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#211S|根本的な変化のために|1対Nを克服する

今日からnoteを書く時間を朝に持ってきたけど、朝から2時間もnoteを書く、という時間の使い方に納得していかなければ続きそうにない。note365日連続投稿チャレンジ211日目。チラシの裏。


1対Nのコミュニケーション

noteの最初の頃によく書いていたから、ずっと読んでくれている人にはスーパー重複情報になるけど、私は「1対N」の関係性のコミュニケーションを取ることがすこぶる苦手だった。だから、自分で情報発信をすることが苦手だった。

私が苦手な「1対Nの関係」とは、私1人に対して「複数人(〜無限に私の発信に触れる人が増える形式含む)」×「こちらから相手の顔が見えない」というもの。これに神経がすり減る。

このnoteもゆるやかにそうだけれど、ほとんど知人しか見ていないということで私の中で「1対1」化している。

2022年2月にクラブハウスで喋り始めた時にも、開催の1時間前には汗が出てきて食事が喉を通らなかったりということはずっと続いて、1年で10kg痩せた。約1ヶ月に1kg減量という無理のないペースで減ったが、問題はもとから私は痩せていてダイエットなど必要がなかったことだ。

それも2023年になってからは問題を感じなくなったから、なんだか「1対Nというニガテは克服した」ような気になっていた。というより、あまりそのこと自体を考えることがなくなっていた、というのが正確だ。


苦手なままやないかーい

しかし。昨日の夜に雑談していた中で「1対Nの苦手だったこと」を思い出すきっかけがあった。それからあらためて考えてみたところ、いやいや全然、変化・克服ができていないじゃん、ということに気づいた。

私がクラブハウスが平気になったのは、単純に顔見知りが99%になったからであり、そこが「安心の場」という認識になったからで、私からするとそれは関係性が「1対1」になったということだ。

なので、現状の活動は「1対N」の克服とは関係ない。

そこに気づいてみれば、今もできないでいる「スタエフ」で虚空に向かって喋ること、「Twitter(X)」で誰でも見えやすいところに文字を書くこと、今はまだ気合で書き続けている「表note」なんかも、これらは全部私の中では「1対N」の活動だから、苦痛なのだ。

ということでこ、の課題に関してはまだまだクリアできていなかったんかーいとなった。


根本的な変化のために

自分の心の囚われを解いたり、自分でかけてしまっている限界や制限を超えていくための核心的な行動を取るためには、「その課題を捉え続けること」。これは一面では大事なことだ。

気にしないこと、忘れることで消えるタイプもあると思うけれど、今回のケースでは忘れたところで無意識的にそれを避けていたり、見えない壁になってずっと当たっている、という形で存在し続けている。

課題を意識的に捉え続けることはしんどく、つい目を逸らしたくなる。自分の頭の中で都合よく「解決」したことにしたり、「見えなく」したりしてしまう。

それでもこうした機会に発見できたなら、またガッツリ掴んで離さないようにして、取り組むしかない。根本的な変化を起こすまで、その課題を忘れないでいること。


で、これはやっぱり最近のマイブーム「脱出ゲーム」なんだよな。

とりかかるのはしんどいこと。できれば避けていたいこと。

でも、そこをクリアしないと人生が開かない。と、どうしても、なんど自問自答してもそのように感じてしまうような、自分の内に抱え込んで離しきれない「現実」には、もう真正面から取り組んで、なるべく速く脱出(クリア)しようと努力するしかない。


あらためて1対Nを克服する

解決案①「Nを1に変える技術」

Nだの1だのは認識の問題で、どうであれ「活動ができればいい」わけだから、障壁になっているN状態を1にすることができればいい。

「これはNだ(苦手だ)」と感じるものに対して、それを「1化する(苦手ではない状態にする)手段」というものを作り出せたらいいのだけど。


解決案②「活動領域を作る技術」

逆に、このニガテは克服できない、としたらどうする?

その場合の問題は「ネットを使って自分というキャラクターでの活動ができない」ことだ。

ネットを使う、という表現自体が死語だ。いまや人々はSNSと同期している。現代で「自分の情報発信ができない」ということは、「自分の生きたい人生を作れない」ということだ(あくまで私の場合)。

これを問題視している。

平成の頃は、自分の情報発信ができなくても、情報発信をサポートする仕事ができた。(今もしている)。けれど、どんどん「情報発信なんて誰でもできて当たり前」になっている。要は仕事が失われつつある。それと、けっきょく私はサポートでなく「自分の発信」がしたい、という欲求も捨てられないのだ。

それなら逆に、今のクラハのような形(最初1対Nだったものが1対1になった)をまた他で作り切るまでがんばる、ということで解決になるかもしれない。

どっちのコースで登ろうと険しい山で、解決案②の方は「けっきょくやること」だから②か。けっきょく、ここを捉えて覚悟して進むだけな気がしてきた。


おわりに

これは今すでに取り組んでいる脱出ゲームを、違う視点から見た、という話だ。レイヤーは増えるほど(複眼的になるほど)クリアの足がかりになるの
で、発見できてよかったことだ。

やっぱりどんどん発信する数や種類を増やすことだな〜。「いますぐ書け(喋れ)(写せ)(撮れ)(弾け)(描け)」だな〜。

誰の許可も承認もいらない。反応をもらうには誰かに認められる必要があるが、認められるにはまず渡せるものを作らないと始まらんという点で「勝手にやれ」案件だ。

ここについて書けば書くほど、けっきょく「覚悟不足」、「努力不足」なだけだとわかってくる。エネルギーをかける量が多いことと、正しい努力ができていることはまったく関係ない。マインドにかかずって浪費するのはやめて、正確な認識の上で腹を括り、前に進むための正しい努力をしたい。


✑裏note:90分|2400文字
✑表note:45分|1500文字

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