしまい活かすこともできず、どんどんアドバイスをもらえる機会もなくなっていく。後者は活かすことができ、それにより成功体験ができてアドバイスに感謝できるようになるため、さらにもらいやすい雰囲気を出せるようになっていく。

私自身も自己肯定感がない人間だったので、めちゃくちゃ注意している。(今もまだ成長中)

どうするかというとこの場合、「小さい成功体験を積みまくる」しかないと思っている。自分との約束をしてそれを守る。それを重ねる。守れなかった時は気にせず、自分を責めず、また次に行く。その実行のために自分にとっての「安全基地」があるとやりやすくなる。そうして自己効力感、肯定感を自分で育てていく。

脳は成功の"大きさ"はまともに判断することができず、"回数"の方が印象に残るという。なので、守る約束は大したことでなくていい。朝はご飯を食べるとか、外に一步出るとか、そういうスーパースモールステップ。それを鬼ほど数重ねること。

注意点として、「こんな小さいこと意味ない」とか「まだまだ自分は甘い」「自分はこんな程度ではダメだ」といったことを思って行動していると、それは成功体験として認識されないので、どんな小さくてみみっちいようなことでも、「決めて→やった」なら、「どんなことでも自分との約束を守ったなら成功」と捉えることが必須。※捉え方を間違っていると、小さい行動をいくらやっててもこの点においての効果は望めないないので本当に注意。


最後に

私の身近な人や仕事関係の方でも、「態度でめちゃくちゃ損してる」という方はいらっしゃる。あきらかに伝えてあげたほうがいいことがあるが、激しく拗ねたり鬼の言い訳をしたり偏執的なこだわりで居直るので、伝えたいことが伝わらないもどかしさがある。

そういう方と接した時にはいつも身につまされる。私自身もアドバイスしにくい人になっていないだろうか。耳が痛いことに対しても心を開いておける強さを持ちたいと思う。

今日は、私に注意してくれた方がいらしてとても有り難かった。えらくなったり力をもったりしても、周りがイエスマンになったら終わりだと私は思う。

なんでもざっくばらんに言い合える人間関係を作りたい。痛みを感じても感じさせても、それを許しあえて、さらに建設的に前へ進むことを諦めないような人たちと共にいたい。


✑90分|3000文字

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?