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#122|なぜ最優先の課題を最優先にできなかったのか

朝からnoteを書きたい衝動を我慢して、先に最優先課題を実行した。夕方になったら好きに書こうと思って夕方になったのでふらっと書き出す。このような時は長文になる、という傾向もわかってきたnote365日連続投稿チャレンジ122日目。2900文字。

自分の最優先課題はなにか?

「自分の最優先課題は何か」わかっているだろうか?聞かれてすぐに、具体的に実行可能な言葉にすることはできるだろうか?

今、いったい何が自分にとっての最優先の課題なのかは、普段から"あえて"最優先課題を考える時間を取っていなければわからないし、取るだけでなくて実際に最優先にできていないと意味がない。

いつもオススメしている仕事術系の書籍「ライブハックス!」のワークでも、まずは最優先課題を見つけに行くが、そこでも「数日に渡って」最優先課題を見つけるというアプローチが取られている。

それだけ「そもそも何が自分にとっての最優先課題かわかりづらい」ということで、パッと考えてピッと出るようなものではないのが難しいポイントだ。


残念ながら、見えるようになってからわかる

7つの習慣から学び、「第2領域(=緊急ではない重要なこと)」にあたる事柄…大切な人を大切にしたり、健康に時間を使ったり、頭や経験に投資したり、先手を打って仕事の根回しをしたり…といったことを実行している方は多く見られるが、それでも最優先の「課題」を最優先にされている、という方は少ない印象だ。

私自身、自分が「第2領域」と思うことには時間を使ってきたが、最優先課題の実行を最優先する生活ではなかった。

今月になって「結果にフォーカスして徹底的にやり抜く」スタンスを取るようになってからできるようになって、できるようになってみれば「なぜ今までできなかったんだろう」と不思議な感覚だ。

抽象度の低い視点と高い視点の世界はマジックミラーのような隔たりがあって、低い側から高い側の世界は見えない。工場のアルバイトにはそこの経営者の思考や景色は見えないようなもので、最優先課題を優先できる生活(≒考え方)になる前には、その重要性もハッキリとはわかることができないのかもしれない。

こうして「やってみないとわからない」体験をすると、「四の五の言わずにやってみる」ことができる者が勝つ、と言われるのも納得できる気がする。


最優先課題を最優先にできない理由

今思う、最優先課題を最優先できない理由は3つだ。

①何が最優先課題かがわからない
②最優先課題がわかっても実行できない(したくない)
③最優先課題がわかっても実行できない(仕方がわからない)

②も③も「本当は最優先課題がわかっていない」と言えるが、そうして一括りにするより3つに分ける方がアプローチがしやすくなるし、3つの方向から同時的にアプローチしていった先に、「最優先課題に取り組めるようになる」というゴールにたどり着くような気がする。順番に1つずつクリア、という感じではない。


できなかったケース(私の事例)

私の場合は、ずっと②の「したくない」が原因だったように思う。そのために③の「仕方」もわからなかった。

昔から定期的に「最優先課題」を書き出してはきたが、最優先課題よりも「自分がやりたい課題」だけに取り組んできた。

私がそのようになっていた原因は、このnoteを書き始めて起こったセラピー効果によって4月に解消できた。そうして大きなブロックが解消した結果どんどん大きな変化が起こっており、ついに今月は「結果」に向き合うことができつつある。

以前は「結果にフォーカスしない」と決めていて、「プロセスを重視する生き方」をしていた。その生き方自体はよかったと思うが、しかし「結果を出すというアプローチを取ることができない」ことは問題だった。

そこにはトラウマがあって、よーするに「最優先課題を最優先なんてしちゃったら結果が出ちゃうじゃん」という恐れがあったのだ(これはクリアになってから気づいたことだ)

私のようになんらかのトラウマから「結果」を恐れるようになった人というのは、いくら努力をしても望みを形にできないかもしれない。「第2領域」的な活動に多くの時間を使ってはいるが、どこか人生が納得行かないような気持ちがあるなら、努力の方向を変えて「自分の心」に向き合う必要がある。

最優先課題を最優先にできるようになるために、毎日自分の内面に向き合うnoteを書くのもオススメだ(ようこそ毎日投稿仲間へ!)


最優先課題を最優先にできるようになるとどうなるのか?

大変でも毎日が楽しく、清々しさや納得感が得られる。うまくいったかどうかは関係なく、常時安定した自己肯定感が生まれる。

それゆえに「結果」にも向き合うことができて、うまくいかなくても耐えられるし、改善ができるというサイクルに入る。このサイクルに入れば、狙った結果が出るのは時間の問題になる。

私はこれまで、そういった自己肯定の感覚をハードなトレーニングから、ドラッグ的な感じで接種していた。30km走ったり40分バーピーをすること、断食などの期間を取ることや、何冊もの本を読むことなどで、痛みを誤魔化していた。

最近は最優先課題を最優先するために運動などあまりできていないが、まったく罪悪感や焦りはなくなった。(以前は自分を責める気持ちがあった)

そもそも、そういったトレーニングなどは自分を「整える(よいパフォーマンスを出せるようになる)」ためにやるのであって、その目的は「必要な行動をよりよく行う」ためのハズだ。

たとえば読書を優先して本来やるべき仕事をしない、というのは本当にただの「なにやってんの」案件だ。「身体は資本」なので逃避行動であろうが運動することはいいが、それでも30kmも走る必要はなかった(ランニングが健康へ最大のリターンをもたらす走行時間は40分。30km=3時間は走り過ぎだ)


毎日「本番」を生きよう

最優先課題を最優先するということは、言い換えると毎日自分の人生の「本番」を生きることと言えそうだ。

そうして生きている前提で、その「本番」で勝つためにトレーニングや学習をするのだ、ということも知識としてはあっても、その実感値は見えるようになってからわかることで、見えてないうちは見えてないなりに真剣にトレーニングしていた。

それが無駄だったわけでなく、そういう「なんかわからんけど変わりたい」という努力があったから今の私があり、そういう努力はしてきたから今繋がれている人たちと繋がれていると確信している。

しかし、とにかくなるべく早く「本番」を生きられる人生を取り戻すに越したことはない。「本番を生きていない人生」というのは、ずっとどこかで自分の心を無視しているような感じがする。

最後は自分の日々の取り組みにつながるが、そのためにも1日をふりかえったり毎週最優先課題を考えてみたり、自分を深掘りしたり、多様な人と話したり、ということはプラスになる。

そのための知識や場を整えて耕して提供できる用意というのはこれからもやっていくし、これもわたしの仕事の1つだと思う。


✑74分|2900文字

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